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第46話 これからのこと 3

 櫂の言うとおり、秋の精は間違いなく照れ屋だった。いつまでも夏の精たちが踊りにいそしんでいて、秋の精はその身を縮こませていたに違いない。

 まだまだ残暑が厳しくて、夏と言ってしまっても差し支えない日々の中で、薄らと秋の形が見え始めた。


「はる。お待たせ」


「櫂さん。何かあったんですか?」


 昨日までと同じ顔で、意味深な言葉を告げる櫂は、秋の空の様に澄んで晴れやかに見える。

 相変わらず毎日会いに来てくれる櫂の表情が、少しずつ淀んでいくのが心配だった。


「準備が、整ったんだ」


「準備って何のですか?」


「えっ? はるは、何のために桃を食べたの?」


「あ、その準備ですね」


 別に忘れていたわけじゃない。ただ、今のこの生活があまりにも平和で、心のどこかでその日が来なければ良いなぁなんて、思ってたのかもしれない。


「僕は僕で、ここまで色々と準備していたのだけど。はるが嫌なら、やる必要もないんだよ」


「嫌なわけじゃ……ないです」


 多分。

 自分の気持ちとはいえ、ちょっと自信がない。

 私、やりたくないのかな。


「本当?」


「はい。自分で決めたことですから」


 平和だけど、まるで足踏みをしているような生活。その生活ももちろん嫌いじゃない。

 それでも私は私自身の為に、やるって決めたから。


「無理しなくて良いんだよ。何のためになのかは、未だにわからないままだろう?」


「えぇ。そうなんですけどね」


 何のために……か。


「櫂さんは、知ってるんでしょう?」


「あ……うん。知ってる」


「教えてもらえないのは、仙帝のためですか?」


「いや、違う。あの方のために僕が何かすることはないよ」


「どうしてっ?!」


 これだけ一緒に居てくれるけど、櫂は仙帝側の人だよね?

 それなのに?


「僕には僕の事情があるからね。はるにその事情を背負わすわけにはいかないよ」


「それなら何で……」


「教えてもらえないかって? はるが桃を食べて消えてしまった記憶。そこにあまりに近いものは、どんな影響があるかわからないからね。もどかしいけど、伝えられない」


 仙帝のためじゃなくて、私のため?


「私、てっきり仙帝のためになるからだって思ってました」


「まぁ、そう思うのが普通だよね」


 櫂の笑顔は、秋風みたい。爽やかの中に、ほんの少し冬の寒さを混ぜた様。陽射しは夏の名残を背負ったまま、通り過ぎる風はどこか冷たさを含んで。照れ屋な秋は、途端に冬の後ろにその姿を隠してしまうのだろう。


「櫂さんには、本当にお世話になってばっかりですね」


「突然どうしたの?」


「いいえ。いつも、ありがとうございます」


 お礼を伝えても伝えても足りない。

 本当は、私の隣に住んでたのも櫂なんじゃないかって思ってる。

 私が忘れちゃったから。どこか変わっちゃったから。こういう形でしか、居られないのかな。


「お礼なら、僕にもミルクティー? 作って欲しいな。尚には飲ませたんだろう?」


 俯いた私の顔を覗き込んだ王子様。

 強くて、頼りになって、優しくて。

 櫂に思われる相手が羨ましい。


「ふふっ。飲みたかったんですか?」


「そりゃね。はるが作ったものなら、きっと美味しいだろうからね」


「わかりました。用意しますね。中へどうぞ」



 私が櫂にできる唯一のお礼。珍しくそれを求めてくれたから。

 私の気持ちを精一杯込めよう。

 いつも本当に感謝してること。もしかしたら、私自身も気づかない、それ以上の気持ちがあるかもしれないこと。

 全部この一杯に込めて。

 この残暑で嫌な甘さにならない程度にした、櫂の好みの少し甘みの強いミルクティー。


「どうぞ」


「ありがとう。僕よりも先に尚に振る舞ったって聞いて、少し妬けちゃうね」


「えっと……あれは……」


「冗談だよ。尚はあんな感じだからね。はるから歩み寄ってくれるとありがたいよ」


 そう言って微笑んだ櫂の顔は、いつも私に見せてくれる以上に優しげで。

 尚相手にならそんな顔もできるんだって、心の中に渦巻くのは、ヤキモチ?


「そういえば、尚とは会ってる?」


「はい。尚さんも、よく顔を出してくださいますよ」


「へぇ。僕とは三人で会って以来なんだけどね」


 櫂の言葉にはどこかトゲがあって、何だかいたたまれない。


「す、すいません」


「謝ることじゃないよ。少しからかいすぎたかな。今日も本当なら姿を見せるはずなのに、まだ来やしないし」


「尚さんのことも、呼んだんですか?」


「そのつもりだったんだけど……。まぁ、ここで話しておけば大丈夫だろうから」


「それって……どういう……」


「尚にはね、お見通しってことさ」


『お見通し』そんな何でもない言葉が、頭の隅に引っかかる。それは指先に刺さったトゲみたいに、痛い様な痒い様な。それを気にすればするほど、ズキズキと頭全体に痛みが広がる。


 この頭痛は桃を食べた副作用なのかな。

 抜けないままにしてあるトゲはいくつもあって、刺さったままだったことを不意に思い出させてくる。

 忘れておかなきゃ。

 痛みに耐えきれずに、早く忘れようとしてる自分が居て。風化したトゲも少なくはない。


「はる? 大丈夫?」


「大丈夫です」


 心配そうな櫂の顔を吹き飛ばす様に、何事もなかった顔を見せる。

 櫂には心配かけてばかりだから。


「それなら、本題に入ろうか」


「はい」


 櫂の声のトーンが一つ下がって、いつもの冗談めいた声色は姿を消した。


「仙帝がどこにいるかは、はるが知ってたよね。大抵の時間はあの館にいるから、突撃すれば会えると思うよ。周りに他の仙人達がいない様にしたかったけど、流石に全員は無理だ」


「いない様にって……」


「そのために少し時間をもらったんだ。表立って協力はできない代わりに、これぐらいね」


「そしたら、館には……」


「わずかな仙人と、木偶。それと仙帝だけ」


 櫂の根回しに、驚きと嬉しさ。そんないくつもの感情が押し寄せて、溢れそうになる。


「そんなの、大変だったんじゃないんですか?」


「これからはるがやろうとしてることに比べれば、何も大変じゃないよ」


「でもっ……」


 溢れた感情は、どうやっても言葉にはならない。舌に乗せられなかった感情が、ついに目から零れた。


「本当は隣に立っていたいのに、そんな風に泣かれたら、僕はどうすればいいかわからなくなるよ。当然って思っておけばいいさ」






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