「ただいまでござる! ただいまでござる!」
すっかり機嫌を良くした無花果さんは、事務所のドアを開けるなり手を挙げて帰還を宣言した。
「戻りましたよ、所長」
その後に続いて、僕と三笠木さんも事務所に帰ってくる。
……途中のパーキングエリアでカレーを奢るとは約束したけど、まさか五杯も食べるとは思わなかった。おかげで帰ってくるのにも時間がかかった。
「おかえりー。案外遅かったね」
こうなることはすべてお見通しだったとばかりに、いつもの配信を切らないまま電子タバコを吸う所長。ひらひらと手を振っていると、その眼前に三笠木さんが立った。
「奪還の『任務』、完遂しました」
「うん、お疲れー、三笠木くんー」
なにもかもが予定調和だった。誘拐も、救出も、帰還も、すべてはなるようになってしまった。ごく当たり前の儀式のように言葉を交わし、三笠木さんは一礼していつものデスクに戻って行った。
「小生にもお疲れって言って!」
甘えるように駄々をこねる無花果さんに、所長はメガネの奥の糸目をにっこりとさせて、
「うーん、無防備にも誘拐されてしまった無花果ちゃんには、『お疲れ様』よりもちょっとお小言が必要かなー?」
「ヤダヤダ! 小生悪くないもん!」
じたばたする無花果さんの近くまで歩み寄った所長は、その耳元になにやら小さい声で耳打ちした。
……途端に、無花果さんが動きを止める。
真っ青になってがくがく震え出した。
そして、
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! これからは気をつけるから!!」
「うん、いい子だねー、よしよし」
震え上がった無花果さんの頭を、所長は何事もなかったかのようにぽんぽんと撫でた。
……一体なにを言ったのかは……聞かない方が良さそうだ。
涙目で口を尖らせる無花果さんをよそに、普段通りにキーボードを叩く三笠木さんがつぶやいた。
「やはり、私にとってはここが一番落ち着きます」
その姿は、『最終兵器』とはもっともかけ離れたものに見えた。
だって、想像できるか?
このAI男が、あんな快刀乱麻の大活躍を演じるなんて。
「……三笠木さん、妙に手馴れてましたけど……こういうの、けっこう経験あるんですか?」
気になって、おそるおそる三笠木さんの領域に踏み込む言葉を投げかける。
すると三笠木さんはパソコンのモニターから目も離さず、けど一瞬だけフリーズしてから淡々と答える。
「……私は、ただの兵隊崩れの元ゴロツキです。野垂れ死のうとしているところを、所長が私を拾いました。ですので、私は今の雇い主の命令には忠実でいなければなりません」
「ああ、それで無花果さんのボディガード的なことをしてるんですね」
「それは違います。私は春原さんの身辺警護をしているわけではありません。私はあくまでも『事後処理』をしただけです」
そう、三笠木さんにしてみれば、今回の誘拐事件からの救出劇はすべて『事後処理』だったのだ。『守る』のではなく、『取り戻す』ことを目的としていた。
……この、かたくなに『守る』ことを拒む姿勢は、どうしてなんだろうか?
「それにしても、驚きました。『ジョン・ウィック』みたいでしたよ」
「それが私の仕事です」
誇るでもなく、ただ事実のみを述べる三笠木さん。
三笠木さんは、無花果さんのことを理解してはいない。
そんな理解不能の『モンスター』を、いのちがけで救い出したのだ。たとえ予定調和だとしても、危険を犯してまで。
とてもじゃないけど、三笠木さんの中にそうする『理由』はないように見えた。
……そんな僕の内心を見透かしてか、機械的にキーボードを叩きながら三笠木さんは口にした。
「私は春原さんの『作品』を理解しません。理解すれば、私は終わりだと思っています。『死』は『死』でしかなく、そこに意味などありません。ニンゲンは死ねばただの肉袋です。祈るべき神など存在しません。センチメンタルな『排泄物』には興味がありません。むしろ虫唾が走ります」
それはそうだろう。もう『終わった』側の僕からしてみれば、三笠木さんの判断は妥当だと思った。
ニンゲンは死ねばただの肉塊。『祈り』も『呪い』も等しく無価値。脳の電気信号で動くニンゲンにたましいなどなく、『死』に意味などない。
そういう考え方も、あるだろう。
特に、一番多くの『死』に接してきたであろう三笠木さんにとっては。
「……しかし、」
そう言って、三笠木さんは少し長い間フリーズした。
それから、なんだか困ったように眉根を寄せて、
「『創作活動』をしている彼女の姿は、最高に美しいと評価できます。そうするとき、彼女は生き生きとしてる。自己表現をしている。そして、そうすることでしか生きていけないかわいそうな春原さんを、私は好みます」
……なるほど。
三笠木さんには『作品』を理解できないし、する気もない。『死』に価値を見いだせない以上、無花果さんの『作品』はただの死体を使った悪趣味な芸術だ。
だけど、そんな『作品』と向き合っている無花果さん本人のことは、『美しい』と評価している。たとえ『作品』を読み解けなくとも、こういう理解のし方もあるのだ。
三笠木さんと無花果さん、ふたりの間にある絶妙な信頼関係は、こういうところに起因するのだろう。
だからこそ、このかわいそうな『魔女』を、『最終兵器』はなによりも大切に思っているのだ。
そんな言葉を吐き出した三笠木さんは、自分でも驚いたような顔をしてからバツが悪そうにつけ加える。
「ただ、彼女は自分がいかに崇高な行為に及んでいるのかを理解していません。彼女は『創作活動』を排泄と同等の行為だと考えています。私にはそれに対してどうしようもなくいら立ちます」
「うっせてめえに好かれてもうれしかねえんだよ! 勝手にいらいらしてろ!」
「そういった頭の悪いところも大嫌いです」
「おおん!? 小生のことバカにしてんのか!? 昔の壊れたテレビジョンみてえにぶっ叩いてそのお脳みそ修正してやろうか!?」
「私はテレビではありません」
そうしているうちに、またしてもいつもの口喧嘩が始まった。ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う。口喧嘩にしてはやたらに息が合っていた。掛け合い漫才のような罵倒の文言の応酬。
……ああ日常だ。
この『庭』では、『異常』こそが『正常』なのだ。不測の事態こそが日常で、なにが起こるかわからないからこそ面白い。
その中で僕ができることは、『記録すること』だ。
おとぎ話の中の存在のはずだった『モンスター』を、観察して理解して記憶する。そうすることで、『モンスター』をリアルに現出させる。
そんな『記録者』という役割が、この事務所で僕に与えられた使命だ。
だから、なにがあっても目を逸らしてはいけない。
すべてをフィルムに、この『目』に、そしてこの脳髄に焼き付けなければならない。
無花果さんの過去になにかあるのと同様、三笠木さんにだってそれなりの『ワケ』がある。
今は踏み込むことができないけど、いつか本当の意味で『部外者』から『同類』になったそのときは、きっと話を聞けるだろう。
その過去を、僕は、僕だけは忘れてはならない。
三笠木さんもまた『モンスター』であり、『こっち側』のニンゲンだ。僕がこの目で見て、記録して、絵本の中から引きずり出す必要がある。
そうすることで、この魔女の『庭』は成り立っているのだ。
「やーいやーい、役立たず! インポ!」
「そうでないことはあなたが身に染みて実感したはずですが?」
「くきいいいいいいいこいつに助けられたと思うとほんっとムカつく!!」
口喧嘩はまだまだ続きそうだ。
同じ住人として、僕はただ苦笑を浮かべてそれを見ていることしかできないのだった。