二条尹房は、愛猫の失踪事件以来、心穏やかならぬ日々を送っていた。
犯人は見つかったとはいえ、事件の裏に近衛家の影を感じ、疑心暗鬼に陥っていた。
(近衛派め…そこまで卑劣な真似を…!)
尹房は、拳を握りしめ、歯を食いしばった。
愛猫の失踪は、単なる嫌がらせではなかった。
近衛派は、巧妙な策略によって、二条家の評判を傷つけ、人々の信頼を失墜させようとしていたのだ。
(このままでは、ジワジワと、我々は追い詰められていく…!)
尹房は、家臣たちを集め、広間で対策を協議した。
家臣たちは、近衛家に対抗するために、様々な策を提案するが、尹房は、どれも決定打に欠けると感じ、苛立ちを募らせる。
「近衛前久が、関白の座に居座り続ければ、我ら二条家は、窮地に立たされるであろう」
尹房は、家臣たちに、危機感を訴えた。
「何か、良い策は?」
「殿、近衛家に…対抗…するには…我々…も…信長…様…と…手を…組むしか…ありませぬ…!」
「しかし、信長様は、危険な人物です…!」
「それでも、このままでは、二条家は、滅びてしまいます…!」
家臣たちは、それぞれの意見を主張し、激しく議論を交わした。
しかし、有効な対策は見つからない。
近衛家は、信長という強力な後ろ盾を得て、ますます勢力を拡大していた。
その時、家宰が、尹房に近づき、耳元で囁くように言った。
「殿、愛猫の失踪事件ですが、新たな情報が入りました」
家宰の顔色は、悪く、額には脂汗が浮かんでいた。
「どうやら、裏で糸を引いていたのは、近衛派の者たちのようです。彼らは、我々の下働きに目をつけ、金で釣って、猫を盗ませたようです」
「そして、その猫を、わざと近衛家の屋敷近くで衰弱した状態にして、見世物小屋に売っていたようです」
尹房は、怒りで、身体が震えるのを感じた。
(近衛め…そこまで…卑劣な…真似…を…!)
尹房は、拳を握りしめ、歯を食いしばった。
しかし、怒りに任せて行動しては、相手の思う壺だ。
尹房は、冷静さを取り戻し、家臣たちに指示を出した。
「近衛家の悪事を暴くのじゃ!」
「はっ!」
家臣たちは、尹房の言葉に、奮い立った。
彼らは、近衛家のスキャンダルを探し、尹房を陥れようとする動きを阻止するために、奔走した。
しかし、近衛前久は、一枚上手だった。
前久は、尹房の動きを察知すると、先手を打って、朝廷改革を断行した。
彼は、新嘗祭の形式を変更し、自らの権力を誇示した。
尹房は、前久の改革を、伝統を無視する暴挙だと非難したが、前久は、尹房の言葉を巧みにかわし、彼を「古い秩序にしがみつく老害」として、逆に非難した。
尹房は、前久の策略によって、窮地に追い込まれていった。
(このままでは、わしは…!)
尹房は、焦燥感に駆られていた。
その時、一人の家臣が、尹房に、希望の光をもたらす情報を持ち込んできた。
「殿、近衛前久卿は、密かに、朝廷の財産を私物化しておられます」
「なんと!? それは、本当か?」
尹房は、家臣の言葉に、驚きを隠せない。
「はい。確かな筋からの情報でございます。前久卿は、朝廷の御用商人から、多額の賄賂を受け取っておられます。その証拠も、ございます」
家臣は、尹房に、小さな包みを差し出した。
「これは…?」
「前久卿と御用商人のやり取りを記した帳簿でございます」
尹房は、この情報を、利用して、前久を失脚させようと考えた。
彼は、前久の不正を、天皇に訴え出た。
しかし、前久は、尹房の告発を冷静に受け止め、こう言った。
「二条卿、証拠もなく、そのような告発をなさることは、いかがなものかと存じます」
前久は、自らの潔白を証明するために、尹房に、証拠を提出するように要求した。
尹房は、自信満々で、家臣から受け取った帳簿を、天皇に提出した。
しかし、前久は、その帳簿を手に取ると、冷酷な笑みを浮かべた。
「これは、偽物です。二条卿、あなたは、偽の証拠で朝廷を欺こうとした…!」
前久は、尹房を、激しく糾弾した。
尹房は、前久の言葉に、反論することができなかった。
家臣が持ち込んだ帳簿は、偽物だったのだ。
漣は、尹房の動きを予測し、事前に、偽の帳簿を、家臣に渡していたのだ。
尹房は、前久の策略によって、完全に失脚した。
彼は、朝廷内で、孤立無援の状態に追い込まれ、失意のうちに朝廷を去ることになった。
二条家の家督は、尹房の長男である二条晴良が継いだが、父である尹房の失脚により、二条家の立場は大きく揺らいでいた。
晴良は、父を陥れた前久を深く恨み、復讐の機会を伺うこととなる。
一方、漣は、この一連の出来事を、陰ながら操っていた。
彼は、尹房の失脚を狙い、家臣に偽情報を流すと同時に、前久に不利な証拠を密かに隠滅させていたのだ。
漣は、前久の派閥に属しており、表向きは前久を支持していた。
しかし、漣は、前久を利用するつもりだった。
彼は、前久を利用して、二条家を潰し、自らの権力を拡大しようと目論んでいたのだ。
漣の策略は、見事に成功した。
尹房は、失脚し、二条家は、大きく勢力を弱めた。
前久は、漣の働きに感謝し、彼を、自らの懐刀として、重用するようになった。
漣は、前久の信頼を得て、朝廷内で、着実に、自らの地位を築いていった。
(次は、あの男か…)
漣は、冷酷な笑みを浮かべながら、ある人物に思いを馳せた。
尾張の風雲児、織田信長。
漣は、信長を利用して、自らの野望を実現しようと、考えていた。
その頃、尾張では…
宗則は、柴田勝家の屋敷の一室で、剣術の稽古に励んでいた。
信長に仕えてから、彼は、自らの体力の不足を痛感し、鍛錬に励んでいた。
「宗則殿、お見事…です…」
隼人が、感嘆の声を上げた。
「まだまだ…です…」
宗則は、息を切らしながら、答えた。
その時、宗則は、背中に、冷たいものを感じた。
それは、まるで、氷の刃が、彼の背骨を撫でるような、不吉な感覚だった。
(!?)
宗則は、振り返った。
しかし、そこには、誰もいなかった。
(気のせい…か…?)
宗則は、自らを落ち着かせようとした。
しかし、その不吉な感覚は、消えなかった。
(都で…何かが…起こっている…)
宗則は、胸騒ぎを覚えた。
(続く)