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第52話 もう忘れたりしない 1

 櫂が仙帝となって、何度季節がめぐっただろうか。

 何人もの精霊が踊っていったっけ。

 緩やかな時間が過ぎ去るだけの日々を堪能しながら、仙人島で暮らす段取りが整い始めていた。


 新しく仙帝となった櫂と一緒に前仙帝を倒した私に、無用な注目が集まるのを避けるため、未だに私は独りで暮らしてる。

 欲しいものは櫂が手に入れてくれるし、家の目の前にある大岩に癒されながら、新しい料理を作る毎日。

 ここでの平和そのものの暮らしも、もちろん悪くはないんだけど。


 櫂に頼ってばっかりもいられない。

 屋台で料理を作って売って、それで何とか暮らして行こうってそう決めたから。

 仙人島での家だけは、櫂のがらんとしたあの家を譲ってもらって。それでやっていけるはず。


「はる! 急いで! 出かけよう!」


 突然上空から掛けられた声に、慌てて上を向けば、天馬に乗った櫂が私に向かって手を伸ばした。


「え? は、はい!」


 伸ばされた手を、思わず手に取ってしまえば、そのまま天馬に乗るときの指定席。櫂に包み込まれる様に座らせられた。

 体が大きくなって、自分で絨毯に乗れる様になったあたりから恥ずかしさが増してたのに。

 こんなところを誰かに見られでもしたらって、ここの所避けてたのに。


「さぁ、どこに行こうかな」


「え?! 目的があって連れ出したんじゃないんですか?!」


 とぼけた声で話す櫂の方へ振り向きながら、つい詰め寄ってしまった。

 二人で天馬に乗ってる時は、背中に櫂の体温を感じてしまうぐらいに距離が近い。そのまま振り返ってしまえば、いつもよりもぐっと近くにある櫂の顔。

 体が小さい時は良かった。同じ様に振り返っても、目の前に広がるのは櫂の胸元。その整った顔までは、まだ少し距離があったのに。


「ご、ごめんなさい!」


 触れてしまうぐらい近くにあった櫂の唇。長いまつ毛に形どられた金色の瞳は透き通るようだ。


「おや? 僕のこと、意識してくれるのかな?」


「そ、それは……そうでしょ」


「嬉しいねぇ。でも、今のはるに付け入るのは、やっぱり卑怯だろうな」


 櫂の顔が見れずに俯いたままぼそぼそと肯定する私の後ろから、櫂の声が聞こえてくる。


「卑怯?」


「あぁ。僕は僕以上にはるのことを大事に思ってる奴を知ってるからね。彼がはるに気持ちを打ち明けるまでは、気長に待つつもりさ」


「誰のことですか?」


 櫂以上? そんな人に思い当たりがない。いたとしても、櫂ほど優しくて頼りになる人なんていない。


「いつか、はるが気づいてくれることを祈るよ。仙人の時間は悠久だ。小さな一歩を積み重ねて、それが形になるのを待つことができる。そうなったらね、僕と彼を並べてみて欲しい」


 私の中に薄く色づいた櫂への気持ち。それを打ち明けたところで、櫂は受け取ってくれないだろう。私の気持ちが色濃くなって、はっきりとした形を作る、その時をゆっくり待とう。

 今はまだ蓋をしたまま、溢れるその日を待てば良い。


「待たなきゃいけないんですね」


「はるのためにもね」


 私の、ため?



「さぁ、到着した」


 目的なんかないまま空中を漂っているだけだったはずの天馬は、いつしか櫂の思う場所に着いたらしい。


「ここは?」


 周りに目をやれば、見覚えのある聖廟。緑が成人の儀をあげた場所だ。

 その端にできた人だかり。何人もの人が着飾った男女を取り囲んだ結婚式。


「今日、結婚式があったんですね。素敵です」


 こっちの世界に飛ばされてきたって、やっぱり結婚式は憧れで。誰のかわからない式でも、つい目を奪われる。


「うん。よく見てごらん」


「よく?」


 櫂に言われて、注意深くその光景を見つめた。

 すると人だかりの何人かは見知った顔で、誰もが新しい夫婦を見ながら笑顔で。


「緑?!」


 その中心にいたのは、緑だった。


「今日が結婚式だって知ったからね。連れてきてあげたかったんだ」


「緑! おめでとう!」


 緑の幸せそうな笑顔に、私も大声でお祝いを告げる。もちろん、遥か上空からの私の声は、緑には聞こえるはずなんかない。私がここにいることだって、気づきもしないだろう。

 それでも、緑の笑顔は私を嬉しくさせてくれるし、父さんの泣き笑いみたいな顔は可笑しくて仕方ない。


 ひとしきり笑った後、緑が相手の女の人を見つめる優しい瞳に、鼻の奥がツンと痛くなった。

 ずっと私のことを助けてくれたお兄ちゃん。

 これでもう、甘えてばかりもいられなくなっちゃうな。

 この世界に落ちてきて、あの草原で会った時から、私を見続けてくれた優しい瞳。

 八年もの間私に見せてくれた、いくつもの緑色の瞳を思い出す。その瞳から見える感情に優しさ以外が入り込んできたことも、本当は気づいてた。

 それでも、やっぱり緑のことをお兄ちゃんとしか思うことはできなくて、ずっと大好きなお兄ちゃんでいて欲しくて、緑のこと傷つけた。

 これからは、隣にいる相手の人を守ってあげてね。


「櫂さん。連れてきてくれてありがとうございました」


「二人も、はるに見て欲しかっただろうからね。間に合って良かった」


 仙人になってしまった私を呼ぶことは、できなかったんだよね。

 櫂の言った通り、見せたかったって思っててくれたら良いな。


「もう行きましょ」


 気づかれたら、きっと邪魔になっちゃうし。

 嬉しいはずの緑の結婚に、泣き顔になっちゃった私の顔なんて相応しくない。


「このままで、いいのかい?」


「良いです。行ってください」


 私の言葉に、天馬がその翼をはためかせた。

 いつもよりゆっくりと進んでくれたのは、櫂の優しさで。周りの景色がゆったりと後ろに流れていく中で、もう一度だけ振り返った。

 幸せそうな緑の顔を、もう一度目に焼き付けようと、ほんの少し天馬から身を乗り出した。

 手綱を握っていた櫂の手も、私の邪魔をしない様に緩くなって。

 遠くなっていく緑に、手を振ろうとしたんだ。



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