二階にたどりつくなり、四人の男たちに囲まれた。手に手に拳銃を持ち、鋭い視線と銃口をこちらに向けている。
「み、三笠木さ……」
震え上がっている僕をよそに、引き金が引かれる一瞬前に三笠木さんの手元が閃いた。
まるで達人の居合のような速度で投げ放たれた四本のスプーンは、どれもあやまたず敵の銃口に突き立つ。
拳銃を見て混乱しているマフィアたちに、肉食獣のような勢いで三笠木さんが肉薄した。
足払いをして倒し、倒れたところをみぞおちにかかとを落とす。これでひとり。
メカニカルグローブで武装したこぶしを伸び上がるように放ち、アッパーカットで二人目で沈める。
そのあたりでようやく混乱から立ち直った敵も、もう残すところはふたりだけだ。
殴りかかってきた敵のこぶしを強引に払い、伸びた腕をからだごと巻き込むようにしてその場に投げ伏せる。転がったところを、またかかとでみぞおちを踏みつけにする。これで三人。
残ったひとりはナイフを手に飛びかかってきた。腹を突き刺そうとやいばを振るうけど、もうそこに三笠木さんはいない。
補強された手のひらでナイフをやいばごと捕まえると、そのまま引き寄せる。まさか距離を詰められるとは思っていなかっただろう敵は為す術なく倒れ込み、その勢いを借りて放たれた掌底を腹に食らって胃液を吐き出した。
……しかし、一撃でのしたわけではなかった。
ナイフごと敵の手を握りしめ、崩れ落ちた敵のからだの上に馬乗りになる三笠木さん。そのまま膝の裏で相手の肘を挟み込むように封じ、胸を軽く押さえれば、もう人体の構造上抵抗はできない。
完璧な逮捕術だった。
咳き込み、目を回している敵を見下ろしながら、三笠木さんはゆっくりと弾倉から新しいスプーンを抜く。
「おめでとうございます。あなたには選択肢があります」
あくまでも淡々と述べ、よく見えるようにスプーンをかざし、
「あなたの眼球についてですが、スプーンの裏で押し潰すか、スプーンでえぐり取るか、あなたには選ぶ権利があります」
とんだ二択だ。
拷問するとは言っていたが、まさかスプーンを使うとは思わなかった。
中国語で悪態をつく男は、どちらも選ぼうとしなかった。
結果、三笠木さんは焦らすようにため息をついてから、
「はい、わかりました。では三つ目の選択をします。このスプーンを使って、私は可能な限り残酷な方法であなたの眼球を破壊します」
途端に、ただのスプーンがとんでもなく凶悪な凶器に見えてきた。このスプーンひとつでできる拷問なんて、三笠木さんにしてみればいくらでも思いつくのだろう。
とことん、ひとをいたぶることに慣れている。
ひとを害することに、慣れ親しんでいる。
血と硝煙と暴力のにおいからはもっとも遠いところにいそうだった男は、今だれよりも戦場の真っ只中に立っている。
そのミスマッチにめまいがすると同時に、無花果さんの『作品』を目の当たりにしたときのような吐き気がした。
間違いない、こいつも『モンスター』だ。
規格外に壊れていて、ぶっ飛んでいる。
紛れもなく、それぞれが無花果さんのために在る『安土探偵事務所』のメンバーなのだ。
そう考えると、僕たちはみんな魔女の眷属のような気がしてきた。
眼球の手前までスプーンを寄せると、男は悲鳴じみたわめき声を上げた。その狂態に大げさにため息をついて見せ、
「どうしましたか? あなたは選びませんでした。なので、私が選びました。あなたの眼球はもっとも残酷な手段で破壊されます。そして私は、四つ目の選択肢をあなたのために用意します」
スプーンの縁を男のまぶたに引っ掛けたまま、三笠木さんは無慈悲に言い放った。
「春原無花果の居場所を、私に教えてください。さもなくば、眼球を破壊します。あなたはどうしますか?」
四つ目の分岐は、男にとって唯一の救いに聞こえたに違いない。
喘ぐように呼吸しながら、男はたどたどしい日本語で答えた。
「言ウ! 言ウ! やめロ!」
「わかりました。では教えてください」
「7階のスイートルーム! あの女、そこいル!」
「ありがとうございました。おやすみなさい」
それだけ聞き出すと、三笠木さんはスプーンを弾倉に戻す。男の顔色があからさまにほっとした。
しかし、そのこめかみにすかさずこぶしが叩き込まれ、今度こそ男は意識を手放した。
一撃でのした男のからだの上からどき、三笠木さんはぱんぱんと喪服の裾を払いながら、
「彼女は7階のスイートルームにいるそうです。このフロアは制圧しました。敵影なし、オールクリアーです。私はエレベーターによって7階まで上ります。あなたもついてきてください」
「……あの、このひとたちは……?」
トドメを刺すのだろうか、なにかで縛っておくのか。手当をするということはないだろう。
こわごわ尋ねると、三笠木さんは霜柱の針のような視線を転がった男たちに送り、
「彼らはこのままです。簡単には目覚めないようにしました。今回の目的は殺傷ではなく彼女の奪還です。彼らが目を覚ますのは、すべてが終わってからのことでしょう」
淡々と答えて返す。どこまでも機械的な返答だった。
それは裏を返せば、いくらでもこの男たちを蹂躙できるという意味にも取れた。
おのれの肉体と、人畜無害なはずのスプーンだけで。
……ぞっとした。
無花果さんも『モンスター』だけど、この三笠木国治という人間も、違った意味で『モンスター』だった。
息をするように他人を害し、傷つけ、いのちを奪う。全能の死神のように、生命を刈り取ることに長けている。
同じ『死』を扱う存在のはずなのに、無花果さんと三笠木さんの方向性は正反対だった。
生かすための『死』か、殺すための『死』か。
どこまでも平行線で、交わり合わないふたつの業。
無花果さんと三笠木さんが反発し合う原因は、そこのところにあると僕は感じた。
ただ、反発はし合うものの互いに認めあっている。
それぞれの『死』は理解しかねるが、それに対峙する姿勢は評価しあっている。
そんな奇妙な信頼関係の上に、ふたりは『共犯者』として同じ場所に息づいているのだ。
……三笠木さんの背負っている過去のことはわからない。無理に聞こうとも思わない。
裏社会だろうと、軍隊だろうと、今更驚かない。
ただ、今は同じフィールドに立っている『モンスター』であり、僕たちは『共犯者』なのだ。
僕はそんな『モンスター』のことを目撃し、理解し、記憶しなければならない。
それが、同じ『モンスター』としての僕の役割なのだから。
「……三笠木さん」
「なんですか?」
ようやく覚悟を決めた僕は、問いかけを発する。
「……無花果さんは、無事なんですよね?」
「滅多なことがない限り、彼女の身柄は無事でしょう」
「それだけ聞ければ、充分です」
すくんでいた足を屈伸させて、ついでに膝を叩く。
しっかりしろ、『記録者』。
目を見開いて、すべてを目撃しろ。
たとえなにがあろうとも、目を逸らすな。
それが、お前の存在理由だ。
……自分に言い聞かせると、僕はエレベーターの場所を探して視線を泳がせた。
案内板の指し示す先に、7階まで上がるためのエレベーターがある。
「……行きましょう。『滅多なこと』が起こらないとも限りませんし。なにせあの無花果さんのことですから」
そう告げた僕の表情を見て、三笠木さんはまたしても一瞬だけ、あの獰猛なケダモノの笑みを見せた。
ようこそ、『こっち側』へ。
そう言わんばかりの笑顔をすぐに引っ込めると、三笠木さんは僕の先に立ってエレベーターに乗り込んだ。
もう立ちすくんでいる暇はない。
最後まで見届けなければ。
続いてエレベーターに乗り込んだ僕は、7階のボタンを押して無花果さんの元へ向かうのだった。