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№12 『罪』と『罰』

 僕は手持ちのフィルムが尽きるまで『作品』を取り続けた。かし、かし、とシャッター音が乾くまで。


 ようやくフィルム切れであることに気づくと、なんだか連射しまくったマシンガンの銃身のような熱に浮かされている自分がいた。事後の余韻というものはこういうのだろうか。


 大事な写真が詰まったカメラを抱えて『アトリエ』を出る。事務所に戻ってくると、やっと『マトモな』空気を吸うことができた。


「あの、無花果さんは……?」


 三笠木さんに尋ねると、相変わらず一瞥もくれることなく機械的に返される。


「彼女は今、 バスルームにいます」


 どうやら、無花果さんはさっさとシャワーを浴びに行ったらしい。三笠木さんは、ほんのわずかに眉間に皺を寄せて、


「あなたもまた、においます。あなたもバスルームに行くべきです」


「……そうします」


 そういえば、僕もずいぶんとコールタールの悪臭の中にいたのだった。鼻がバカになってしまっていて自分ではわからないけど、きっとからだじゅうににおいが染み付いている。


 一旦暗室へカメラを置きに行っている間に、バスルームが空いたらしい。常備している着替えを持って脱衣所へ入ると、においのついた服を経費で買ってもらった洗濯機に叩き込み、扉を開いた。


 ざ、と頭からシャワーのお湯をかぶる。じわじわとなまぬるい温度がからだの芯へと伝わっていった。


 シャンプーを三度。ボディソープを二度。これでようやくにおいがマシになる。


 泡にまみれながら、僕はぼうっと考えていた。


 無花果さんは自分の『罪』を認識していた。


 タブンくんを『壊して』しまった事実をきちんと受け止めていた。


 ……いや、もっと深い部分で認識しているはずだ。


 死体を使って自己表現をしている、そうすることでしかおのれを解放することができない。


 他人の『死』を喰らってしか、生きていけない。


 ……そんなもの、僕以外の誰が理解してくれるというんだ?


 底なしの孤独だ。だれも寄り添ってくれず、遠巻きに眺めているだけだ。救いの手はなく、ただ『作品』と真正面から向き合うことで自分の輪郭をたどることしかできない。


 他人の『死』でしか生きていけないこと。


 理解されないこと。


 それは『罪』であると同時に『罰』でもあった。


 まるで人類にまとわりつく原罪のように、無花果さんは生まれながらにしてそんな業を背負っている。『死』という知恵の実を食べたからこそ、そこには厳然とした『罪』と『罰』が存在する。


 もしかしたら、『創作活動』は無花果さんなりの贖罪行為なのかもしれない。せめて喰らった『死』に意味を与えるために、無花果さんは祈り、『作品』を作る。弔い、葬る。


 しかしまた、それが『罪』となっているという矛盾した構造も抱えている。あまりにもあんまりなマッチポンプだ。『罪』をあがなうために新たな『罪』を犯すだなんて、つくづく因果なイキモノだ。


 もっと言うと、『罪』を犯すごとに『罰』は重くなる。あがなえばあがなうほど、無花果さんの孤独は深くなっていくのだ。螺旋を描きながら深淵へおりていく階段のように、果てはない。


 ……だとしたら、僕の『罪』はなんだ?


 無花果さんをすっかり理解している、同じモンスターである僕もまた、きっと罪人なのだろう。理解して、加担している。『罪』の片棒を担いでいるのだ。


 モンスター同士であるがゆえに、その豪の深さはよく知っている。知っていながら、無花果さんを止めることなく、むしろ背中を押しているのだ。


 もっと堕ちろ、と。


 ……おのれの醜悪さを改めて実感して、吐き気が込み上げてきた。


 僕は立派な共犯者だ。


 ……なんて笑えない話だろう。


 だというのに、いつの間にか僕の口元には笑みが浮かんでいた。紛れもない、モンスターの笑みだ。


 堕ちろ、堕ちろ。いっしょに堕ちよう。


 吐き気をこらえながら笑い、胸中で歌う。


 悪意のコールタールのにおいを洗い流す泡が、渦を巻きながら排水溝へ吸い込まれていくのを見つめながら、僕はしばらくの間ぬるい湯に打たれていた。


 すっかりきれいになった僕は、時間をかけて水気を切りながらシャワーから上がった。乾いたタオルでからだを拭き、洗いざらしのシャツとジーンズを来てバスルームから出る。


「まーひーろーくーん!」


 髪を拭きながら出てきた途端、がば!と無花果さんが飛びついてきた。豊満な胸に押しつぶされそうになる。またかよ。


「……セックスはしませんよ」


 ネコ科の大型動物のようなからだを押しのけて、僕はまだ言われもいないことに抗議するように告げた。


 無花果さんは大げさに舌打ちをして口を尖らせ、


「ちぇ! なあんだ、つれないなあ!」


「前々から絶対にしないって言ってるじゃないですか」


「こころ変わりするかもしれないだろう? 小生『すごい』んだからあ!」


 えへん、と立派な胸を張って無花果さんが言う。どう『すごい』かは追求しないでおこう。きっとめんどくさいことになる。


 まとわりついてくる無花果さんをいちいち押しやりながら、事務所のソファで風呂上がりのスポーツドリンクを飲む。火照ったからだに電解分離質が染み渡る。


 そんな僕をソファの対面でにやにや見守る無花果さんは、


「なあに、チンカスチェリー卒業したくないの?」


 そんな言葉に、ペットボトルの蓋を丁寧に締めながら、僕はきっぱりと答えた。


「少なくとも、無花果さんで卒業するのだけはイヤです」


 忖度ない言葉で告げると、無花果さんは海外青春ドラマの俳優みたいに顔をしかめて肩をすくめ、


「ホンット、クッソ生意気なガキだねえ! オマケにめんどくさくてつまらないときた! いいもんいいもん、じゃあ小生、今この場で公開セルフプレジャーを……」


「やめてください痴女ですか未成年相手ですよセクハラで訴えますよ」


 このひとならやりかねない。


 そう察知した僕は、機先を制して釘を指しておいた。


 無花果さんはひらひらと手を振りながら笑い、


「やだなあ、冗談だよう! 冗談冗談! 笑うとこだよここ!」


「どうだか」


「しかたないなあ! まひろくんがクソ生意気チンカスチェリーだから、棒はまた適当にその辺で捕まえてくるよう!」


「童貞は神聖にして犯すべからず。処女ばかりが尊ばれるのは今の時代、ミスマッチだと思うんですけど?」


「君ねえ! そこは、一度も侵入を許したことのない城と一度も城に攻め入ったことのない兵士の理論だよう!」


「女性兵士だっているでしょう」


「ああ言えばこう言う! つまらん! 君の話はつまらん!」


「あくまで時代に即した考え方をしているだけですよ」


「これがZ世代ってやつですかあ! 正論棒痛いよう! こんなんばっかだから少子化が進むんだ! 小生知ってゆ!」


「少子化とフェミニズムとは別問題です」


「あーもう、めんどくさい! それだから君は童貞なんだよ!」


「時代遅れなんですよ、オバサン」


「はあ!?!? オバサンじゃねえよおねーさんだよクソガキ!! もっぺんババアなんて言ってみろ、考えうる限りの苦痛を与えてやるからな!」


「それこそ冗談ですよ、おねーさん」


「そういうところがクソ生意気なんだよなああああああ!!」


 笑いながら返すと、またしても生意気だと言われてしまった。自分でもこまっしゃくれたガキくさいことを言っているのは自覚している。


 当初のことを考えると、僕もずいぶんとずけずけと言うようになったものだ。事務所の淀んだ空気にビビりまくっていたあの日を懐かしくさえ感じる。


 地団駄を踏む無花果さんを眺めながら、僕はもうひと口スポーツドリンクを飲むのだった。

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