春蘭は蓮の言葉を静かに受け止めていた。
二条派の失脚――それは、近衛家の勢力を拡大するためには必要なことかもしれない。
しかし、春蘭の心は、激しく揺れていた。
彼女の父は、二条尹房と長年の親交があり、その繋がりは、容易に断ち切れるものではなかった。
「蓮…あなたは…本当に…そこまでしなければいけないのですか…?」
春蘭は、苦しげに尋ねた。
蓮は、まるで虫けらを見るような目で、春蘭を見下ろした。
「叔母上…あなたは、まだ…甘い…優しすぎる…そんなだから…二条尹房のような男に…利用されるのです…」
蓮は、静かに、しかし、力強く言った。
「二条派は、すでに、禁断の術に手を染めようとしています。彼らを野放しにしておけば、この都は…そして、この国は…滅びるでしょう」
蓮は、懐から一枚の紙を取り出し、春蘭に手渡した。
「…これは…朝廷内における…反信長派のリスト…そして…彼らを操るための…計画書です…」
春蘭は、震える手で、紙を受け取った。
そこには、春蘭の父である花山院忠輔の名も…記されていた…。
「…私は…すでに…二条家の家臣たちの中に…我々の…協力者…を…送り込んでいます…彼の名は…藤原頼長…尹房の側近の一人です…彼は…尹房の…悪事を…暴き…彼を…失脚させるための…証拠…を…集めています…」
蓮は、冷酷な笑みを浮かべながら、言った。
「…そして…尹房が…失脚した時…信長は…必ず…この都に…攻め込んでくるでしょう…その時…我々…近衛派は…信長を…迎え入れ…彼と…手を組むのです…」
「…信長を利用して…二条家を倒し…そして…その信長をも…利用して…近衛家を…この都の…頂点に…導く…」
蓮の言葉は、冷たく、そして、残酷だった。
その時、宗則が口を開いた。
「…蓮様…あなたは…私にも…協力を…求めているのですか…?」
宗則は、蓮の言葉の裏に、何か別の意図を感じていた。
彼は、蓮を信用することができなかった。
蓮は、宗則の質問に答える代わりに、春蘭の方を見た。
「…叔母上…宗則殿には…まだ…話せないことがあるのですか…?」
蓮の言葉は、まるで、春蘭を挑発しているかのようだった。
春蘭は、蓮の視線に、一瞬、たじろいだ。
しかし、彼女は、すぐに、気を取り直した。
「…いいえ…宗則殿にも…話すわ…」
春蘭は、深呼吸をして、静かに語り始めた。
「…二条尹房は…朝廷の財産を横領し…私兵を集め…そして…禁断の陰陽術を使って…帝を操ろうと企んでいる…彼は…すでに…多くの公家や陰陽師を…自らの配下に加えている…そして…近いうちに…帝を…呪い殺し…自らが…新たな帝…として…即位しようと…企んでいるのです…!」
「…尹房は…『泰山府君祭』の術を手に入れ…帝の寿命を縮めようとしている…そして…その生贄として…帝の…最も…愛する者…春齢女王を…捧げようとしているのです…」
春蘭の言葉に、宗則は、息を呑んだ。
春齢女王…それは、春蘭の姪であり、宗則の許嫁であった。
「…そんな…!」
宗則は、信じられない思いで、春蘭を見つめた。
「…しかし…なぜ…尹房殿は…そこまでして…権力を…?」
宗則は、理解できなかった。
「…尹房は…かつて…権力闘争に敗れ…一族もろとも…都を追われた…彼は…その時の屈辱を…決して…忘れていない…」
春蘭は、静かに言った。
彼女の言葉には、父への同情と、尹房への恐怖が、入り混じっていた。
「…彼は…復讐のために…そして…自らの野望を叶えるために…どんな手段も…厭わない…」
蓮は、春蘭の言葉を補足するように言った。
「…宗則殿…あなたは…白雲斎様から…陰陽道の『表』を学んだ…しかし…この世には…光だけでは…解決できない闇がある…」
蓮は、宗則の目をじっと見つめた。
彼の瞳には、底知れぬ野心が渦巻いていた。
「…あなたは…『裏』の力も…知る必要がある…」
蓮は、宗則に、近づき、彼の耳元で囁くように言った。
「…あなたは…私の…駒となって…二条家を…そして…春蘭叔母上を…地獄へと…突き落とすのです…そして…その暁には…あなたに…望むもの…全てを…与えましょう…富も…名声も…そして…力も…」
蓮の言葉は、冷たく、そして、甘美だった。
宗則は、蓮の言葉に、戦慄した。
(…蓮様は…一体…何を…企んでいるのだろうか…?)
宗則は、蓮の真意を、見抜くことができなかった。
その時、彼の背中のあざが、激しく熱を帯び始めた。
(…迷うな…宗則…)
宗則は、心の中で、八咫烏の声を聞いた。
(…お前の心…が…答えを…知っている…)
宗則は、深呼吸をして、心を落ち着かせた。
彼は、自らの運命を受け入れる覚悟を決めた。
「…私は…春蘭様…を…信じます…」
宗則は、力強く言った。
蓮は、宗則の言葉に、満足そうに微笑んだ。
「…良いでしょう…宗則殿…では…近いうちに…また…お会いしましょう…」
蓮は、そう言うと、部屋を出て行った。
春蘭は、一人、書斎で、考え込んでいた。
蓮の言葉が、彼女の心を、深く傷つけていた。
(…蓮…あなたは…なぜ…?)
春蘭は、涙をこらえながら、白雲斎からもらった手紙を読み返した。
そこには、宗則を信じるように…そして…彼を…導くように…と書かれていた。
そして…もう一つ…「忠輔殿には…気をつけよ…」という…白雲斎からの…警告…が…記されていた。
春蘭は、決意を固めた。
(…私は…宗則様を…信じます…そして…彼と共に…二条尹房を…倒します…! そして…父上…あなたとも…必ず…向き合います…!)
(続く)