現場にたどり着いた僕たちは、まずは誘拐された瞬間のことをおさらいした。
「僕が振り返ったら、無花果さんはもう車に押し込められてて……それで、車はあっちの方向に走っていきました。黒のハイエースです。人数は五人くらいでした。全員目出し帽をかぶってました」
たどたどしく見聞きしたことを語ると、三笠木さんはCPUが稼働しているときのように一瞬動きを止め、すぐにうなずいた。
「わかりました。無駄な情報をありがとうございます」
「無駄なんですか!?」
かなり一生懸命に語ったのだけど、すべて役たたずだと切り捨てられてしまった。
僕の声に三笠木さんはまた一瞬フリーズすると再びうなずき、
「それはおそらく盗難車でしょう。そして、彼らは盗難車をどこかで乗り捨てているでしょう。なぜなら、日下部さんという目撃者がいるからです」
「……僕、ですか……?」
「はい。車が逃げ去った方向も、おそらくは偽装されています。彼らはデタラメに車を走らせ、その車を破棄し、新しい車で拠点に帰還したはずです」
「じゃあ、なにも手がかりがないじゃないですか……!」
さらわれた先がわからないんじゃ、話にならない。僕の見聞きしたことは全部敵の偽装だった。おかげで、もうなにもかもがわからない。
腹の底から絶望を感じて青くなっていると、一瞬動きを止めた三笠木さんは首を横に振った。
「いいえ、問題ありません。私は春原さんが誘拐された敵の拠点を知ることができます。なぜなら、春原さんには発信機が取り付けられているからです」
それを早く言ってくれよ……!
いらいら半分、取り越し苦労に対する安心半分でため息をつく。
その発信機も、『対策』のひとつなのだろう。誘拐慣れしていなければ、日常生活で発信機をつけようという発想にはならない。
「加えて言うなら、敵勢力の練度や規模、特色も知ることができました」
どうやら、僕の証言はまったくの無駄というわけではないらしい。少しでも無花果さん救助のための助けになればいいんだけど。
やっぱり一拍置いた三笠木さんは、順番に指をおりながら機械的に分析していった。
「まず、彼らの手際は玄人のそれです。ひとりの成人女性を一瞬で音もなく連れ去るという手法は、素人には不可能です」
「玄人、って……!?」
「彼らはおそらく、犯罪集団です。彼らは反社会的組織に関係しています」
「つまり、ヤクザとかマフィアとかギャングとか……?」
「春原さんが略取された時、あなたはなにを聞きましたか?」
聞いたこと……必死に思い出す。なにせ、無言のうちに起こった事件だ、無花果さんの罵声も悲鳴も聞いていない。唯一耳に残っっていることといえば……
「……一言だけ、誘拐犯のひとりが口走ってました。ええと……がんくあい、みたいなことを……これって、外国の言葉ですよね?」
「はい、その通りです。それはおそらく、中国語で『早くしろ』という言葉です」
なるほど、あれは中国語だったのか。『早くしろ』……状況とも一致する。間違いなさそうだ。
「じゃあ、敵は中華系マフィア……?」
「はい、その通りです。敵が中華系マフィアである可能性は高いです。もしもこの推測が間違っていなければ、敵の装備は拳銃なども考えられます」
「け、拳銃……!?」
銃器なんて、リアルで見たことは当然ない。それはフィクションの中にしか存在しないのだ。
しかし、三笠木さんは頭の中のデータベースにありますよ、とばかりに当然のようにうなずき、
「はい。しかし、あなたに対して割く人員はなかった。敵の数は少ないでしょう。おそらくは数十人の勢力です」
「数十人、って……相手は拳銃なんて持ってるんですよ!? そんなの、敵いっこない!」
いくら三笠木さんがあらかじめ備えてあった『対策』だったとしても、スーパーマンではないのだ。当たり前だけど、銃で撃たれたら死ぬ。
一瞬黙った三笠木さんは、またひとつうなずいた。
「はい。難易度は中程度でしょう」
「な、難易度、って……!?」
「それは春原さんの奪還についての難易度です」
あくまでも、三笠木さんが無花果さんを取り戻すつもりらしい。拳銃を持つ数十人を相手にして、『中程度』と言い放ったこの男は、果たしてどんなちからを兼ね備えているのか?
それを信じるよりも確実な案が僕にはあった。
「居場所がわかるなら、警察に通報しましょうよ!」
そう、武装した中華マフィアの相手なんて、民間人にできるはずがない。こういうことはプロである警察に任せた方がいい。
しかし、今度は間髪入れずに三笠木さんが首を横に振った。
「いいえ、それはできません。なぜなら、我々は警察と関係してはいけないからです。『死体装飾』という活動を行っている我々は、後ろめたいことがあるため、警察を頼ることができません」
「じゃあ、どうするっていうんですか!?」
あれもダメ、これもダメ。だったらなにができるんだ? 敵は武装したマフィアなんだぞ? ただの素人がどうにかできる相手じゃない。これまではどうにかなっていたかもしれないけど、今回はそうじゃないかもしれない。
怒りに任せて言い放った僕に、三笠木さんはメガネの位置を直しながら機械的に告げた。
「問題ないです……そのために、私がいます」
どこまでも冷静で、機械的で、淡々とした態度は、素人のものではない……まさしく、『プロフェッショナル』のものだった。
僕はつい、ぐ、と息を飲んで黙り込む。
……三笠木さんの来歴については、聞いたことがない。
しかし、雰囲気だけでわかる。
このひとは、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきている。いくつもの『死』と接してきた。そして、いくつものいのちを奪ってきた。
三笠木国治は、ただのAIではない。
ひとつの『兵器』だ。
……それだけは、理解できた。
そう納得できるだけの気配を、三笠木さんはまとっていた。
僕が言葉を詰まらせている間に、三笠木さんはきびすを返す。
「事務所に戻りましょう。小鳥遊さんは春原さんの居場所を、また敵の拠点の地点を特定してくれるでしょう。そして、私も『準備』をする必要があります」
「……『準備』……?」
「もちろん、『戦闘準備』です」
即答した三笠木さんは、やっぱり訓練されたものの一定の歩幅で事務所へと帰っていった。慌ててそのあとを追う。
……『戦闘準備』。三笠木さんは、敵のアジトに殴り込みをするつもりなのだ。単身つっこんで、無花果さんを取り返そうとしている。
これがただの素人なら、一笑に付すところだっただろう。僕も警察に行こうと強硬に主張していたはずだ。
しかし、間違いない。
三笠木さんは、プロフェッショナルだ。
だからこそ、誘拐の『対策』として……『切り札』として用意されていたのだ。
今までも何回もこんなことがあったのだろう。
そのたびに、この『兵器』は戦場に駆り出されていた。
そのために、この『兵器』は存在しているのだから。
まるでその役目を果たすためだけに生まれてきたような顔をして、いつも通りの無表情で戦う。
……無花果さんが無事な内に救出しなければならない。なにかあってからでは遅いのだ。
急ごう。一分一秒がいのちとりだ。
急ぐでもない歩調で歩く三笠木さんのあとに続きながら、僕はその背中を追い越して走り出したい気分でいっぱいになった。
どうか、無事で。
それだけを願い、今は三笠木さんという一縷の望みにすがることしかできないという事実におのれの無力さを感じる。
無花果さんのピンチだというのに、僕にできることはなにもない。
これじゃあ、胸を張って『相棒』だなんて言えない。
……とにかく、三笠木さんが無花果さんを連れて帰ってくるまで待とう。
僕たちは程なくして事務所に帰りつくのだった。