「ここの家を無くしちゃって、尚は今どこに住んでるの?」
私が住みついたままの尚の島。元々あった尚の家は、私の記憶がなくなった時に消えた。今はその跡が薄らと残るだけだ。
「……家を消してしばらくは、癒しの木の根元で生活していた」
尚が言いづらそうにした理由はこれか。
「木の根元って、野宿ってこと?!」
「あぁ……」
「睡眠ぐらいきちんと取らないとって、前に話したよね?」
私の言葉に、どんどん尚が小さくなっていくみたい。
怒ってる理由、わかってるよね?
「い、今は! ちゃんと家で寝ている。櫂が仙帝となって、はるの身に危険が及ぶこともないと確信した。だから今は……」
「本当だね? それなら良かった」
「心配、しなくて良い」
尚の顔と声に安堵の色が広がって、口元から覗く白い歯が、その笑顔を印象づける。
最近の尚は、こうして笑顔を見せてくれることが多くなった。
彼の生活の中で気を張ることが減った証拠なら、私がやったことにもちゃんと意味がある。
「それって、どこにあるの? この島? 仙人島?」
この島の中なら、きっと私でも見つけられてる。
癒しの木の場所みたいに、尚が一緒じゃないと行けない場所なのかな。
「別の島を作った」
壮大な規格外を、何てこともない様に口にした。
「別の島? 島ってそんなに簡単に作れるの?」
「さほど難しくはない。少し仙力は必要だが、それだけだ」
「そ、そう……」
櫂が聞いたら、目を回しそうだ。
仙帝になってからの櫂は、思った以上に力を使うところが多いって、そんな風にぼやいていたのに。
島を作ることが難しくないだなんて……
『島を作るなんて規格外』って言った櫂の言葉を思い出す。
「見たいって言ったら、連れて行ってくれる? この島と似てるの?」
私の記憶が戻ってから、尚との距離は近くなったら気がする。
これまでよりも尚に言いたいことを言えるようになったし、尚の笑顔だって……
「見せるのは、ちょっと……」
「ダメなの?」
「だめ、なわけではないが」
ぼそぼそと尚らしくもない歯ぎれの悪い言い方に、こちらもつい食い下がってしまう。
「ね。いいでしょう?」
こんな風に強く押してみれば、尚は無下にことわったりしないってわかってて。
私も性格悪いよね。
「わかった……連れて行く」
渋々ながらも承諾してくれる尚は、やっぱり優しい。
「乗るだろう?」
私が乗るためにわざわざ馬を作り出して、手を差し出してそう言った。
恥ずかしいけど、場所もわからないし、仕方ない。
そっと尚の手を取って、馬に跨る。
ふわっと飛び上がった馬は、仙人島の上空まで上がると、尚の島とは反対方向に進路を向けた。
そこにあったのは、尚の島よりも一回り小さい島。
そこにも川が流れて、草原が広がって。そして一軒の家。
「あんまり、変わらないね」
「大して楽しいものではない。もう良いか?」
「うん……そうだね」
こんな景色なら、どうして尚はあんなにも渋ったんだろう。
家の中に何かあるの?
私に見られたくないもの?
物がなかった尚の家を知ってる私に、見られたくないものだとしても、物がある尚の家というのは想像し難い。
「ちゃんと家もあったであろう? 心配することなどない」
「それもそう……って、あれは?」
ちょうど尚の体の向こう側。まるでそれを隠す様に尚が遮っていたみたい。
あちこちに視線を送る途中で、見えちゃった。
尚が隠したかったもの。
「あれは……」
「あれ、畑だよね?」
尚の島に不似合いな畑が、草原の隅に堂々と広がっていた。
尚の体越しに私が畑を覗き込めば、みるみるうちに尚の顔が崩れていく。
「ちがっ」
「違うの?」
いやいや、あれはどう見たって畑だよ。
「いや、合っているが……」
「何で畑があるの?」
尚の島には不似合い、どころか不必要だよね?
食べなくても平気な人が、料理をするわけでもないのに?
「いや……それは……」
歯ぎれの悪い尚の言葉。
聞かれたくない事情でもあるの?
「何が植えてあるの? 近くで見てみたいから、降ろして?」
ついに黙ってしまった尚が、無言で畑の近くに馬を寄せる。
青々とした葉をつけてるものも、峰だけが出来上がってる場所もある畑を見れば、見たことのある葉を見つけた。
「これ、人参? 他には?」
「あ、後は牛蒡。苺もある」
人参に牛蒡に苺? 何の共通点も感じられないラインナップ。
畑の周りを歩いて、植えられたものを見ながら色々考えを巡らせる。
「何で、それなの?」
「ほ、干し肉ときのこがあれば良いと言っていたではないか」
干し肉ときのこ、人参、牛蒡……
あぁ。そうだ。
「私が話した、炊き込みご飯の材料だね」
黙ったまま俯いてしまった尚の頭を見ながら、嬉しさで顔が綻ぶ。
「尚は、あれが好き?」
俯いたままの頭が、私の言葉を肯定する様に縦に動く。
「悪くないって言ったままどこか行っちゃったから、気に入らなかったのかと思ってた」
「お、美味しかった」
櫂の前で素直に感想を言えなかった尚の不器用さを、今の私はちゃんと理解してる。
だからこそ、今こうして私にだけ素直に伝えてくれることが何よりも嬉しくて。
「また、作るね」
尚の顔を覗き込んで、ちゃんと伝えた。
今度こそ忘れないから、約束しよう。
「はるは、仙人島に住むのか?」
「うん。櫂が用意してくれた家に、移り住む予定だよ。そろそろ、私が行っても余計な注目を浴びずに済みそうだし」
「ここでは、嫌だろうか? やはり、仙人島で櫂の側で暮らす方が良いのか?」
尚の言葉の意味が理解できない。
仙人島で暮らすことは、既に決定事項で。
この島で私が暮らす理由は、もう何もない。
「ここって、この島? 今は櫂さんが仙帝だし、私が仙人島に行っても困ることはないよね?」
「もちろん、はるが仙人島に住んだって、何も起きはしない」
「それなら、ここに住む理由がないよ」
「理由……そうか。何もかも、今更だな」
仙人島に住むより、もしかしたらここに居られる方が幸せなのかもしれない。
今の島だって、尚に返さなきゃって思ったから出て行くつもりだったし。
でもね、また尚にお世話になるわけにいかないじゃない?
京香さんは一人前に仙人として生活しているのに、同じ立場の私だけがおんぶに抱っこっていうのも、変だよね。
「櫂さんも、家の中を整えて待っていてくれるから」
「櫂か……櫂には、私から謝罪する。今度こそ、はるの好みの家を作る。島だって、もう少し広い方が良ければいくらでも……」
「ちょ、ちょっと待って」
「癒しの岩も木も、こちらに運んでくることも可能だ」
「尚?」
まくし立ててくる尚の言葉に、どう口を挟んで良いのかもわからない。
どうしちゃったの?
「だから、だから……」
「だから?」
「また、私の側に居てくれないか?」
驚いた私の気持ちを揶揄うように、草原を穏やかな風が抜ける。
「尚の側に?」
「あぁ。以前のように。私の時間の中で最も幸せだった時のように」
最も、幸せ?
私と一緒に居た時が?
「そんなの、だめ」
「あ……そうか。やはり……」
私の言葉に、心底ショックを受けた尚の顔は、見たこともないぐらい引きつっていて。
「うん。だめだよ」
「すまない。はるの気持ちも、考えもせずに」
「あの時が一番幸せだなんて、そんなの絶対にだめ」
言葉の意味が理解できていない尚の顔をしっかり見つめ直した。
奥歯を少しきつく噛み締めて、全身に小さく力を入れる。
頭の隅の方で、一度惹かれてしまった櫂への気持ちがチラつくけど。
「尚はこれからもっと幸せになるの。これまでの分を取り返して、余りが出るくらい。今まで理不尽な目に遭ってきた分、たくさん幸せになって良いんだよ」
力が抜けたままの尚の手をそっと握って、真っ直ぐ目を合わせる。
「尚に幸せになってもらいたいの。もし、それに私が必要だって言ってくれるなら、一緒に居よう」
笑いかけた私を見て、尚の口元が動く。
太陽に照らされた白い歯が煌めいて。
私の心臓が弾んだ。