死体を軽トラに積み込むには、かなりの体力と時間を要した。正直、かなりしんどかった。
あたたかくなり始めた季節、汗だくのへとへとになった僕に慈悲などかけてくれる無花果さんではなく、即座に軽トラを飛ばして事務所へ戻るようけしかけた。
やっぱりラジオを爆音で流しながら高速をぶっ飛ばしているうちに、いつの間にか夜が明けようとしていた。DJも朝の音楽を流し始めている。
そんなこんなでほうほうのていでたどり着いた事務所の『アトリエ』に、また苦労して『キューブ』を運び込むと、無花果さんはなぜか一旦『アトリエ』から出てきた。
「まひろくん、まひろくん!」
「なんですか?」
おやつをせがむ子供のように呼びかけられて答えると、無花果さんはないしょ話をするように耳にささやきかける。
「そこでぬぼーっと座っているタブンくんの顔写真が欲しい。できるだけ笑顔のやつ! あと、フィルムも余りがあったらもらいたい!」
「ああ、そういうことでしたら……」
創作の『協力』とはこういうことか。おそらくは『作品』に使うのだろう。写真家の端くれとして、この要望には答えなくてはならない。
「すいません、ちょっと写真を撮らせてもらえませんか?」
死体の惨状など知りもしないで、タブンくんはきょとんとした。
「……え、いいですけど……」
承諾をもらったので、僕は首から下げた一眼レフのレンズをタブンくんに向ける。
「できるだけいい笑顔でお願いしますよ」
「……えがお……わかりました……」
そう言うと、タブンくんはへらりと気の抜けた笑みを浮かべた。そこをぱしゃりぱしゃりと二、三枚。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、すぐさま暗室で現像する。『作品』に使うのならばできるだけ早く仕上げた方がいいだろう。
ほどなくして、現像液の中でタブンくんの笑顔が浮かび上がってきた。どこにでもいそうな新卒リーマン、人畜無害な笑い顔。
しかしながら、この人物はひとをひとり、殺している。
出来上がった写真を持って『アトリエ』へ向かうと、無花果さんはすでにいつもの儀式に入っていた。
窓ひとつない『アトリエ』で、小さなランプに光をともして、その真っ只中でひざまずき、手を組んで祈りを捧げている。
……ひどい匂いがした。死臭のそれではない。これは、なにか石油のようなにおいだ。
無花果さんはいつも、『創作活動』の前にこうする。それは『死』を想う行為であり、罪のない死者のために送る哀悼の意だ。このどこのだれとも知れない死体の『死』を悼むのは、これからこの死体を使って『作品』を作ろうとしている無花果さんだけなのだ。
僕は自然と、その祈りにカメラを向けていた。最初の一枚を撮影する。
「……As I do will, so mote it be. 」
我が意のままにかくあれ、と唱えると、そこで祈りの時間は終わりだった。無花果さんが閉じていた目を開く。
創作の時間が始まる。
まず無花果さんは、小鳥さんが用意したらしい大量の五寸釘とトンカチを手にした。そして、死体が『封入』された『キューブ』に五寸釘を打ち込む。
かあん!かあん!と呪いの儀式じみた勢いで、次々と五寸釘を叩き込んでいくと、たちまち『キューブ』はトゲだらけになった。
次に、これも小鳥さんが用意したらしいマネキンに、タブンくんから預かっていた凶器である五寸釘のペーパーナイフを持たせる。動かないように針金で固定して、マネキンに『キューブ』の前でバンザイのポーズを取らせた。
そして、どこからか一斗缶に入った黒い粘液を、『キューブ』にもマネキンにも思いっきりぶちまける。コールタールなのだろう、ひどいにおいの原因はこれか。ぶちまけられて、余計に頭がくらくらするような悪臭がした。それでも僕はシャッターを切り続ける。
更に無花果さんは、マネキンの頭部を勢いよく引きちぎって、代わりに白くてふかふかの枕を取り付けた。そしてその枕に、僕が撮影した笑顔のタブンくんの写真をピンで貼り付ける。
どこからそんなちからが出てくるのだろう、鬼気迫る様子で髪を振り乱し、そのマネキンにも五寸釘打ち込みまくる無花果さんは、まさしく丑の刻参りをする魔女だった。
やがてマネキンも『キューブ』同様にトゲまみれになる。
そこへ僕から受け取った余りのフィルムを切り刻んだものを撒き散らして、ようやく『創作活動』は終わった。
すっかり疲弊した様子で老婆のようなため息をこぼし、無花果さんがうめく。
「……出来たよ。これが今回の私の『作品』だ」
いまだに『創作活動』の熱に充てられてぼうっとしている僕も、シャッターボタンを押す手を止めて、ファインダーから目を離した。
……ナマで見る『作品』は、ひたすらに不気味で、ともかく気味が悪い。
それは、バケモノのおぞましい犯行の再現だった。
ただでさえ悲惨なのに、五寸釘でさらに痛めつけられたいたましすぎる死体。その死体の断ち切られた歴史や、未来が記されるはずだった、切り刻まれたフィルム。
そのすべてを、無機質な悪意の黒が汚している。絵の具なんかよりもずっと悪臭を放つ、粘つくような重々しい黒。
そう、これは悪意だ。ここには悪意しかない。何本もの五寸釘が、コールタールがマネキンから始まっている。害意に伝染したように、『キューブ』は傷つけられ、汚されていた。
……そうだ、この悪意のみなもとはこのマネキンだ。
なにもわかってない、他人事みたいな笑顔でふかふかの枕で眠る殺人者は、凶器を握りしめてバンザイをしている。
僕は悪くないよと、これは悪いことなんかじゃないよ、と鼻歌を歌うように。
ひたすらに不気味だった。無自覚な悪意を発散するマネキンは、間違いなく殺人者に見立てている。こんなにもひどいにおいを放っているというのに、マネキンに貼り付けられた写真ではタブンくんが間の抜けた笑みを浮かべている。
こんなに悪意を撒き散らして、目の前には変わり果てた死体があるというのに、枕で眠る殺人者はどこまでもモブの顔をしていた。殺人なんて大それたこととは関係ない、そんな笑顔が気持ち悪い。
アンバランスで、いびつで、盛大にズレている。すべての違和感が、一挙におぞましさに変わった。
これは、バケモノでしかない。
なんの目的も、責任も、当事者意識も存在しない。
ただ悪意という感情だけが暴走して、死体を犯している。コールタールで黒く染まった『キューブ』とマネキンに相反するように、枕だけが真っ白だった。夢の中には殺人は存在しない。まるで枕の白に守られるようにして、タブンくんはぼんやりと笑っている。
バンザイをして無邪気にその『死』を戦果のように誇る姿は、僕たちモンスターよりも、もっと醜悪でグロテスクな『バケモノ』だった。
たとえば、ゲームの中。たとえば、テレビニュースの中。たとえば、ネットのSNSの中。
どこにだって、自覚のない悪意は存在する。
それが夢の中にあったっておかしくはない。
まるで現実感のない笑顔で悪意にまみれている『バケモノ』。
それがこの『作品』から読み取れるものだった。
無花果さんの『作品』にしては、珍しいくらいにストレートに理解できた。
コールタールの悪臭が悪意そのもののように伝わってきて、こめかみが痛くなる。
理解しやすいとはいえ、いつも通りにこころをこぶしで殴りつけるように暴力的な芸術だ。頭を殴打されたような衝撃でめまいがする。
……気持ち悪い。
こんなにも嫌悪感を掻き立てる『作品』は、きっと無花果さんにしか作れないだろう。
「……タブンくんを呼んできたまえ」
がらがらの声で無花果さんがつぶやく。
そうだ、これは殺した本人に見せるべき『作品』だ。自分の犯した『罪』と、『死』と対面させなければならない。
そして、自分がやったことを目の当たりにさせなければならない。
僕は急いで『アトリエ』を出ると、なにも知らないでいるタブンくんを呼びに行くのだった。