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第49話 尚の覚悟 3

「尚! 我の館をこの様にしたのは貴様か!」


 これまで木偶が飛び出してきていた入り口から、大声を上げながら一人の男の人が歩いてきた。


「あれが……」


「そう。仙帝だよ」


 初めて見る仙帝は、予想外に若く見えた。仙人って名前から想像できるぐらいのお爺さんだと思っていたのに。


「櫂! 其方はそこで何をしている!」


 尚の次は櫂のことまで、無遠慮に怒鳴りつける様子は、心の中に黒いものが落とされていくみたい。


「これといって何もしておりませんよ。報告すべきことはございませんね」


 飄々と口にした櫂の言葉に、仙帝の顔が怒りで赤くなっていくのがわかる。


「何もしておらぬはずがないだろう。何故其方が木偶を倒すのか!」


「おや、ご存知でしたか。私の様な者のすること、歯牙にもかけないと思っておりました」


 櫂の顔には、わざと相手を煽る様な笑顔が浮かんでいて、何がやりたいのか隣にいる私でもわからない。


「其方は私の側近であろう!」


「そうですよ。両親共々お世話になっております」


「それならば、何故!」


「もう懲り懲りなんですよ。貴方に小間使いの様に扱われるのも、いつまでもある人に誤解されたままでいるのも。両親もね、ようやく貴方から離れられて、清々しい顔をしておりました。幼い私を助けてくれた恩だけで、使われ続けるのは限界だったんでしょうね」


 櫂の声が低く冷たく、辺りに響き渡る。木偶の姿も見えなくなった一帯には、私たち四人しかいないみたい。


「そうだ! 私は其方の命の恩人だ!」


「両親には申し訳ないですけど、私、この命に未練などないんですよ。いつ、その時がきても構わない。苦悶の表情を浮かべながら貴方に付き従う両親を見ていればね、私などいなければ良いのにって、そう思わずにはいられなかったんです」


 その言葉通り、今にも櫂が消えてしまう気がして、櫂の長めの袖をそっと掴んだ。

 そんな私に視線を合わせて、見せてくれるのは少し影のある王子スマイル。


「それに、大好きな友人が理不尽な目に遭うのも、その人に仙帝の手先だと思われ続けるのも嫌なんです。私は彼に警戒されたままですから。何をしても腹に含みがあると思われる。きちんと話をして、笑い合って、じゃれ合って。そんな関係を望んでいるのに」


 目の端で、尚がわざとらしく顔を背ける。

 大好きな友人って、尚のことなのね。


「友人など、必要ない!」


「貴方はそうかもしれませんね。その時間を長くするためだけに、どんどん知り合いを減らしていっているんですから。私を貴方と一緒にしないでいただきたい」


 櫂が仙帝に向ける視線は、私がこれまで見たどの目つきよりも冷たくて、向けられるのが私だったら、きっと恐怖で身をすくめてしまう。


「この私に、何という言い草だ!」


 ついに怒りが限界まで達したらしい仙帝が、櫂に向かって手のひらを向けた。

 そこから飛び出してきたのは炎。それがまるでロープの様に自由にうねりを上げて襲いかかる。


「危ない!」


 思わず目を瞑ってしまった私とは違って、即座に声を上げたのは尚だ。

 尚の手から繰り出された玉は、間違いなく仙帝が放ったものよりも遅く放たれたはずなのに、仙帝の炎よりも先に櫂の前に到達する。

 炎が直撃した玉の中身は膨大な量の水。それが炎のロープを飲み込んだ。


「櫂、何をやっている? 其方らしくもない」


「すまない。余計な力を使わせた」


「大したことではない。其方に何かあれば、彼女も私も困る」


 あれほど大きな水玉作り出しておいて、息一つ上がらない尚と、炎を打ち出した後は肩で息をしている仙帝。

 誰が見たって尚の方が強いに違いない。


「尚! 邪魔をするな! 貴様も親のようになりたいか!」


 尚の両親? 一体、どういうこと?


「私の親のように? それを、お前が私に言うのか?」


「あれ程昔のこと、貴様は覚えておらぬかもしれんがな。私の炎に囲まれて、無様な姿を晒しておったわ」


 仙帝の言葉に、尚の眉間に深くシワがよる。

 さっきまでの冷めた表情とは違う、敵意に満ちた顔が広がった。


「両親のことは、何も覚えておらぬ。どんな最期だったのかも、その顔も声すらも」


「実の親のことすら忘れるとは、何とも薄情な奴よ」


「あぁ。そのようなこと、お前に言われるまでもない。何もかも忘れてしまった私が、一番理解している」


「ならば教えてやろう。私に負けた奴らがどのような末路を辿ったのか。仙人というのは、その時が来れば呆気なく終わりが来るくせに、強制的に最期を迎えさせようとすれば、一筋縄ではいかぬ。炎に揉まれ、長々と叫び声をあげておったなぁ」


 仙帝の言葉にその光景を想像すれば、酷い胸焼けが身体中を襲う。


「気持ち悪い……」


 治らない胸焼けと吐き気。上手く飲み込むことのできない唾液が喉に絡みつく。


「はる。大丈夫? あんな言葉、聞く必要ないからね」


「櫂さん。あんなの、酷い」


 吐き気を我慢しようと浮かんだ涙が目から零れ落ちた。

 自分の両親の最期をあんな風に聞かされるなんて。


「貴様が懸想している女も、同じ目に遭わせてやろう」


 懸想?

 尚には思う人がいるってこと?


「そのようなこと、みすみすさせてたまるか」


「やられたくないのであれば、貴様が代わるか? あの時のように、代わりに捕まるが良い」


「あの様な失態は二度と起こさないと、そう言ったはずだ」 


「どうだか。試してみようじゃないか」


 そう言った仙帝の手のひらから放たれた炎は、尚ではなく真っ直ぐにこちらへ向かってきて、私が慌てて作り出した水玉の前に、庇うように櫂が立ちはだかった。


「櫂さん!」


 櫂が炎に向かって剣を振り下ろそうとした、その切先を掠めるようにしながら、先程よりも更に巨大な水玉が炎を飲み込んだ。


「櫂にもはるにも、手出しさせるわけにはいかない」


 仙帝の攻撃にびくともすることなく、尚の声はいたって冷静だ。

 いつもの様に涼しげに見える表情には、底知れぬ怒りが見え隠れしていて、そのギャップが余計に怖い。


「彼女に直接攻撃を仕掛けたこと、後悔させてやる。今度はこちらの番だ」






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