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№7 幕は上がった

 高速をすっ飛ばして隣県にたどり着いた僕たちは、三笠木さんのナビで海沿いのホテル街へと向かった。


 繁華街にあるラブホテルのような場所を想像していたんだけど、たどり着いたホテルはオールドラグジュアリーな立派な外観の建物だった。


 しかし、明らかに日本の資本で建てられたものではないことが雰囲気でわかる。そして、マトモな場所でないことも、なんとなく。


「おそらくは、このホテルを経営しているのが中華マフィアなのでしょう」


 ばん、と軽トラのドアを閉めながら三笠木さんが説明した。僕も軽トラから降りて、改めてホテルを見上げる。


 ここに無花果さんが囚われていると思うと、巨大なパンデモニウムのように見えてきた。


「行きましょう」


「ちょ、まだこころの準備が……!」


 ずんずんとメジャーで測ったような歩幅でホテルの入口へと向かう三笠木さんは振り返りもしない。仕方なく、僕はおっかなびっくりその後についていった。


 ホテルの自動ドアをくぐると、真っ先にボーイが声をかけてくる。


「失礼でスガ、本日は貸切でシテ」


 慇懃無礼にそう告げてくる言葉には、明らかに中国語の訛りがあった。その体躯も制服の上からでもわかるほど鍛えられていてがっちりしている。なにより、目付きがカタギのそれではない。


 おそらくは、ボーイという名の門番なのだろう。言外に『帰れ』と僕たちを追い払おうとしている。従わなかった場合、なにが起こるか想像もしたくない。


 三笠木さんは、そんなボーイの肩を、ぽん、と叩いた。まるで挨拶するように、気軽に。


 そして次の瞬間、容赦ない膝蹴りをボーイのみぞおちに叩き込んだ。


「は!?!?」


 突然に始まった戦いに目を白黒させていると、膝蹴りを食らったボーイは悲鳴も上げられずにその場に崩れ落ちる。


 にわかにロビーの空気がきなくさくなった。


 中国語で色めき立った男たちが、フロントから出てこようとする。


 ダッシュで勢いをつけた三笠木さんは、カウンターに手をついて軽々とフロントを飛び越えると、その勢いのまま男のひとりを飛び蹴りで仕留めた。


「え!? あえ!?!?」


 理解が追いつかなくてあたふたしている僕の目の前で、残っていた男が拳銃を抜く。


 初めて見るナマのピストルは、意外と小ぢんまりとしていた。しかし、たしかにひとを殺傷するための道具だ。


 中国語でなにやら喚きながら引き金を引こうとするより先に、三笠木さんのコンバットブーツのつま先がその銃口を蹴り上げた。


 宙に舞った拳銃が落ちてくる前に、大きく踏み込んだ三笠木さんは低い姿勢から男のふところに肘を打ち込む。


 男がその場に倒れるのと、拳銃が音を立てて床に落ちてくるのは同時だった。


 ……三人を一瞬で片付けて、ロビーには静寂が戻ってきた。


 どうやら、この男は本気で『最終兵器』のようだった。


 訓練された荒事の専門家たちを相手取り、またたく間に倒してしまうだなんて、まさしくスーパーマンだ。


 ようやく状況を理解した僕が我に返ると、三笠木さんは喪服の襟を正しながらひと息ついた。


「一階は制圧しました。敵影はありません。オールクリアーです」


 なんてことなく機械的にそう告げると、メガネの位置を直して、


「あなたは目撃しましたか?」


「……あ、はい……」


 目撃したというか、やっと状況がわかったというか。


 情けないことに、僕は目の前で起こったことがまるで映画のワンシーンのようにしか感じられなかった。


 これでは『記録者』失格だ。


 そんな僕をバカにするでもなく、三笠木さんは淡々とフロントにあったマイクのスイッチを入れた。どうやら館内放送の設備らしいそのマイクに向かって、いつも通りのGoogle翻訳口調で、


『私は侵入者です。私は春原無花果を奪還しに来ました。腐れニートの浣腸さん、聞こえていたら余計なことはせずおとなしくしていてください。これから向かいます』


 それだけ告げると、三笠木さんはマイクのスイッチを切った。


「いいんですか、こんなことして!?」


 こんなの、敵に侵入者の居場所を知らせるようなものだ。いいマトにしかならない。


 しかし三笠木さんはフロントから出てくると手袋をはめ直し、


「こうすることで、私は彼女の居場所を特定します。こちらへ向かってきた敵を制圧し、拷問して彼女の所在を聞き出します」


「ご、拷問って……!? それに、こんなんじゃマトになっちゃいますよ! いいんですか!?」


「それはむしろ好都合です」


 ……今、笑った、のか……?


 このひとの笑顔なんて見たことがなかった。


 それも、こんな獰猛なケダモノみたいな笑顔なんて。


 この男からは一番遠いところにある表情だと思っていたのに。


 ……やっぱり、三笠木さんも『安土探偵事務所』のメンバーなのだ。そう思わせるには充分な、『バケモノ』の笑みだった。


 その笑顔もすぐに引っ込めると、三笠木さんはいつも通りの無表情に戻り、階段へと向かった。


 おじけづいている場合じゃない、僕も着いていかなければ。後を追い、


「これからどうするんですか?」


「向かってくる敵はすべて制圧します。そして私は、彼女の居場所を知っていそうな者を拷問します。拷問して、居場所を教えてもらうでしょう」


 本当にそんなことができるのか……?


 しかし、先程の鮮やかすぎる手際を目撃した以上、信じざるを得ない。


「ワンフロアずつ制圧していきます。あなたは自分の身を自分で守る必要があります」


「助けてくれないんですか!?」


「今回の任務はあくまでも『春原無花果』の奪還です。あなたの護衛は任務に含まれていません」


「そ、そんな……!」


 せめてかばってくれるとか……!


 僕の願いもむなしく、三笠木さんは冷徹な視線を秘めたメガネの位置を直しながら、


「当探偵事務所のアルバイトとして、あなたはできることをするべきです」


「そんなこと言われたって……!」


「行きましょう」


「待ってくださいよ!」


 泣き言じみた声を上げて、僕はその後についていく。


 どうやら、とんでもない戦場に降り立ってしまったらしい。途中下車は不可能、ノンストップの超特急に乗り込んでしまった。


 あとはもう、無花果さんを取り戻すか、蜂の巣になってくたばるかのどちらかだ。


 頼れるのは、このAI男とスプーンだけ。


 ……首をくくるにしても、あまりにも細すぎる枝だった。


 だけど、僕にできることは信じてすべてを目撃することだけ。それこそが、この探偵事務所に所属している僕の使命なのだ。


 ……やるしかない、か。


 遅ればせながら、僕はそうハラをくくった。


 ともかく、無花果さんが無事に帰ってくることが一番大切だ。そのためにできることはなんでもしよう。


 見ていろ、と言われれば見ている。


 戦え、と言われれば戦わなくてはならない。


 ……我ながら、過酷な職場を選んだものだ。


 この因果な仕事を選んだのは他ならぬ僕なんだけど。


 だったら、自分のケツは自分で拭かなければならない。


 三笠木さんの足手まといにだけはならないようにしなければ。僕のせいで奪還作戦が失敗するだなんて、無様もいいところだから。


「早くしてください」


 階段の先で急かす三笠木さんに、必死になってついていく。


「今行きますよ……!」


 おそるおそる階段を上り、二階へ足を踏み入れた。


 ……さて、敵はここからどう出てくるのか。


 こちらには『最終兵器』がついているとはいえ、下手をすれば人死が出るのだ。こころしてかからなければならない。


 逃げるな、日下部まひろ。


 お前は『記録者』だろう、『共犯者』だろう。


 そう自分を叱咤しながら、僕は三笠木さんの後に続くのだった。

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