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№4 誘拐対策

 ほうほうのていで事務所になだれ込んだ僕を、所長が驚いたように見つめる。


「どうしたの、藪から棒に。いちじくちゃんはー?」


「……そのっ、その……!!」


「ええと、まずは落ち着いてねー? はい、深呼吸ー」


「そんな場合じゃありませんよ!」


「いやいや、こういうときこそ落ち着きは大切だよー? 素数を数えなよー」


 僕はなかばいら立ちながら、頭の中で素数を数えた。1、2、3、5、7、11、13、17……


 97まで数えたところで、僕はようやくマトモな言葉を発することができるようになった。


 それでも早口になって舌がもつれて、何度も噛みながら今起きたことを報告する。


 たくさんの言葉を費やしたけど、結局伝えられたのは『無花果さんが誘拐された』という事実だけだった。


 それを聞いた所長は、うーん、と困ったようにうなり、


「やっぱり、外に出すのはマズかったねー」


 ……『やっぱり』?


 まさか、所長はこうなることを予見していたのか?


 僕の疑問を見透かしたように、所長は苦笑して、


「ああ、慣れてるから、こういうの。またかー、って感じー」


「……な、慣れてる……!?」


 誘拐慣れしているとはどういうことだ?


 連れ去られるなんて、普通に生きていたらまず体験しないことなのに。


 ……そう、『普通に』生きていれば。


 思い当たった僕を肯定するように所長がうなずいた。


「なにせ、世界的なアーティストでしょー? 大金持ちだしー。売り飛ばすのにこれほど適したニンゲンもいないよねー。配信のおかげで面も割れてるし、場所も特定可能だしー」


「あんたのせいですか!」


「えへへー、宣伝だよー、宣伝ー」


 この誘拐劇の原因となった配信者だというのに、所長はイタズラがバレた子供のように照れくさそうに笑うばかりだった。まさか、こんな形で24時間365日配信がアダになるとは。


「ともかく、有名なアーティストを誘拐しようとする輩はたくさんいるってことー。売れば国家予算級のとんでもない高値がつくだろうしねー。お金あるひとって、ちょっとトんでるひとばっかりだしさー、人身売買なんてなんとも思わないんだよねー」


「無花果さん、売られるんですか!?」


「まあ、十中八九そうなるだろうねー」


「だったら、なんでそんなに落ち着いてるんですか!? 誘拐ですよ!? 人身売買ですよ!?」


 食ってかかる僕をなだめるように、所長はぽんぽんと肩を叩いてきた。メンソールの香りが強くなる。


「だから、言ったでしょー、『慣れてる』って。いつものことだよー。今回は半年ぶりかなー?」


「いつもはこういうとき、どうしてるんですか!?」


「まあまあ、慌てなさんなってー。『いつものこと』だからこそ、その対策もばっちりしてあるんだからさー」


「……対策……!?」


 そんなによくあることだったら、当然その対策も立てられている。理屈はわかるけど、理解は追いつかない。ともかく早く無花果さんを取り戻したいという気持ちだけが先行する。


 僕はもはや怒鳴るような声色になって、


「だったら、今すぐ……!」


「わかってるってばさー……はーい、三笠木くーん、出番だよー」


 …………なぜここで、三笠木さん…………?


 あまりにも突然すぎる展開に、とてもじゃないけど追いつけない。


 そうしている間に、指名された三笠木さんはキーボードを叩いていた手を止め、デスクから立ち上がった。このひとがデスクから離れるところは初めて見る。とんこつラーメンすらデスクで食べていたのだ。


 三笠木さんは所長のデスクの前まで歩み寄ると、


「今回の目的は、春原さんの奪還ですか?」


「いえーす、ざっつらいと! 今回もよろしく頼むよー!」


「はい、了解しました。私はこの任務を遂行します」


 ごく当たり前のやりとりのように話が進んでいるけど、僕にはなんのことやらさっぱりだった。


 三笠木さんが、誘拐の『対策』だっていうのか……?


 いつもパソコンに向かっているAIみたいなこの男が、無花果さん奪還の鍵になるなんて、にわかには信じられない。


 このひとは、事務仕事以外になにができるというのだろうか? もしかして、無花果さんのような『探偵』だったりするのだろうか?


 あり得る。無花果さんよりはいくらか『探偵』らしいし、三笠木さんなら連れ去られたその先を論理的に推理することができるだろう。


 しかし、わかったところでどうする?


 警察に通報?


 一般人が誘拐犯相手にできることと言えば、それくらいしか思いつかなかった。


 しかし、果たしてその救助の手が及ぶうちに、無事に無花果さんは帰ってくるのか……?


「どうするんですか、三笠木さん!?」


 テンパって『対策』に詰め寄ることしかできない僕に、三笠木さんはメタルフレームのメガネの奥からカメラのレンズのような視線を向けた。


「制圧します」


「……制圧!?」


 一泊の間があいて、思わず声がひっくり返る。


 三笠木さんの言う『制圧』とは、要するに武力でもって誘拐犯たちから無花果さんを取り戻すということだろう。


 そんな暴力沙汰とは一番遠いところにいるような男は、メガネの位置を直しながら繰り返した。


「はい、制圧です。私は誘拐犯グループを排除し、春原さんを奪還します」


「排除、って……できるんですか、そんなこと!?」


「断言しませんが、私は今までこうしてきました」


 つまり、実績があるということだ。三笠木さんはそれを誇るでもなく、淡々と事実として述べた。


 無花果さん誘拐に備えた『対策』。


 それが、この三笠木国治という男。


 犯罪の世界とは程遠いところにいるような人物が、救出のために暴力の世界へと足を踏み入れようとしている。


 ……いや、違う。


 三笠木さんの人工知能のような言動は、パズルの最後の1ピースのようにぴたりとこの状況にハマっていた。


 まるで古巣に『帰ってきた』みたいに。


 よく注意して観察すると、喪服の下のからだにはたしかにしっかりとした筋肉がついていた。限界まで引き絞られすぎていて、肉の厚みがない。そのせいで今まで気づかなかったけど、これは凶器となり得る肉体だ。


 歩き方も、歩幅をメジャーで測ったように一定している。そして、足音がまったくしない。


 ……間違いなく、修羅場をくぐってきたもののそれだった。


 あくまでも機械のように冷静なその表情が、有無を言わせぬ説得力となる。必要ならばなんでもやる、そんなある種の『すごみ』として表れていた。


 ……ダテに『対策』として指名されたわけではないらしい。


「日下部さん、私を現場に連れていってください。私は事件現場に行く必要があります。私に事件の目撃を証言してください」


「は、はい!」


 そうか、まずは事件当時の様子から手がかりを掴もうということか。たしかに、手がかりがなければ無花果さんが連れ去られた先なんてわかるはずがない。


 敵の正体も、規模も、強大さもわからない。


 それなのに、三笠木さんに一切のためらいはなかった。今までこうしてきた、だから今回もこうする。ただそれだけのこと。無言の内にそう宣言しているようだった。


 知らず、握りしめたままだったチョコバットの包みとクマのポシェットに目をやる。


 無花果さん、どうか無事で。


 必ず助けに行きますから。


 祈るようにぎゅっとクマのポシェットを握ると、僕はそれをテーブルの上に置いて早足で出入口のドアへと向かった。


「早速行きましょう! 現場はここからそう遠くありませんから!」


「あなたは必要以上に急ぐべきではありません」


「そうは言っても!」


「春原さんは無事です。問題ありません」


 なぜそんな風に断言できる? 今にもひどい目にあってるかもしれないんだぞ?


 いつも通りすぎるAI男に内心いら立ちながら、僕たちは事件が発生した現場へと向かうのだった。

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