無花果さん誘拐事件から二週間が経った。
安土探偵事務所の面々といえば、まるでなにごともなかったかのように『いつもどおり』に平凡な日常を送っていた。
無花果さんは骨格標本と踊り、三笠木さんはパソコンに向かい、所長は配信をして、小鳥さんは閉じこもって出てこない。
……どう見ても、あんな一大事件が起こったあとのこととは思えない。
誘拐なんて一大事なのに、『慣れてるから』の一言と、『最終兵器』三笠木さんの圧倒的なちからでもってちからわざで片付けてしまった。
そんなの瑣末事だよ、と言わんばかりの普段の狂騒に、僕は自分ばかりがショックを引き摺っていることに納得がいかなかった。
この事務所のひとたちは、やっぱりおかしい。
けど、僕もまたその事務所のメンバーだ。
同じ『モンスター』だ。
なのに、中途半端にニンゲンの名残を引きずっている。
なんだか自分が半端者だと言われているような気がして、腑に落ちなかった。
……いつも通り、コンビニでお使いを済ませて事務所に戻ってくる。
「戻りまし」
「なんじゃコラワレェ!?」
いきなり怒鳴られた。
さすがにここはびっくりしていいだろう。びくんとからだをこわばらせて、僕は思わずコンビニのビニール袋を取り落としてしまった。
……チンピラがいる。なぜだ。
関西弁でいきなり罵声を浴びせてきたのは、金髪オールバックにサングラスの背の低い中年男性だった。典型的なヤクザファッション、額には傷。ためつすがめつ僕にガンを飛ばしてくる様は、完全にチンピラのそれだった。
……依頼人……?
とうとうヤクザが死体を探しに来たか。というか、ヤクザなら死体の場所くらいわかりそうなものなのに。簀巻きにして海に捨てたとか、山奥に埋めてきたとか。
けど、依頼人なら僕がなんとかしなくてはならない。他のメンバーに任せてしまったら、余計にややこしくなってしまう。がんばれ、日下部まひろ。
小さいチンピラはつかつかとこっちに歩み寄ってきて、息がかかりそうなほどの近くに顔を寄せてすごんでくる。
「ワレェ、この事務所のモンか?」
「……そっ、そうですけど……?」
僕が答えると、チンピラは米粒と間違えてウジ虫を噛み潰したときのような顔をして、
「せやったら、カタギとちゃうなあ」
「……いえ、僕は、その……」
「こらこら、八坂くーん。うちのバイトくん、あんまりこわがらせちゃダメだよー」
いつも通りののんびりとした所長の声が、天の助けの声に聞こえた。はっとして窓際のデスクに視線を向けると、配信を続ける所長がにこにことこっちの様子を眺めている。
「うっさいわボケェ! これが俺様のデフォルトじゃ!」
「あははー。それを言っちゃあおしまいよー」
なごやかに(?)会話をしているところを見ると、どうやら知り合いらしい。うさんくさい探偵事務所の所長と、チンピラ。どう考えてもアヤシイ繋がりだ。
「……お知り合いですか?」
こわごわと所長に尋ねてみると、思いっきり笑顔で首を縦に振り、
「うん! こう見えて、八坂くんは刑事さんなんだよー」
「刑事!?」
このチンピラ……八坂さんが、刑事?
なんの冗談だろうか。
どう見てもヤクザにしか見えない……けど、昔から警察とヤクザは紙一重って言うし……
いまだにすごんでくる八坂さんをまじまじと見つめ、僕は必死になって『刑事』という職業とこの男を結びつけようとした。
「なんや坊主? 見せもんちゃうぞ!」
「そ、それはわかってますけど!」
言動からして完全にチンピラだ。刑事要素がどこにもない。
「疑っとんのか? しゃあないのう!」
すると、八坂さんは派手なスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出して僕に突きつけた。
金髪でもサングラスでもない、ただ三白眼の目付きがやたらと鋭い八坂さんの写真と、『八坂大樹』という名前、階級、所属などなどが書かれている。たしかに桜の御紋がついている、正真正銘の警察手帳だ。
……どうやら、悪い冗談ではないらしい。
しかし、そうなると問題はこの事務所がやっていることだ。
魔女の『庭』……死体を現代アートとして装飾する『死体装飾家』のためだけのこの探偵事務所という存在は、法的に怪しすぎる立場にある。
そもそも、他殺だろうと自殺だろうと、ひとが死んだらまずは警察に届け出なければならないのだ。そこには事件性があり、法の手が及ぶ。
ましてや、見つけた死体に手を加えるなんて、死体損壊の罪に問われても仕方がない。日本は法治国家だ、ひとが死んだらそれ相応の手続きが必要になる。それをすっ飛ばして死体をアートの素材にするなんて、倫理的にも法的にもぎりぎりアウトだった。
とうとう、司法のメスが入ったか……このままでは、この事務所はおしまいだ。みんな逮捕されて事情聴取され、裁判にかけられて刑罰が下される。
僕も例外ではない。
少し前から、成人は18歳からになった。
ということは、19歳の僕だって少年Aではいられないのだ。
今まで前科者になるなんて考えもしなかった。しかし、とうとうお縄につくときが来たのだ。僕に課せられる罰とは一体どれくらいのものなんだろうか? すぐに社会復帰ができるようなものなのだろうか? 最悪、どこにも就職できず誰も家を貸してくれず、路頭に迷うかもしれない。そうなれば若くしてホームレス一直線だ。
……終わった。
静かに自分の人生が終了していくのを感じながら、僕は真っ白な灰になってほろほろと風に吹き崩されていくような気分になった。
「あー、ちょっとまひろくんー?」
おーい、と所長の声が僕を現実へと呼び戻す。逮捕されるにしてはのんきすぎる声音だった。いや、このひとなら逮捕されるとわかっていてもこんな感じなのかもしれない。
しかし、所長は手をひらひらと横に振り、
「違う違うー。八坂くんは刑事だけど、別に僕たちのこと捕まえに来たわけじゃないからさー」
「…………へ?」
「せやボケェ! 刑事が常にワッパ振り回しとると思ったら大間違いや!」
……逮捕、されない……?
所長と八坂さんの言葉を聞いて、僕は安堵のあまりその場にがっくり膝をつきそうになった。
よかった、前科者にならずに済むんだ……!
このときばかりは、いるのかどうかもわからない神様に感謝した。
……だけど、そうなると次の疑問が湧いてくる。
「じゃあ、なんで刑事さんがうちなんかに来てるんですか?」
たしかに前々から法的に問題があるなとは思ってたけど、逮捕しに来たんじゃないんならなにをしに来たんだ? いくら日本が平和だからって、刑事も暇じゃないだろうに。
やっぱり依頼に……?
「俺様は別にお前らに死体探せゆうて頼みに来たわけやない。わざわざ素材提供する義理もないわ!」
けっ、と吐き捨てるように八坂さんが言った。
だったらどうして?
「まあまあ、まひろくんは初の遭遇だから戸惑うのも無理ないよ」
「ひとをUMAみたいに言うなや!」
「あははー。UMAよりずっと物騒だもんねー」
「お前はまたああ言えばこう言う……!」
「まあ、紹介するからふたりとも座りなよー。視聴者のみなさまにとってはお馴染みの八坂くんだけど、初見のみなさまにも挨拶してもらわなきゃ」
「俺様はお前のきっしょい露出趣味に付き合う気はないわ!」
「だってさー。挨拶はあきらめるけど、まひろくんにもきちんと紹介しないとー。うちの探偵事務所には縁の深い人物なんだからー」
縁が深い……? 刑事が??
なにやら予想外の展開になってきた。
とりあえず、僕はこの八坂大樹という男について、より詳しい情報を聞くためにソファにそっと腰を下ろすのだった。