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№14 結局のところ、

「うん、いいじゃないか!」


「……どうも」


 現像した写真を見せると、無花果さんは今回もお墨付きをくれた。


「やはり君は小生の意図を完全に理解しているねえ! まだまだ荒削りだけど、写真家にとってもっとも重要な本質はそこだよ!」


「ありがとうございます」


「繰り返して言うけど、技術はもっと磨かなければならないよ? 小生の『作品』だからこそ、その理解力が光るだけで、他の作品じゃてんでダメだからね!」


「それは重々承知してます」


「ならよし!……けど、困ったねえ、今回は渡す相手がいなくなっちゃったから!」


 そう、依頼人であるタブンくん本人が失踪してしまったので、今回の写真は全部お蔵入りだ。もったいないことこの上ない。


「それでも、無花果さんの『作品』です。いつか日の目を見ることを信じて、大事にしまっておきましょう」


「そうだね! せっかく君が撮ってくれたんだから! けど惜しいなあ、いい写真なのだがね!」


 無花果さんは本心から名残惜しく思ってくれているようだった。もう一度、目に焼きつけるように写真を眺めて、ため息をひとつつく。


 その左手首には、今日も止まったままの腕時計がつけられていた。


 なんとなくだけど、無花果さんの現在、『父』、そしてこの止まった腕時計、それらの点はひとつの線で繋がっているような気がした。


 ……気がしただけで、深くは聞かないけど。


 いつか、無花果さんの口から話してくれるまで待とう。


 僕は写真をしまいに暗室に戻った。赤い光のもと、キャビネットに一枚一枚丁寧に写真を収めていく。


 事務所に戻ってみると、無花果さんは先に帰ったらしかった。姿がない。


 僕も帰るか……


「あ、ちょっといい、まひろくんー?」


 帰り支度をしようとしていると、不意に所長が手招きをしているのが目に入った。なにか用があるみたいだ。


「なんでしょう?」


 怪訝そうな顔で歩み寄ると、所長はごそごそとデスクの引き出しを漁り、封筒をひとつ差し出してきた。


「はい、今月のお給料だよー!」


 満面の笑みで持っているそれは、もしかして給料袋なのだろうか? まさかもらえるとは思っていなかったので、若干面食らってしまう。


「……ありがとうございます」


 おずおずと受け取って、なんとはなしに中身を確認してみる。


 ……おかしいぞ?


「……あの」


「うん? どうしたのかなー?」


「……想定していたよりも、桁がひとつ違うんですけど……」


 少ない方に、ではない。


 多すぎるのだ。ただの雑用アルバイトの月給として払うにしては、あまりにも大金すぎる。


 しかし所長はひょうひょうと笑いながら、


「間違ってないよー。一流のフォトグラファーのギャラにしては安い方だと思うけどー?」


「いえ、でも……」


 僕、そんなに一流でも大した仕事したりもしてないんですけど……?


 急にこわくなって逃げようとする僕に、所長は給料袋を押し付けながら、


「言った通り、僕たちクソほど稼いでるからお金には困ってないしー。無花果ちゃんの『作品』のための投資だと思えば、これくらいはした金だよー」


 にこにこしながら成金じみたことを言い出す所長。


 ……そこまで言われたら、もう受け取るしかない。


「……ちょうだいします」


 両手で大金を受け取ると、所長は笑いジワを深めて、


「これからもよろしくねー、まひろくん」


「ええ、こちらこそ」


「たぶん、いちじくちゃんには君みたいな子が必要不可欠だろうからねー」


 そんな意味深なことを言って、また配信を始める所長。


 ……やっぱり、このひとは僕とは違う側面から無花果さんを理解しているのだ。


 その『ワケ』を知っていながら、モンスターが『罪』を量産するのを見ている。


 このひとも同罪だ。


 ……けど、今の僕にはそれを問いただすことはできない。


 なにせ、『部外者』だ。開けてはならないパンドラの箱もある。不躾に踏み入っていい部分ではないのだ。


 それにしても。


 無花果さんの『作品』のためだけに用意されたこの探偵事務所。


 素材となる死体を探すことだけに特化した、異質な仕事だ。その長であるこのひとは、一体何を考えているのだろうか?


 このひとだけじゃない。


 三笠木さんだって、小鳥さんだって、なにかを抱えているに違いない。だからこそ、あんな特殊すぎるニンゲンとして生きているのだ。


 みんなに『ワケ』がある。


 僕なんかが簡単に聞いてしまっていい『ワケ』ではないだろう。


 僕にも『ワケ』があるように、みんなそれぞれの事情を抱えているのだ。


 たまたま僕に話す機会があったからみんな知っているだけで、僕だけ仲間はずれだとか、そんなことはない。


 いつか、聞く機会があれば話してくれるだろう。


 そのころには、僕も『部外者』ではなくなっているだろうから。


 何枚もの万札が入った封筒を大事にカバンに入れ、僕は今度こそ帰り支度をして所長と小鳥さんに挨拶をした。


「お疲れ様でした」


「はい、おつかれちゃんー」


 所長といっしょに、『巣』からひらひらと軍手の小さな手が振られる。一礼して、僕は事務所を辞した。


 外の春風に吹かれながら、考える。


 そうだ、このお給料で新しいカメラのレンズを買おう。無花果さんが言っていたように、僕はまだまだ未熟だ。所長が『一流のフォトグラファー』だと称してくれたように、腕を磨かなくてはならない。


 形から入るタイプなので、機材はいいものをそろえたい。これだけお給料がもらえれば、贅沢をしなければそれなりに投資できる。


 これなら、これからもずっとこの事務所で働けそうだ。


 ……無花果さんの次の『作品』も、気になって仕方がない。


 そのためにも、無花果さんの相棒にふさわしい写真家にならなければ。


「……すっかり、毒されちゃったなあ」


 苦笑いしながらつぶやく。


 そう、あれは一種の麻薬だ。過ぎれば毒になる麻薬。


 しかし、一度覚えた陶酔は忘れがたく、結局のところ戻ってきてしまうのだ。


 じわじわと、中毒に陥っていく。


 いいだろう、狂ってやる。


 世界一の『死体装飾家』の右腕にふさわしく、行くところまで行ってしまおう。


 それが、写真家を志した僕の宿命なのだ。


 そして、同じモンスターとしてたどるべき道なのだ。


「……あの接写レンズ、気になってたんだよなあ」


 口にしながら、お高くてなかなか手が出なかった機材に思いを馳せる。別にお金を増やそうとは思わないから、贅沢をしない程度に散財しよう。これは将来のための投資だ。


 明日はちょうど休みのシフトだから、近くのカメラ店に見に行ってみよう。この際だから一番納得のいくいいのを買おう。


 昨日の今日で依頼人が来るとは思えないし、無花果さんも今回は心配ない。


 久々の休みだ、カメラの手入れもしておこうか。フィルムも新しいのを調達しなければ。


 あれをやろう、これをやろうと、楽しく休日の予定を立てていると、自然に鼻歌がこぼれ出してくる。


 我ながら現金なものだ。


 けど、やっぱり写真は楽しい。


 撮りがいのある被写体があるとなると、なおさらだ。


 名はともかく、実はある写真家にならなくては、無花果さんにも申し訳ない。


 だれも届かない領域の一端を握りしめているのは、今のところ僕だけなのだ。ならば、たどりつかなければならない。無花果さんのいる高み、あるいは奈落に。


 あの背中に追いつくためにも、せいぜい狂ったように駆け抜けなくては。


 それが、共犯者たる僕の責任だ。


 新たな目標を見出した僕は、とりあえず今できることを探そうと、早速スマホでカメラ店のレンズのレビュー記事を読みながら、春の浮かれた夜を泳ぐように帰路につくのだった。

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