そんな応酬をしていると、事務所の扉が開いた。この場合は依頼人ではない。いつもの出前のとんこつラーメンだ。
「ほらほら、いちじくちゃん、まひろくん。とんこつラーメン来たから食べようよー」
代金を支払いながら所長がにこやかに告げると、無花果さんはたちまちフルスイングの笑顔になってなついた。
「うん! 小生いち早くジャンクなカロリー爆弾を摂取しないと餓死しそうさ!」
「あはは、餓死は言い過ぎでしょー。まあ、腹ぺこなのはわかったから、みんなで食べようよー」
「配りますね」
配膳を申し出て、僕は事務所の応接セットに4膳、そして奥の『巣』へと一膳運んでいった。
全員にとんこつラーメンが行き渡ると、おのおのソファに座って割り箸を割る。
「それじゃあ、今回もみんながんばりましたということでー」
『いただきます』
そろって手を合わせると、僕たちは一斉にとんこつラーメンをすすり始めた。
いつもと変わらないおいしさだ。湯気が立つほど熱々だけど、箸が止まらない。
具を絡めた麺をすすっていると、いつも通り口喧嘩が始まった。
「はーあ、小生また働いてしまったでござる! このままだと勤労感謝の日に感謝されちゃう!」
「私は、あなたは働くべきです腐れニートと何度も言いました。あなたは鳥頭なので忘れていますか?」
「うっせchatGPT! おめーみたいに何でもかんでもデータ化して覚えられると思うなよ!」
「私は機械ではありません。私も忘れることがあります。しかし、あなたはもう少し学習をするべきです」
「しっつれいな! してますけどお!?」
「あなたは毎回卑猥な言葉を口にしています。その犬の糞に劣る言葉を止めることを学習してください」
「えっなに、小生今さらっと罵倒された!?」
「これは罵倒ではありません。忠告です」
「るっせ下手っぴが! 悔しかったら小生のことよがらせてみろよ! おおん!?」
「私は絶対にそうすることがないでしょう、なぜなら私は性病が怖いからです」
「ひとを歩く性病呼ばわりしやがった! なあなあまひろくん、聞いた!? こいつ花も恥じらう乙女捕まえて、性病持ちだって言ったんだぜ!?」
「クラミジアと梅毒には気をつけてくださいね、流行ってるらしいですから」
「くきいいいいいいいい!! どいつもこいつも!!」
「あははー。いちじくちゃん、くれぐれもセーフセックスでねー」
「あたぼうよ! 小生、神社仏閣教会で帽子脱がねえやつと、コンドームつけねえやつとは付き合わねえって決めてんだ!」
……などと、騒がしくラーメンを平らげていく。僕はいつの間にか麺を食べきってしまって、どんぶりを抱えてスープを飲み始める。
ぬるくなったスープを飲みながら、いまだに口論しているふたりを見やり、考えすぎはよくないなと苦笑いする。
なにが『罪』だろうが、なにが『罰』だろうが、なるように『は』なるのだ。
無花果さんは生きている。
僕もまた、生きている。
それで充分じゃないか。
……とんこつラーメンに違法の白い粉でも入っていたのだろうか、僕はおかしくてたまらなくなった。
モンスターにはモンスターの生き様がある。歴史がある。感情があって、ポリシーがある。
それで上等だ。
「るせー人工無能! 表出ろやボコってやんよ盛大に!」
「暴力は建設的ではありません。あなたはその点を学習すべきです」
「さっきから学習学習うるせえんだよ! そんなに学習したいなら電子の海漂ってろ義体化しろゴーストにささかれてしまえ!」
「あなたはオタクで気持ち悪いです」
「はいこれわかったやつもオタク原理ー! やーいオタクー!」
「いちじくちゃん、特大ブーメラン刺さってるよー」
「ぐふう!? でえじょうぶだただの致命傷だ!」
にぎやかなやり取りを眺めながら、ふと思う。
無花果さんは、いったいどんな過去があってこんな原罪を抱えることになったんだろう?
その『罪』はいつから始まった?
いつから無花果さんは『死体装飾家』になった?
……気になったけど、ここは触れてはいけないような気がした。
少なくとも、僕なんかが踏み込んでいい領域ではない。
それはきっと、ひどくセンシティブな問題だろうから。
なにせ、今の無花果さんのアイデンティティに関わる話だ、容易に聞いていいものではない。
……しかし、気になるな。
所長あたりは知っているんだろうけど、わざわざ聞くのも違う気がする。
無花果さん本人が話してくれるのを待つしかない。
スープを飲んでいる間だけ、そんなことを考えた。
……『春原無花果』とは、なにものだ?
やがて全員がどんぶりを空にして、食事の時間は終わった。三笠木さんは定時で上がり、手が『巣』の中に戻っていく。集めたどんぶりを重ねて、事務所の外に置いておいた。
「ふいー、食った食った!」
「ああ、食後のメンソールは格別キマるねー」
腹をさする無花果さんと、電子タバコを吸ってうっとりする所長。思えば、喘息持ちの無花果さんに配慮して紙タバコにしていないのだろう。知れば知るほど、ふたりの仲が気になっていく。
「そういえば、所長と無花果さんはどれくらい付き合い長いんですか?」
少しどきどきしながら尋ねると、所長はなんでもないように答えてくれた。
「十年くらいかなー? 子供のころからだよー。ねー、いちじくちゃんー?」
「うん! 小生所長とはずっと仲良しこよしさ! たまに殴ってやりたくなるときはあるけど!」
「その殺意はそのまま秘めておいてねー」
十年前……無花果さんが十歳少しのことか。
なんとなくだけど、無花果さんの『死体装飾家』としてのキャリアは、そこからスタートしたように思えた。
しかしそれ以上聞くわけにもいかず、僕はただ当たり障りのない返答をする。
「ずいぶん仲良いみたいですね。お父さんと娘みたいです」
……あれ……?
一瞬、ふたりの間に緊張じみたものが走ったような気がした。タブーに触れたときのように、思い出したくないことを思い出してしまったときのように。あくまでも雰囲気、ちょっとした違和感だけど。
「……なんかマズいこと、言いました……?」
おそるおそる口にした途端、その緊張も霧散してしまう。
「小生、近親相姦モノは苦手でね……」
「僕もちょっとイヤだなー」
「ああ、そういう意味ではなくて、単純に仲良しだなと思って……」
「所長とはなんにもないんだからねっ!」
「あははー、いちじくちゃん、その発言はかえって誤解を招くよー」
「だいたい、小生オッサンは好みじゃない! ねちっこいんだもん!」
「なにが、とはあえて聞かないでおいてあげるよー」
「そういうとこやぞ!」
無花果さんが、ぎゃはは、と笑い、所長も笑いながら配信を続ける。
……けど、どうしても『わざとらしさ』は残った。
なにかを取り繕っているような、そんな気配。
僕に対して、なにか予防線のようなものを張っているような……
……深くは聞くな、ってことか。
まだまだ、僕は『部外者』らしい。
それはそうだろう、出会って二三ヶ月の雑用バイトなどにしていい深い話などない。いっそ、聞いてしまった僕の方がおこがましいのだ。
……けど、なんとなく疎外感は感じてしまうな……
いやいや、これではまるでグループに入れてもらえない小学生女児じゃないか。子供じみている。いくら生意気なクソガキだと言われようとも、そこまで甘えたではない。
足るを知れ。
それがモットーだったはずだ。
なかば無理やりにそう自分に言い聞かせると、僕は早々に暗室へと向かい、今回撮影した写真を現像する作業に入るのだった。