事務所に戻ってきた僕たちは、早速小鳥さんに無花果さんの位置を特定してもらうよう頼んだ。
分析が終わるまでの間、三笠木さんは残っていた仕事を片付けていた。のんびりとパソコン仕事をしている暇などないのに、このAI男と来たら、いつも通りにキーボードを叩いている。
「三笠木さんひとりでどうするっていうんですか!?」
消えないいら立ちをぶつけるように、僕は三笠木さんに問いかけた。
「どうにかします」
「どうにか、って、そんな……!」
「そのために、私がいます」
僕に一瞥さえくれることなく、三笠木さんは客観的事実をただ淡々と述べた。
……『そのための』?
そういえば、この探偵事務所は無花果さんのために用意された『創作活動』のための場所だ。なにもかもが無花果さんのためだけに存在し、過不足なくそろっている。
カメラマンである僕、情報と資材を調達する小鳥さん、責任者である所長……だったら、三笠木さんにだってなにかしらの存在理由があるはずだ。
この『死体装飾家』のための庭にふさわしい、在るべき役割が。
ようやく仕事を片付けた三笠木さんは、パソコンをシャットダウンすると、デスクから立ち上がった。
引き出しから取り出したのは、コンバットブーツとメカニカルグローブのような黒革の手袋、そして空の弾倉ベルトだった。
コンバットブーツと言っても、街のミリタリーショップで売っているようなちゃちなシロモノではない。使い込まれたそのブーツは鉄板で重々しく補強されており、それだけで充分な凶器となるだろう。
ブーツを履き、靴紐を締め上げて、きゅ、と手袋を装着する。手袋だってよく手入れされた、あちこちにカーボングラスファイバーの補強が入った逸品だ。手首までしっかりとジッパーを上げ、指になじませるように開いて、握って。
それは、ごくごく静かな『兵器』の『戦闘準備』だった。これから戦いが始まるなんてウソみたいな静寂。だからこそ、『ウソじゃない』という説得力がそこにはあった。
「春原さんが略取されてから、時間はあまり過ぎていません。おそらく、彼女はまだ国内にいるでしょう。追跡は十分に可能です」
「ら、乱暴とかされてるんじゃ……!?」
一番の心配を口にすると、なぜか三笠木さんは機械的な一拍のようなため息をついた。
「その心配は必要ありません」
「どういうことですか!? だって、無花果さんも一応は女性で……!」
「すべてが終わったときに、それがわかります」
……意味がわからない。
どうして無花果さんが危険な目に遭っていないと断言できるんだ?
それもまた、『慣れてる』からわかるんだろうか?
内心のもやもやを抱えたままの僕を置き去りに、三笠木さんは着々と『戦闘準備』を進めた。
またしても引き出しから取り出したのは、大量のスプーンの束だった。
スプーンだ。
よくカレーなんかを食べるときに使うサイズの、ごく一般的な金属製のスプーン。
しかし、これだけ数がそろうと圧巻だった。
三笠木さんはそのスプーンを一本ずつ、弾倉ベルトに差し込んでいった。
「…………なんですか、それ?」
得体の知れない迫力を感じながら、僕はすでに答えがわかりきっている問いかけを投げる。
やはり僕には視線ひとつよこさないまま、三笠木さんはスプーンをベルトに差し続けて、
「これらはスプーンです」
当然の事実を述べた。
「……まさかとは思いますけど、それ……武器なんですか?」
「その通りです」
イヤな予感は当たってしまった。
この男は、スプーンの束で拳銃を持つ中華マフィアにひとりで立ち向かおうとしているのだ。
……いくらなんでも無茶だ。
いら立ちは理不尽に対する怒りに代わり、僕はばん!とデスクに手をついて、
「ふざけてる場合じゃないんですよ!? それとも、無花果さんみたいに頭がどうかしちゃったんですか!?」
クソ真面目に一本一本スプーンを弾倉に差している三笠木さんは、いきり立った僕に対しては目もくれず、手も休めなかった。工場の機械のように次々とスプーンを『装備』していきながら、
「これらの武器は、私にとって必要十分です。なぜなら、今回の任務の目的は、殺傷ではなく奪還だからです」
……つまり、『普通の武器では敵を殺してしまうから、あえてスプーンなんて人畜無害なものを武器にしている』ということなんだろうか……?
その予測に、なぜか背中の産毛が総毛立った。
こんな武器ですらないものでないと、この『兵器』は簡単にニンゲンを殺してしまうのだ。このスプーンは、そうしないための措置だった。
たとえば、鈍器。
たとえば、ナイフ。
そんな武器なんて与えてしまったら、ひとが死ぬ。
だから、スプーンなのだ。
……得体の知れない、しかし不気味なまでの説得力を持って、スプーンの鈍色が目に焼き付いた。
この男は『兵器』だ。行使するにはあまりにも強力な『切り札』なのだ。手加減をしなければ大変なことになってしまう、戦術核じみた『最終兵器』。
圧倒的なプレッシャーにたじろいでいると、三笠木さんはスプーンを『込め』終わった弾倉ベルトを腰に巻き、事務所の奥へと向かった。
奥にある『巣』からは、紙切れを差し出している軍手の小さな手が伸びている。
その紙切れを受け取って、三笠木さんはCPUを使っているパソコンのように一瞬動きを止めた。
「……彼女は今、隣県のホテルにいるようです。行きましょう」
「……え、行くって……僕もですか!?」
急に水を向けられて慌てる僕に、三笠木さんは当然のような言葉を突きつけてきた。
「奪還任務に向かいます、車を出してください」
「僕なんかが行っても、足手まといになるだけですよ!」
そうだ、この『任務』に僕は参加するべきではない。いくら三笠木さんが人智を超えた『兵器』だとしても、中華マフィアの集団相手に無花果さんと僕を守りながら、だなんて荷が重すぎる。
しかし、三笠木さんはその言葉を撤回しなかった。
あまつさえ、さらに言葉を重ねた。
「あなたは『記録者』です。すべてを記録しなければなりません。目撃し、理解し、記憶しなければなりません。我々はあなたの目を必要としています」
……そうだ。
僕にもできることがあった。
今まで山ほど記録してきたじゃないか。『死体装飾家』、春原無花果についてのすべてを。
この奪還劇が『物語』の一部だとしたら、僕には同行する義務がある。
それが、『目撃者』としての、この探偵事務所に所属している『共犯者』としての、僕の存在理由なのだから。
「わ、わかりました! すぐに軽トラ出します!」
つっかえながら答えると、僕は急いで軽トラの鍵を手に取って事務所を飛び出した。
階段を駆け下りて、ビルの裏に停めてある軽トラの運転席に座り、なかなかかからないエンジンにやっと火がともる。そのタイミングを見計らったかのように、三笠木さんが助手席に乗り込んできた。
「安全運転でお願いします」
「そんな場合じゃないでしょう! 飛ばしますよ!」
いつもみたいに無花果さんにけしかけられたわけでもないのに、僕は軽トラを急発進させた。ハンドルを切り、すぐに高速に乗る。
ハンドルにしがみつくようにボロい軽トラを加速させ、トップスピードでひた走り、僕らは囚われの『死体装飾家』がいる隣県のホテルへと急ぐ。
どうか、どうか無事でいてくれ。
僕はまだ、あなたを失いたくないんだ。
いつもみたいに『ぎゃはは』と笑っていてくれ。
……そう願いながら、僕たちは軽トラのエンジンをうならせながら高速道路を疾走するのだった。