「おや、見つかったかね?」
やっぱり立ったまま寝ていた無花果さんは、僕が帰ってきた気配を察知すると、ネコ科の大型動物のよに優雅に伸びとあくびをした。
杉の木から背中を離した無花果さんに、いまだに残っている吐き気をこらえながら問いかける。
「……どうして、ここがわかったんですか……死体の状態まで……」
「あー、まあた『種明かし』か!」
こきこきと肩を鳴らす無花果さんは、盛大にめんどくさそうなため息をつくと、
「わかったわかった! 説明するから! 小生アキラメの境地だよ! いいだろう! めんどっちくてつまんない君のために、篤とご説明いたしましょう!」
大げさな口上ではあるものの、無花果さんなりに僕との付き合いの中の妥協点を見出してくれたらしい。
ひとつうなずくと、僕は無花果さんが立てる人差し指に見入った。
「まずは、殺人が本当に起こったかどうかだ。殺されたのは本当にニンゲンなのか? 犬猫の大量虐殺ではないか? アレルギーを聞いたのはそのためだよ。路地裏に入るとくしゃみが出る、おそらく動物アレルギーだろうね。だから、犬猫の線は薄い」
続けて、無花果さんはもう一本指を立てた。
「ならばニンゲンだ。ニンゲンの、それも致死量の血にまみれていた。凶器のペーパーナイフも充分な得物らしい。ならば、充分にひとは殺せる。凶器の面もクリア」
そして、三本目の指。
「警察のお世話になったのだって、徘徊などではなく破壊活動だ。コンビニの店員の言動でムッとするなんて、少々沸点が低すぎるよね? ちょっとしたことで怒りを覚えるけど、無理やりに抑え込んでいる。つまりは、抑圧された衝動があるということだ」
「けど、殺人は無意識下で行われたんですよね? だったら……」
「無意識下だったからこそ、だよ。あらゆる抑圧から解放された状態で、衝動を発散させる。夢遊病というやまいも、おそらくは過度な抑圧が生んだ歪みだろうね。押さえ込んでいた衝動が発露した、『動機』としては充分だ。以上から、殺人が起こったという事実はまず間違いない」
凶器と動機。ひとひとりを殺したという論理は通っている。
しかし、なぜ殺した死体が消えたんだ?
無花果さんはやれやれと肩をすくめて、
「どこで殺されたのかは重要ではないよ。手がかりにならない、と言った方がいいか。当日は雨だ、血痕が残っていても洗い流されてしまう。それに、今回は防犯カメラでお縄になることもなかった。カメラに映らない場所なんて特定できないだろう。だからこそ、殺人のその瞬間の現場のことは考えない」
大胆な切り捨てだった。思い切りがいいというか、こういうときの無花果さんは切り替えが早い。
「それでは、『捨てた時』はどういう状況だったか? ふらついていて自転車にも乗れないなら、移動手段は徒歩だろう。防災意識の高いタブンくんは普段からスウェットで、メガネも靴も準備してある。不審がらずに出かける用意はいつでもできている」
「……だから、夜の街を死体を担いで歩いていても、酔っぱらいを介抱しているようにしか見えない……」
「そう。まさか死体を担いでいるなんてだれも思わないだろうからね。加えておそらく犯行時刻は深夜だ、ひと通りも少なかっただろう」
「殺害現場から死体が消えた理屈はわかりました。けど、どうやってこんな山奥まで運んできたんですか?」
「まあまあ、結論を急ぐことはないよ。そうだね、タブンくんはゲームですら手を抜かない完璧主義だ。それゆえに、破壊にも完璧を求めるだろうね。では、死体を完全に壊すにはどうすればいいか?」
「……電車にひかせる、とか……?」
「言っただろう、深夜だ。終電もなくなっている。他には、たとえばビルの高所から突き落とそうにも、どのビルも閉鎖されているし、屈強な警備員が見張っている。防犯カメラにも写っていないし、そもそも事件にもなっていないということは、死体は見つかるような形で破壊されたのではないのだろう」
「死体を破壊……他には……トラックかなにかにぶつけたりとか……?」
「その通り! 君もわかってきたじゃないか! タブンくんもそう考えて、雨の中死体を背負って歩道橋にのぼった。そこから落としてひかせるつもりだった。雨の夜で視界も悪い、トラックが来たタイミングで落とせばまんまとひいてくれるだろうね」
「だけど、そもそも事件になってないって、無花果さんは言ってましたよね?」
「おやおや、よく覚えてるねえ。じゃあ、たとえばひかせるつもりが、そのトラックの荷台に丁度よくぽとんと落っこちてしまったら? タブンくんが結末を見届ける前に、死体を乗せたトラックは去っていっただろうね。そのままトラックは何も知らぬまま目的地まで死体を運ぶ」
「それだと、積荷を下ろしたときに見つかるんじゃ?」
「ああ、普通のトラックじゃダメだ。ゴミ処理の、しかも認可されてない不法業者のトラックだ。でなければ死体なんてすぐに見つかってしまうからね。トラックは違法のゴミ処理施設まで死体を運ぶ。そしてざーっと積荷を機械の搬入口に流し込んでしまって、積荷のゴミといっしょに『キューブ』にしてしまう」
「……ひどい話ですね」
「まったくだよう! あとは出来上がった『キューブ』を不法投棄の現場までまた運ぶ。全部テキトーだから死体が混ざってるなんてわからない。それに、不法投棄だからまずひとには見つからない。それでここまでバレずに運ばれてきたってわけだ」
「……なるほど……小鳥さんにはなんて書き付けたんですか?」
「小鳥ちゃんには、タブンくんが徒歩でたどりつけるような歩道橋を割り出してもらって、その歩道橋に設置されているNシステムに介入してもらって、不法業者のトラックのナンバーを特定してもらったんだよ」
「Nシステム、って……それ、警察の領分じゃないですか!」
「まあ、違法だよねえ。けどまあ、手段はああだこうだ言っても仕方がない。そのままNシステムでトラックを追跡してもらって、ゴミ処理施設の業者を特定して、その業者が不法投棄をしている場所を探してもらって、ここへたどり着いたというわけさ!」
……そんなところで、要領の悪い僕も『おおむね理解』した。
すべてはタイミングの問題だったのだ。雨の日の夜、偶然通りがかったトラックに、偶然死体が乗ってしまった。偶然にもトラックは違法なゴミ処理業者のもので、そんな偶然がいくつも重なって死体は『キューブ』となり、ここまで誰にも知られることなく運ばれてきたのだ。
「……毎度毎度、よくわかりましたね」
ほう、と感嘆のため息をつくと、無花果さんはカンニングがバレた子供のような顔をして、
「今回はだいぶん小鳥ちゃんに助けてもらったけどね。まあこれくらいは朝飯前さ! ニュースになっていないところを見ると、被害者はおそらくホームがレスの方だろうねえ。捜索願いが出されていないとなると、遺族の方々もいないということになる」
なるほどな、と僕は改めて『キューブ』を見下ろした。ホームがレスだろうともひとはひとだ、これは殺人事件だ。
ひとひとりのいのちが失われた。歴史が失われた。思い出も夢も未来も失われた。
死体という現実とようやく出会って、なにもかもがあやふやだったタブンくんの『罪』が浮かび上がる。
ぞっとするほと鮮明に。
「さあ! 死体を運んできたまえ! 凱旋の『創作活動』だ! あのいけすかないやつに小生の『作品』をぶつけてやるんだ! ああ、今回はちょっとだけ君にも協力してもらうよ!」
「……協力……?」
「おいおいわかるよ! さあ運べ!」
「……ちょっと待ってください。あれ、大きな鉄のかたまりですよ? すんごい重いんですけど……」
「なあに、引越しのアルバイトだと思えば!」
ヤなダンボールだな……
ともかく、僕はどうやらあの奥地にあった『キューブ』を担いで、軽トラまで運び込まなければならないらしい。
ちょっと動かすだけでも大汗をかいていたのに、けっこう離れている軽トラまで運ぶとなるとかなりの重労働だ。
耐えてくれよ、僕の肉体……
屠殺場へ運ばれていくビーフのような気分になって、僕は仕方なしに腕まくりをして、再び『キューブ』の元へと戻るのだった。