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№2 『八坂大樹』

 僕たちが席につくと、所長が奥からお茶を三つ運んできた。おそらくは、また小鳥さんがいれてくれたのだろう。


 それぞれの前にお茶を置くと所長もソファに座り、にこやかに紹介を始めた。


「このひとは八坂大樹っていうの、刑事でなおかつ僕の大学の後輩だよー。たまに事件のことでこの事務所に相談しに来るんだよー」


「相談ちゃうわ!」


 所長の言葉に、すかさず八坂さんがツッコミを入れた。さすが、本場のノリはキレがいい。


 八坂さんはソファにふんぞり返るように腕を組みながら、


「俺様はお前らの『監視』が仕事やからな!」


「『監視』?」


「せや! 上手いこと立ち回っとるけどな、公安にはマークされとるんやで、ここ。せやから、俺様がなんかやらかさんかどうか、『監視』しとるんや!」


「これでもキャリア組なんだけど、八坂くんこんなんだからさー、上にもめちゃくちゃ目ぇつけられて干されてんのー。あははー、笑えるでしょー?」


「うっさいわボケェ! 俺様は俺様のスタイルは絶対曲げへん! 言いたいやつには言わせときゃええんや!」


「そのせいで干されてるのにー?」


「干されてへんわ! お前と違て仕事しとるわ!」


「キャリア組って……あの、おふたりともどこの大学出てるんですか?」


「僕らは京大理学部物理学研究室の先輩後輩だよー」


「いちいち後輩扱いすんなやオッサン!」


「えー、君だって一個下なんだから立派なオッサンだよー?」


「俺様はオッサンちゃう! 俺様という年齢を超越した存在や!」


 なにやらボケなのかツッコミなのかよくわからない会話をしてるけど、まさかの京大理学部……ものすごいとこ出てるな……


 高卒フリーターの僕でさえ、いかにふたりが頭のいいひとなのかがよくわかる回答だった。


 質問を変えてみる。


「それが、どうしてこんなんになったんですか?」


「『こんなん』言うなや!」


「いやー、刑事って舐められたら終わりでしょ? それで八坂くんなりに気合い入れたらしいけど、やりすぎだよねー。まるっきりヤクザじゃないー」


「ヤクザちゃうわ!」


「あははー。昔はもっとかわいかったのにー」


「かわいい言うな! きっしょいねん! あといちいち先輩面すんなや!」


「だって先輩だもんー」


「ああー、過去に戻って親に『もう一年はよせえ!』って言いたい!」


「そういう発想がかわいいんだよー」


「きっしょいわオッサン!」


 関西弁も相まって、まるで夫婦漫才みたいだった。八坂さんは絶対に否定するだろうけど、息はぴったりだ。ダテに同じ研究室で先輩後輩をやってきたわけではないらしい。


 しばらくの間『きっしょい』を連発しながらも、八坂さんはひとつ、咳払いをして場を仕切り直した。


「ともかく……今回、ちょい気になる事件あってな。別に相談しに来たわけちゃうで。事件性の有無で事件当事者の家族と揉めてな、それでここ紹介したんや」


「……ってことは、今回も死体を探しに依頼人が?」


「せや、そろそろ来ると思うで」


 刑事、事件、死体を探す依頼人……こうなってくると、もうイヤな予感しかしない。


 はっきりと、犯罪がおこなわれていると告げられたようなものだ。


 今までにも、事件性のある依頼があった。けど僕たちはいつも通りに死体を探して、『作品』にして、なにごともなく依頼人に死体を返して、事件性をなかったことにしてきた。


 それが今回、八坂さんという刑事の介入によって、否応なしに犯罪として対峙しなければならないのだ。


「けど、それじゃあどうして警察は捜査しないんですか?」


 当然の疑問に、八坂さんは額の大きな傷をかきながら、


「言うたやろ。事件性の有無で当事者の家族と揉めとるんや。警察としては殺人事件として事件性があるっちゅうことで動きたいんやけど、家族が『これはただの自殺や』言うてな、捜査に難色示しとる。それで、俺様がこの探偵事務所のこと言うたら、『依頼する』言い出してな」


 なるほど……自殺か、他殺か。警察も判断しかねているということか。


 家族が自殺だと言い張っている以上、被害者感情をおもんぱかってなかなか大々的な操作には踏み出せない。そこで、折衷案として八坂さんとこの事務所にお鉢が回ってきたらしい。


「それで、その依頼人はこれからこの事務所に来るんですか?」


「そろそろ来ると思うで」


 今からか……そういえば、誘拐事件という一大事があったせいか、最近『作品』を見ていないことに今気づいた。


 春原無花果の『作品』……こころを素手で殴りつけるような、『魔女』の祈り、そして呪い。死者と語らい、その『死』に意味を与えるメメント・モリ。


 その痛烈な『作品』のことを思い出すと、すぐに喉が乾くような感覚に陥った。


 ……また見たい。


 このカメラにしっかりと『記録』したい。


 無花果さんが咀嚼し、排泄する『死』の輪郭を、またなぞりたい。


 その瞬間、僕は『死』を、そして無花果さんという芸術家のことを理解できるのだから。


 今回は、警察が絡んでいる。


 けど、無花果さんはいつも通りに推理……いや、死者の思考をトレースして、死体の元にたどり着くのだろう。


 そして、見つけ出した死体を素材にして『作品』を作り上げる。


 事件性の有無なんて、もはやどうでもよくなってしまった。そんな衝動に駆られるあたり、僕も充分に『こっち側』だ。


 倫理や法の対岸にいる『モンスター』。それが僕たちだ。


 よく考えてみると、八坂さんが僕たちを『監視』する理由もわかる。


 要するに、なにをしでかすかわからないのだ。


 ただでさえ死体をいじくりまわす僕たちは、警察にとっては頭痛の種だろうに、殺人事件の領域にまでズカズカ踏み込もうとしている。それは警察の領分だ、探偵が立ち入っていいものではない。


 警察の威信にかけて、僕たちよりも先に死体を見つけ出して、然るべき手続きに及ばなくてはならないのだ。


 そうなってくると、とても死体を素材に『作品』を作るだなんて言っていられない。ことは犯罪なのだ。被害者がいて、裁くべき犯人がいる。法の名において、看過することはできない。


 ……『作品』が見られるのは、事件性がない自殺だった場合、そしてその死体を無花果さんが先に見つけたときだけだ。


 不謹慎にも、僕はなによりも一番に『作品』を見たいと願ってしまった。


「まひろくん! 小生、とうとう足の爪切り動画でオーガズムに……おや、八坂のオッサンじゃないか!」


 タイミングを見計らったかのように、アトリエから無花果さん当人が出てきた。どうやら無花果さんも八坂さんを知っているらしい。


「……チッ、『魔女』やないか……」


 八坂さんは舌打ちをして、呪詛のようなつぶやきを吐き棄てた。


 その表情を知っていながら、無花果さんは、すすす、と八坂さんに歩み寄ると、おちょくるようにそのサングラスを指でいじり、


「んんー? 小生をしょっぴく準備でもできたのかーい?」


「まだやアホンダラ!」


 その指を振り払って、怒鳴り散らす八坂さん。


「けどなあ! 近いうちに絶対逮捕したるからな! 首洗って待っとけ、『魔女』!」


「ぎゃはは! その日を楽しみに待っているよ! 精々励みたまえ、ちっさいチンピラのオッサン!」


「身長のことは言うなやデカ女! お前がでかいだけや!」


「ぎゃはは! やっぱ小生、八坂のオッサンのこと好きだよ!」


「俺様はお前なんぞ大っ嫌いや!」


 ……このふたり、相性最悪だな……


 方や犬歯をむいて威嚇し、方や煽るように大笑いしている八坂さんと無花果さんを見て、僕はこれからやって来る依頼人が持ってくる事件で、余計にややこしい話になる予感でいっぱいになるのだった。

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