「うん、いいじゃないか!」
「……どうも」
現像した写真を見せると、無花果さんは今回もお墨付きをくれた。
「やはり君は小生の意図を完全に理解しているねえ! まだまだ荒削りだけど、写真家にとってもっとも重要な本質はそこだよ!」
「ありがとうございます」
「繰り返して言うけど、技術はもっと磨かなければならないよ? 小生の『作品』だからこそ、その理解力が光るだけで、他の作品じゃてんでダメだからね!」
「それは重々承知してます」
「ならよし!……けど、困ったねえ、今回は渡す相手がいなくなっちゃったから!」
そう、依頼人であるタブンくん本人が失踪してしまったので、今回の写真は全部お蔵入りだ。もったいないことこの上ない。
「それでも、無花果さんの『作品』です。いつか日の目を見ることを信じて、大事にしまっておきましょう」
「そうだね! せっかく君が撮ってくれたんだから! けど惜しいなあ、いい写真なのだがね!」
無花果さんは本心から名残惜しく思ってくれているようだった。もう一度、目に焼きつけるように写真を眺めて、ため息をひとつつく。
その左手首には、今日も止まったままの腕時計がつけられていた。
なんとなくだけど、無花果さんの現在、『父』、そしてこの止まった腕時計、それらの点はひとつの線で繋がっているような気がした。
……気がしただけで、深くは聞かないけど。
いつか、無花果さんの口から話してくれるまで待とう。
僕は写真をしまいに暗室に戻った。赤い光のもと、キャビネットに一枚一枚丁寧に写真を収めていく。
事務所に戻ってみると、無花果さんは先に帰ったらしかった。姿がない。
僕も帰るか……
「あ、ちょっといい、まひろくんー?」
帰り支度をしようとしていると、不意に所長が手招きをしているのが目に入った。なにか用があるみたいだ。
「なんでしょう?」
怪訝そうな顔で歩み寄ると、所長はごそごそとデスクの引き出しを漁り、封筒をひとつ差し出してきた。
「はい、今月のお給料だよー!」
満面の笑みで持っているそれは、もしかして給料袋なのだろうか? まさかもらえるとは思っていなかったので、若干面食らってしまう。
「……ありがとうございます」
おずおずと受け取って、なんとはなしに中身を確認してみる。
……おかしいぞ?
「……あの」
「うん? どうしたのかなー?」
「……想定していたよりも、桁がひとつ違うんですけど……」
少ない方に、ではない。
多すぎるのだ。ただの雑用アルバイトの月給として払うにしては、あまりにも大金すぎる。
しかし所長はひょうひょうと笑いながら、
「間違ってないよー。一流のフォトグラファーのギャラにしては安い方だと思うけどー?」
「いえ、でも……」
僕、そんなに一流でも大した仕事したりもしてないんですけど……?
急にこわくなって逃げようとする僕に、所長は給料袋を押し付けながら、
「言った通り、僕たちクソほど稼いでるからお金には困ってないしー。無花果ちゃんの『作品』のための投資だと思えば、これくらいはした金だよー」
にこにこしながら成金じみたことを言い出す所長。
……そこまで言われたら、もう受け取るしかない。
「……ちょうだいします」
両手で大金を受け取ると、所長は笑いジワを深めて、
「これからもよろしくねー、まひろくん」
「ええ、こちらこそ」
「たぶん、いちじくちゃんには君みたいな子が必要不可欠だろうからねー」
そんな意味深なことを言って、また配信を始める所長。
……やっぱり、このひとは僕とは違う側面から無花果さんを理解しているのだ。
その『ワケ』を知っていながら、モンスターが『罪』を量産するのを見ている。
このひとも同罪だ。
……けど、今の僕にはそれを問いただすことはできない。
なにせ、『部外者』だ。開けてはならないパンドラの箱もある。不躾に踏み入っていい部分ではないのだ。
それにしても。
無花果さんの『作品』のためだけに用意されたこの探偵事務所。
素材となる死体を探すことだけに特化した、異質な仕事だ。その長であるこのひとは、一体何を考えているのだろうか?
このひとだけじゃない。
三笠木さんだって、小鳥さんだって、なにかを抱えているに違いない。だからこそ、あんな特殊すぎるニンゲンとして生きているのだ。
みんなに『ワケ』がある。
僕なんかが簡単に聞いてしまっていい『ワケ』ではないだろう。
僕にも『ワケ』があるように、みんなそれぞれの事情を抱えているのだ。
たまたま僕に話す機会があったからみんな知っているだけで、僕だけ仲間はずれだとか、そんなことはない。
いつか、聞く機会があれば話してくれるだろう。
そのころには、僕も『部外者』ではなくなっているだろうから。
何枚もの万札が入った封筒を大事にカバンに入れ、僕は今度こそ帰り支度をして所長と小鳥さんに挨拶をした。
「お疲れ様でした」
「はい、おつかれちゃんー」
所長といっしょに、『巣』からひらひらと軍手の小さな手が振られる。一礼して、僕は事務所を辞した。
外の春風に吹かれながら、考える。
そうだ、このお給料で新しいカメラのレンズを買おう。無花果さんが言っていたように、僕はまだまだ未熟だ。所長が『一流のフォトグラファー』だと称してくれたように、腕を磨かなくてはならない。
形から入るタイプなので、機材はいいものをそろえたい。これだけお給料がもらえれば、贅沢をしなければそれなりに投資できる。
これなら、これからもずっとこの事務所で働けそうだ。
……無花果さんの次の『作品』も、気になって仕方がない。
そのためにも、無花果さんの相棒にふさわしい写真家にならなければ。
「……すっかり、毒されちゃったなあ」
苦笑いしながらつぶやく。
そう、あれは一種の麻薬だ。過ぎれば毒になる麻薬。
しかし、一度覚えた陶酔は忘れがたく、結局のところ戻ってきてしまうのだ。
じわじわと、中毒に陥っていく。
いいだろう、狂ってやる。
世界一の『死体装飾家』の右腕にふさわしく、行くところまで行ってしまおう。
それが、写真家を志した僕の宿命なのだ。
そして、同じモンスターとしてたどるべき道なのだ。
「……あの接写レンズ、気になってたんだよなあ」
口にしながら、お高くてなかなか手が出なかった機材に思いを馳せる。別にお金を増やそうとは思わないから、贅沢をしない程度に散財しよう。これは将来のための投資だ。
明日はちょうど休みのシフトだから、近くのカメラ店に見に行ってみよう。この際だから一番納得のいくいいのを買おう。
昨日の今日で依頼人が来るとは思えないし、無花果さんも今回は心配ない。
久々の休みだ、カメラの手入れもしておこうか。フィルムも新しいのを調達しなければ。
あれをやろう、これをやろうと、楽しく休日の予定を立てていると、自然に鼻歌がこぼれ出してくる。
我ながら現金なものだ。
けど、やっぱり写真は楽しい。
撮りがいのある被写体があるとなると、なおさらだ。
名はともかく、実はある写真家にならなくては、無花果さんにも申し訳ない。
だれも届かない領域の一端を握りしめているのは、今のところ僕だけなのだ。ならば、たどりつかなければならない。無花果さんのいる高み、あるいは奈落に。
あの背中に追いつくためにも、せいぜい狂ったように駆け抜けなくては。
それが、共犯者たる僕の責任だ。
新たな目標を見出した僕は、とりあえず今できることを探そうと、早速スマホでカメラ店のレンズのレビュー記事を読みながら、春の浮かれた夜を泳ぐように帰路につくのだった。