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№1 その女、億

「視聴者のみなさんは昼ごはんなに食べたー? 僕はこれからだよー。なに食べようかなー? 募集するねー、今日のお昼ご飯! できるだけコンビニに売ってるやつがいいなー。あはは、お酒? 昼間っから? そこまでアルコール強くないんだよねー。カレーいいねー! あ、牛丼もー! 迷うなー」


 今日も所長が24時間365日配信をしている呑気な声が事務所に響いている。何ヶ月か見ていたけど、本当に間断なく世界中にプライベートをバラまいていた。このひとだって立派な異常者だ。


 僕はといえば、暇を持て余した無花果さんと指スマに興じていた。かれこれもう三時間ほどやっているので、正直頭がおかしくなりそうだった。ふたりでやる長時間耐久指スマがこんなにも苦痛だとは。


 まるで同じ絵本を読み聞かせてくれと言ってくる子供のよに、無花果さんは飽きることなく指スマをしている。僕も仕事がないので、この精神的な拷問に付き合うしかないのだ。


「いっせーの、に!」


「……ノイローゼ患者って、こんな感じなんだろうな……」


「なにか言ったかい、まひろくん!?」


「……いえ、なにも……」


 まだ続くのか。どこか、どこかに救いの手はないのか。


 お釈迦様が垂らす蜘蛛の糸を求めて、僕は所長の配信に耳を傾けてみた。


「はい、カレーが324票獲得だから、今日のお昼はカレー! みなさまありがとねー! そういえばさ、ウチのいちじくちゃんのアート、みなさまチェックしてるよね? 最近また勢いがすごくてさー、インスタとかもうものすごい反応なんだよー。世界中からいいねが集まってるねー。まあ、表沙汰にはできないアートだから、あくまでひっそりとここで宣伝しておくねー」


「……無花果さんのアートって、そんなにすごいんですか?」


 あった、蜘蛛の糸。指スマ地獄から抜け出すきっかけとして、僕は所長にそう問いかけた。


 所長は自撮り棒を手放さないままこちらに視線を寄越し、


「そうだよー。そりゃあもう、世界中の好事家から評価されまくってるんだからー。今月だけでも数億稼いでるねー」


「億!?」


 思わず声がひっくり返ってしまった。


 常々すごいアートだとは思っていたけど、まさかそんなとんでもない数字が付随しているとは。


 所長はにこにこしながら電子タバコを取り出し、強メンソールのそれを吸いながら気楽に答えた。


「うん。世界中にパトロンがいるんだよー。いちじくちゃんのアートに心酔してるパトロンが、たーくさん。だから、いちじくちゃん実は大金持ちだよー」


 大金持ちのくせに、ハードオフのワゴンセールの中古ジャンクDSなんて買ってたのか……


 なかば呆れていると、やっと指スマから興味を移してくれた無花果さんが挙手した。


「お金のことは所長に任せきりだから、小生自分の資産何百億あるのかわかんないけどね! 毎月所長からお小遣いをもらっているのだよ! お小遣い帳だってつけているのだよ!」


「……無花果さんにお金持たせたら、ロクなことにならないでしょうからね」


「失敬な! 腐るほど金持ってるだけで、小生物欲には無頓着さ!」


 たしかに、無花果さんが『創作活動』の素材以外でなにかを欲しがっているところは見たことがない。せいぜいコンビニでなになにを買ってこい、だとか、新作のガチャガチャ回したい、だとか、その程度だ。


 芸術に対する貪欲さに反比例するように、無花果さんには物欲がなかった。たぶん、食欲もないのだろう。とんこつラーメン以外でなにかを食べているシーンもなかった。性欲は有り余っているようだけど、あくまでアレは『創作活動』のあと限定だ。常時発情しているわけではない。


「なにか欲しいものとかないんですか?」


 尋ねると、無花果さんは思いっきり首を捻った。目をぎゅっとつむって考え込み、


「……うーん、ないね!」


「ほら、たとえばブランドのジュエリーとか」


 ごく一般的な価値観を口にすると、途端に無花果さんは犬の糞を踏んだときのような顔をした。大袈裟にため息をついて見せ、


「君ってやつは、本当に発想が貧困でつまんない男だね! そんなんだからいつまでたっても童貞なんだよ!」


「童貞は関係ないでしょう」


「いーや、あるね! 世の女はすべてブランドのジュエリーが好きだとか、そういう考え方からしてつまんない! 牡蠣のぬいぐるみを欲しがっている女性だっているってのに!」


「……欲しいんですか?」


「すごく欲しい! 今度お小遣いで買うんだ!」


 牡蠣のぬいぐるみなんて、存在することすら知らなかった。そもそも、牡蠣をどうするつもりなんだ。愛でるのか、抱いて寝るのか。牡蠣に対してなにかしらの思い入れがあるのだろうか。なにもかもが謎のアイテムだ。


「ともかく! そういう野暮ったい発想が童貞たるゆえんなのだよ! ぜってープレゼントのセンスないだろ! 無難なもの贈っといて、あとでメルカリに流されるやつだろう!」


「そんな、キャバ嬢へのプレゼントじゃないんですから」


「そうだ! 君、キャバにでも行きたまえよ! ガールズバーとか、相席居酒屋とか! いっそフーゾクのおねーさんに素人童貞奪われてしまえばいいんだ!」


 散々な言われようだった。風俗で素人童貞卒業だなんて、モテない男の定番コースじゃないか。僕はそんなに男として魅力がないのだろうか?


 ちょっとむっとしたので、意趣返しにその話題に乗ってやることにした。


「わかりました。風俗で素人童貞卒業してきますから、軍資金をください」


 ひとのお金で風俗行って素人童貞卒業とか、どう考えてもクズすぎる。我ながらドン引きだった。


 しかし、無花果さんは目をぎらぎらさせて愉快痛快とばかりに大笑いして、


「ぎゃはは! いいねえ! ソープかい? デリヘルかい? 初めての嬢は慎重に選びたまえよ! パネマジというのはあるからね、最終的におばあちゃんにちんこしゃぶられて射精したとかいう土産話を期待しているよ!」


「……冗談ですよ……真に受けないでくださいよ……!」


 そんなドクズの所業に手を染めるつもりなんて毛頭なかったので、逆に僕の方が引いてしまった。なんでこのひとは他人の素人童貞卒業に出資しようとしているのだろうか。そんなに僕に性的なやらかしをしてほしいのか。


 いきり立つ無花果さんを手で制して、僕は真面目な顔で告げた。


「初めては、本当に好きなひとに捧げようと決めてるんです」


 僕としては、やっぱり初体験は好きなひとと、というのが理想だった。とはいえ、僕は当面恋をする予定はない。


 じゃあいっそ無花果さんの誘いに乗ってしまったらいいのかもしれないけど、それだけはイヤだった。絶対に、無花果さんでは卒業したくない。この女にだけは童貞を捧げたくない。めんどくさいことになるに決まっている。


 無花果さんは、やれやれ、とばかりに肩を竦めて、


「ああああああああ、つまんねえ! なに夢見てんだよイカくせえんだよ! 断言するけど、君、魔法使いになるの確定だからね! ってか、死ぬまで童貞だと思うよ! 永生名誉童帝誕生! 祝福あれファック!」


「さすがに死ぬまでには初体験済ませられるとは思うんですけど……」


「その考えが甘いのだよ! いいかい、童貞が許されるのは小学生までだよ! 童貞に基本的人権は付与されていないのだよ! 日本国憲法にも明記されているからね!」


「絶対に明記されてないですよね?」


「そうウソだよ! けど、そんな君に救いの手を差し伸べてやろうじゃないか! 小生が相手をしてあげよう! 筆おろしの経験ならあるから安心したまえ! その身を小生に委ねるでござるよ!」


「すいません、勘弁してください」


「本当につまんない上にめんどくっさい男だねまひろくんは! いつか襲ってやるから覚悟しとけ!」


「お願いです襲わないでください頼みますから」


 このひとならやりかねない。僕は平身低頭して拝み倒した。そもそも、なんでひとの貞操についてこんなに土足でずかずか踏み入れるのだろうか? デリカシーとかないのだろうか?


 ……ないんだろうな。


 そう悟ると、僕はげんなりと肩を落とすのだった。

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