二条家の屋敷は、一見平穏に見えた。
美しい庭園には、色とりどりの花が咲き乱れ、池には錦鯉が優雅に泳いでいた。
しかし、その美しさとは裏腹に、屋敷の空気は、重く、冷たかった。
二条尹房は、書斎で一人、考え込んでいた。
彼の顔には、深い皺が刻まれ、目は、鋭く光っていた。
(近衛派め…何を企んでいる…?)
尹房は、近衛派の動きを、警戒していた。
信長との同盟が成立し、勢力を増す近衛派は、もはや、無視できない存在となっていた。 しかも、信頼厚い筆頭家老・斎藤蔵人の裏切り。
それは、尹房の心を、深く傷つけ、彼を、疑心暗鬼に陥れていた。
(彼らは、信長と手を組み、二条家を滅ぼそうとしている…)
尹房は、近衛家の狙いを感じ取っていた。
(蔵人を懐柔したのも、彼らの策略だったのか…?)
尹房は、蔵人の裏切りを、どうしても信じることができなかった。
蔵人は、尹房の父である前当主の代から、二条家に仕えており、その忠誠心は、疑う余地もなかったはずだった。
(それとも、蔵人は、近衛家に脅されていたのだろうか?)
尹房は、様々な可能性を考え、苦悩していた。
(油断はできぬ…)
尹房は、家臣たちにも、警戒を強めるよう、指示を出していた。
しかし、彼の心は、底知れぬ不安に蝕まれていた。
数日後の朝、二条家の家臣たちは、重苦しい雰囲気の中、会議室に集まっていた。
尹房は、家臣たちの顔を見渡した。
彼らの表情には、不安と動揺の色が浮かんでいた。
「近衛前久が、関白の座に居座り続ければ、我ら二条家は、窮地に立たされるであろう」
尹房は、家臣たちに、危機感を訴えた。
「何か、良い策は…?」
「殿、近衛家に…対抗…するには…我々…も…信長…様…と…手を…組むしか…ありませぬ…!」
「しかし、信長様は、危険な人物です…!」
「それでも、このままでは、二条家は、滅びてしまいます…!」
家臣たちは、それぞれの意見を主張し、激しく議論を交わした。
しかし、有効な対策は見つからない。
近衛家は、信長という強力な後ろ盾を得て、ますます勢力を拡大していた。
その時、家宰が、尹房に近づき、耳元で囁くように言った。
「殿、愛猫の失踪事件ですが、新たな情報が入りました」
家宰の顔色は、悪く、額には脂汗が浮かんでいた。
「どうやら、裏で糸を引いていたのは、近衛派の者たちのようです」
尹房は、家宰の言葉に、驚きを隠せない。
「彼らは、我々の下働きに目をつけ、金で釣って、猫を盗ませたようです」
「そして、その猫を、わざと目立つ場所に捨て、我々二条家の評判を落とそうとしたのです」
尹房は、怒りで、身体が震えるのを感じた。
(近衛め…そこまで…卑劣な…真似…を…!)
尹房は、拳を握りしめ、歯を食いしばった。
「しかし…なぜ…蔵人は…」
尹房は、再び、蔵人の裏切りについて、考え始めた。
(蔵人は、近衛家に脅されていたのか…?)
(それとも、彼もまた、近衛家の甘い言葉に惑わされたのか…?)
尹房は、疑心暗鬼に陥り、誰を信じれば良いのか分からなくなっていた。
その頃、尾張では…
宗則は、柴田勝家の屋敷の一室で、綾瀬から受け取った手紙を読んでいた。
「春蘭様は蓮様の真意が分からず、不安です…」
春蘭の言葉が、宗則の心に、重くのしかかった。
(春蘭様…)
宗則は、春蘭の不安を、感じ取ることができた。
その時、綾瀬が、口を開いた。
「信長様は、『人心掌握』に長けた陰陽師を探しておられます。
信長様は、人の心を操る術を使い、自らの野望を達成しようとしているのかもしれません」
「人心掌握…?」
宗則は、綾瀬の言葉に、不吉な予感を感じた。
(信長様は、一体、何を…?)
(私は、都へ戻らなければならない…!)
宗則は、決意した。
その時、彼の背中のあざが、熱く脈打つように感じた。
(宗則…)
宗則は、心の中で、八咫烏の声を聞いた。
(お前の行くべき道は、そこにある…)
宗則は、綾瀬に、密かに、都へ戻る準備をするように指示した。
「綾瀬、お前は、私の忠実な部下…だよな…?」
宗則は、綾瀬の目をじっと見つめた。
「はい、宗則様。私は、いつでも、あなたに従います」
綾瀬は、静かに答えた。
しかし、彼女の表情は、依然として、感情を読み取ることができなかった。
「ならば、私に協力してほしい」
「かしこまりました、宗則様」
綾瀬は、深く頭を下げた。
彼女の瞳には、冷たい光が宿っていた。
(蓮様は、一体、何を企んでおられるのでしょうか?)
綾瀬は、心の中で、呟いた。
(続く)