「やっほーおっせえよ腐れ人工無能!」
踏み込んだスイートルームは、王侯貴族の居室かと思うほどにゴージャスだった。きらめくシャンデリアの下にビンテージのソファ、ベッドだって天蓋付きのキングサイズだ。
そんなソファにふんぞり返りながら、さらわれたはずの無花果さんはバカでかいテレビを見ていた。ポップコーンバケツ片手に裸足であぐらをかいている。すっかりリラックスしているその様子は、誘拐事件の被害者だとはとても思えない。
……甘やかされている……?
呆然とその光景を眺めていると、開口一番罵声を吐いた無花果さんはポップコーンをコーラで流し込みながら、
「ここ、小生お気に入りのクソパロAV映んなくてさあ、仕方なく名作洋画みてたんだけど、まあクッソつまんないの! 退屈すぎて死ぬところだったよ!」
……呆れた。
乱暴されているんじゃないか、ひどい目に遭っているんじゃないかと心配していたこっちがバカみたいだ。
でろでろに甘やかされた無花果さんは、この豪奢な部屋の女王様のように自由気ままに振舞っていた。
「私は言いました。『心配する必要はない』、と」
気が抜けてものも言えなくなっている僕に、三笠木さんは淡々と述べた。
「誘拐した芸術家は大切にしなければなりません。彼女に危害を加えるどころか、丁重に機嫌を取って活動をしてもらわなければなりません」
……そういうことか。やっと得心が行った。
相手はただの人身売買の商売道具ではな、世界的なアーティストなのだ。乱暴に扱ってそっぽを向かれてしまっては『創作活動』などしてもらえない。
だから甘やかして、ご機嫌を取って、お願いですから『作品』を作ってくださいとお願いしていたのだ。
「ぎゃはは! 退屈極まりないことに目をつむれば、実に快適だったよ! お昼ご飯はピザをデリバリーしてもらったし、肩が凝ったと言えばマッサージまで呼んでくれてさあ! まさしく至れり尽くせりだったね!」
「ではあなたは一生ここにいてください」
珍しくうんざりした顔で三笠木さんが告げると、無花果さんはポップコーンバケツをその辺にぽいっと投げ捨てた。お菓子が散らかる中、ようやく靴を履いて立ち上がり、
「ヤダ!! 帰る!!」
駄々っ子のように言い放つ。
「いくら快適でも、つまんないんだもん! 退屈はニンゲンをじわじわと殺す毒だね! このままだとただのダメニンゲンになっちゃうから、小生帰る! そろそろ映画にも飽きたし!」
「あなたはもともとダメニンゲンです」
「るっせAI野郎が! この無花果さんにはねえ、誘拐されるだけの価値があるんですよう! 思い知ったかポンコツマシンが!」
「それは認めます。しかし、あなたがダメニンゲンであるという事実には変わりありません」
「ダメじゃない! 小生断じてダメじゃないぞう!」
「……もう帰りましょう、無花果さん」
見かねた僕が声をかけると、無花果さんは初めて僕の存在に気づいたようだった。こっちを見て前髪の下の目を丸くすると、
「おや、まひろくんもいたのかい!」
「……まあ、今回は特に出番なかったですけど」
「気にすることはないよ! この人工無能なんてこういうときにしか役に立たないしさ! アッチの方も!」
「誹謗中傷はやめてください、私はあなたを訴えますか?」
「おーよ! やれるもんならやってみろ! その前にぐうの音も出ねえくらいボコしてやんよ!」
「救出されたひとがなにかを言っています」
「それがてめえの役目だろうが! キーボードぽちぽちやってエロ動画探してるだけで給料なんて出ねえんだよ!」
「私は普段真面目に事務の仕事をしています」
「どうだか!……それにしても、だあれが『腐れニートの浣腸さん』だってえ!?」
「それはあなたです」
「わかりきってる事実確認をどうもありがとうクソッタレが! 小生が一番言われてムカつくこと言いやがって!」
「私は事実を述べただけです」
「コイツぜってえボコす! 鉄拳による制裁を下してやっから、とっとと表出ろ!」
「いや、その前に帰りましょうよ」
「あ・そうだった!」
僕の言葉に、熱くなっていた無花果さんは、ぽんと手を打って思い出した。
……このひと、本当に誘拐された当事者なのか……?
「驚く必要はありません。これが世界的なアーティストの本性です。私は嘆かわしいです」
「てめえがなんと言おうが、小生誘拐してまでも欲しい人材だもんね! ほらほら、否定できまい!」
「あなたの商業的価値は認めます。しかし、むしろ彼らの苦労をねぎらいたいです」
「小生おとなしくしてたもん!」
「あなたは機嫌を取られてうれしかったですか?」
「ぜんっぜん!!」
誇らしげに胸を張って、無花果さんが宣言した。
そう、このひとはちやほや甘やかしていれば言うことを聞いてくれるようなタマではない。
ここには無花果さんの創作意欲をかき立てるものはなにもない。その退屈は、無花果さんにとって生命を停止しているのと同じことだ。踊ることをやめた踊り子は、呼吸すらできない。
それをわかっているからこそ、三笠木さんは、そして所長は無花果さんの救出を望んだのだろう。
一刻も早く、『魔女』が再び墓の上で踊れるように。
呼吸をするように『呪い』を、『祈り』を紡げるように。
テレビの電源をオフにして、無花果さんはネコ科の大型動物みたいに大きく伸びをした。
「さーてと、帰ろ!」
「あなたは帰るとき、車の荷台に乗ってください」
「はあ!? 小生荷物扱いでござるか!?」
「産業廃棄物に比べれば、いくぶんかマシです」
「くきいいいいいいいいい!! ひとを粗大ゴミ扱いしやがって!!」
「まあまあ……っていっても、軽トラは二人乗りですからね、僕が運転して、三笠木さんも疲れたでしょうし、無花果さんはおとなしく荷台に座っててください」
「警察に見つかれば逮捕されます。死体を包むのに使っているブルーシートをかぶっていてください」
「いよいよゴミ扱いだなコルァ!」
「仕方ないですよ。ともかく、帰りましょう」
僕がなんとかなだめすかすと、無花果さんは存外素直に満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「うん! 帰ろ!」
……『帰る』。
今まさに、『モンスター』の巣へと、『魔女』は帰還する。
平々凡々とは程遠い日常へ、異常こそが正常となる『庭』へ。
……きっと、それが一番正しいのだろう。
在るべきものは、在るべき場所へ。
踊る『魔女』には、バケモノたちの『庭』こそふさわしい。
「おとなしくしててくださいね?」
「途中パーキングエリアのカレー奢ってくれたらおとなしくしてる!」
「はいはい、わかりましたよ……」
ため息をつきながらも、僕はすっかり安堵していた。
ああ、『魔女』が帰還する。
これで僕は、また『記録者』たりえる。
すべてが満ち足り、完成する。
……そんなことを考えながら、僕は無花果さんと三笠木さんのあとに続いて部屋を出た。
まだばたばたひとが倒れているけど、そのすべてをまたぎ超えてホテルの外へ。
「はあああああ! シャバの空気くっせ! サイコー!」
深呼吸をして、無花果さんは快哉を叫んだ。
それからいそいそと軽トラの荷台に乗り込み、ブルーシートをからだに巻き付ける。
「さあ、凱旋だ! 車を出したまえ!」
「わかりましたよ」
「パーキングエリアに寄るのを忘れてはいけないよ!」
「カレーでしたね、ちゃんと覚えてますから、落ちないように気をつけてくださいね」
「合点承知之助!」
それを聞いてから、僕と三笠木さんは軽トラに乗り込んだ。途中で落っことしてしまったらこれまでの苦労が水の泡だ。安全運転で帰ろう。
そして、僕たちはご満悦の『奪還目標』を荷台に乗せて、一路『安土探偵事務所』へと帰っていくのだった。