宗則は、春蘭の指示で、禁断の術「泰山府君祭」を学ぶため、鞍馬山へ向かうことになった。
「鞍馬山…かつて、陰陽師たちが修行した、聖なる山です。しかし、その山は、今は、深い霧に覆われ、人々が近づくことを拒んでいます」
春蘭は、静かにそう告げた。
彼女の言葉には、畏敬の念と、同時に、一抹の不安が感じられた。
「そこには…古の陰陽師たちが、後継者を選定するために作り上げた…『三つの試練』が存在すると言われています…それらを乗り越えた者だけが…真の陰陽師として認められ…『泰山府君祭』の術を授かることができるのです…」
宗則は、春蘭の言葉に、自らの運命の重さを改めて感じ、不安を覚えた。
しかし、同時に、都を救うという使命感、そして、春蘭の期待に応えたいという強い思いが、彼の胸に燃えていた。
宗則は、綾瀬、そして、藤原家の家臣二人を伴い、険しい山道を登り始めた。
深い霧が、一行を包み込み、視界を遮る。
時折、カラスの鳴き声が、霧の中から聞こえてくる。
「…この霧…まるで、何かが…私達を拒んでいるかのようだな…」
家臣の一人が、不安そうに呟いた。
「…気をつけろ。この山には、何か…邪悪なものが潜んでいるかもしれない…」
もう一人の家臣が、刀に手をかけながら、周囲を警戒した。
宗則は、背中のあざが、かすかに熱を帯び始めるのを感じながら、歩みを進めた。
そのあざは、まるで、宗則の心の奥底にある不安を、映し出す鏡のようだった。
霧の中を進むこと数刻、宗則たちは、朽ち果てた鳥居の前に辿り着いた。
鳥居の先には、苔むした石段が、闇の中へと続いていた。
石段の脇には、風化した石仏が立ち並び、その表情は、長い年月を経て、摩耗し、判別できない。
しかし、宗則は、その石仏たちから、静かな怒り、そして、深い悲しみを感じ取った。
「…ここが…祠への入り口…か…」
宗則は、深呼吸をして、石段を登り始めた。
石段を登りきると、そこには、古びた祠が、ひっそりと佇んでいた。
祠の周りには、異様な雰囲気を漂わせる石像が、幾つも置かれている。
石像たちは、どれも、奇妙な形をしており、人間の顔と獣の体が融合したような、グロテスクな姿をしていた。
「…ここが…伝説の祠…か…」
宗則は、祠の前に立ち、静かに目を閉じた。
すると、彼の背中のあざが、熱く脈打ち始め、体中を、不思議な力が駆け巡る。
同時に、彼の耳には、かすかなカラスの鳴き声が聞こえてきた。
(…八咫烏…?)
宗則は、目を開けると、空に、黒い影が、一瞬、見えた気がした。
(…気のせい…だろうか…?)
宗則は、自らの運命に、言い知れぬ不安と、同時に、かすかな期待を感じながら、祠の中へと足を踏み入れた。
祠の中は、薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。
壁には、不気味な模様が描かれた壁画があり、中央には、古びた祭壇が置かれている。
祭壇の上には、黒曜石でできた髑髏が置かれ、その周りには、血のような赤い液体が、満たされた器が並んでいた。
「…ここには…何もない…のか…?」
仲間の一人が、辺りを見回しながら言った。
その時、宗則の足元が、突然、崩れ落ちた。
「うわっ…!」
宗則は、暗闇の中へと落ちていった。
「宗則…!」
仲間たちが、慌てて宗則の名を呼んだが、彼の姿は、すでに闇の中に消えていた。
綾瀬は、宗則が消えた穴に駆け寄り、底を見つめた。
「…宗則様…!」
彼女は、小さく呟いた。
彼女の心は、不安でいっぱいだった。
家臣たちは、顔面蒼白になり、互いに顔を見合わせた。
「…これは…一体…?」
「…どうする…?」
「…宗則様を…助けに行かなければ…!」
家臣たちは、不安と焦りで、口々に言った。
しかし、穴は深く、底が見えない。
彼らは、宗則の無事を祈りながら、祠の前で待つことしかできなかった。
宗則は、急な斜面を滑り落ち、硬い地面に叩きつけられた。
「…うっ…」
宗則は、痛みで呻きながら、ゆっくりと身体を起こした。
「…ここは…?」
宗則は、辺りを見回した。
そこは、祠の地下にある、広大な空間だった。
天井からは、無数の星が輝き、まるで、夜空を見上げているかのようだった。
その星空は、宗則が今まで見たことのない、複雑な星の並びをしており、まるで、彼に何かを語りかけているかのようだった。
「…これは…?」
宗則は、驚きのあまり、言葉を失った。
その時、彼の耳に、あの烏の声が聞こえてきた。
「ようこそ…試練の地へ…宗則…」
宗則は、振り返ると、そこに、八咫烏が、静かに佇んでいた。
烏は、鋭い眼光で、宗則を見つめていた。
「…お前は…この場所で…三つの試練を乗り越え…真の力を手に入れるであろう…」
「…一つは、天体の試練。陰陽師として、天体の運行を読み解き、その力を操る術を学ぶ。二つは、風の試練。自らの心を制御し、風の精霊の力を借りる術を学ぶ。そして、三つ目は、天候の試練。天候を操り、自然の力を自在に使う術を学ぶのだ。これらの試練を乗り越えることで、お前は、『泰山府君祭』の術を扱うにふさわしい力を得、己の使命を果たすことができるであろう…」
烏の言葉が終わると、宗則の目の前に、三つの道が現れた。
一つは、光り輝く道。
一つは、暗闇に包まれた道。
そして、もう一つは、星屑が煌めく道。
「…三つの道…?」
宗則は、戸惑いながら、烏に尋ねた。
「…これらの道は…それぞれ…異なる試練へと繋がっている…光の道は…天体の試練…闇の道は…風の試練…そして…星屑の道は…天候の試練…」
烏は、それぞれの道を指さしながら、説明した。
「…お前は…どの道を選ぶ…?」
宗則は、三つの道を見つめながら、深く考えた。
(…どの道を選んでも…危険が待ち受けている…しかし…私は…前に進まなければならない…)
宗則は、自らの使命を思い出した。
二条尹房の野望を阻止し、都と人々を守らなければならない。
(…私は…闇を知る必要がある…)
宗則は、春蘭の言葉を思い出した。
(…そして…私は…この力を…制御できるようにならなければならない…)
宗則は、剣の試練で得た教訓を、胸に刻んでいた。
宗則は、決意を固めると、闇の道へと足を踏み入れた。
闇の道は、長く、険しかった。
宗則は、幾度となく、幻術や結界に阻まれ、風の精霊の攻撃に苦しめられた。
風の精霊は、目に見えない存在だが、宗則は、肌を刺すような冷たい風、耳をつんざくような轟音、そして、鼻腔を刺激する土埃の匂いによって、彼らの存在を感じ取ることができた。
彼らは、まるで、宗則の心の迷いを具現化したかのように、容赦なく彼を攻撃してくる。
宗則は、白雲斎から教わった護符を使い、風の精霊たちを退けようと試みた。
しかし、彼の心は、まだ、迷い、恐れに囚われており、護符の力は、十分に発揮されなかった。
「…落ち着け…宗則…!」
宗則は、心の中で、自分に言い聞かせた。
深呼吸をし、心を無にする。
そして、彼は、自らの心の奥底に眠る力…その源泉へと意識を集中させた。
すると、彼の背中のあざが、熱く脈打ち始め、体中を、不思議な力が駆け巡る。
宗則は、その力を感じながら、再び、護符を構えた。
「…臨兵闘者皆陣列在前…風神…鎮まれ…!」
宗則の声が、洞窟内に響き渡る。
それと同時に、彼の身体から、白い光が放たれ、風の精霊たちを包み込んだ。
光は、風の精霊たちの怒りを鎮め、彼らを、穏やかな存在へと変えた。
宗則は、風の精霊たちの力を、感じ取ることができた。
それは、自然の力、そして、生命の力だった。
彼は、風の精霊たちの力を、自らの力として、受け入れることができた。
「…よくやった…宗則…」
八咫烏の声が、宗則の背後から聞こえてきた。
「…お前は…風の試練を…乗り越えた…」
宗則は、振り返ると、そこに、八咫烏が、静かに佇んでいた。
宗則は、安堵の息を吐いた。
風の精霊との戦いは、想像以上に過酷なものだった。
彼は、自らの力が、まだ未熟であることを、改めて痛感した。
「…さあ…最後の試練に…挑むのじゃ…宗則…」
八咫烏は、宗則を促し、星屑の道へと導いた。
「…火の試練…それは…己の運命…を受け入れる…試練…」
八咫烏は、宗則の隣に並び、共に歩きながら、静かに言った。
「…その試練…は…お前の…出生の秘密…そして…お前に…課せられた…使命…を…明らかにするであろう…」
「…覚悟せよ…宗則…火の試練…は…お前の…人生…を…大きく…変える…試練…となるであろうから…」
星屑の道は、眩い光に満ちていた。
進むにつれて、空模様がめまぐるしく変化し、雨、風、雷が、宗則に襲いかかる。
彼は、祭壇に刻まれた呪文を解読し、自らの力を制御しようと試みる。
しかし、天候の力は、彼の想像をはるかに超えるものだった。
激しい雷鳴が轟き、巨大な稲妻が、宗則のすぐそばに落ちる。
「ぐっ…!」
宗則は、地面に倒れ込み、激しい痛みに襲われた。
(…諦める…わけには…いかない…!)
宗則は、歯を食いしばり、再び立ち上がった。
彼は、自らの生命力を燃やし、天候の力を制御しようと、必死に呪文を唱え続けた。
そして、ついに、彼は、天候の力を、自らの意志で操ることに成功した。
三つの試練を乗り越えた宗則は、祠の最奥に辿り着く。
そこには、「泰山府君祭」の儀式と呪文が刻まれた石碑があった。
宗則は、石碑の前に跪き、深く息を吸い込んだ。
「…今こそ…我が…真の力…を…示す時…!」
宗則は、石碑に刻まれた呪文を、ゆっくりと唱え始めた。
その時、祠全体が、眩い光に包まれた。
祠の前で、宗則の帰りを待ちわびていた綾瀬と家臣たちは、祠から放たれる光に、驚き、顔を上げた。
「…あれは…一体…?」
「…宗則様…!」
彼らは、宗則の無事を祈りながら、光が収まるのを待った。
(続く)