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№4 贈賄疑惑

「それでは、もう少し詳しい話をお聞きしてもいいですか?」


 僕が水を向けると、奥さんはときおり言葉に詰まりながらもはっきりとした口調で語った。


「先程申しました通り、主人は参議院議員をやっておりました。新進気鋭の若手として、着実にちからを伸ばしていたのですが……先日、週刊誌で贈賄疑惑が報じられまして」


 おそらくは、あることないこと書くような週刊誌だろう。しかし、疑惑は疑惑だ。持ち上がった以上はなかなか火を消せない。そして、世間はこぞって議員をバッシングする。


 その想像は間違っていなかったらしく、奥さんは憔悴しきった顔で告げた。


「……それからというもの、毎日毎日、取材陣に囲まれて……議会でも贈賄疑惑に関して糾弾されて、周りからも『汚職議員』という色眼鏡で見られて……ネットにも、主人を批判する声が多数ありました。とうとう家にまで石が投げられたり、誹謗中傷の手紙が投函されたり……ともかく、主人も私も疲弊していました」


 きっと、僕が想像するよりもずっと過酷な日々だっただろう。尖った棘よりも、ねっとりと肌を焼いていく酸のような悪意。どこを見ても批判ばかりで、味方はいない。孤立無援だ。


 全方位から攻撃されて、からだを丸めるようにその降り注ぐこぶしのような暴力からこころをかばい、縮こまってただ耐えるだけ。


 これはリンチだ。ニンゲンというものは、ひとたび共通の『敵』を見つけると、集団心理が働いて結束してその『異物』を排除しようとする。『こいつは攻撃してもいいやつだ』とわかった途端、みんなで協力して燃やそうとする。


 その炎はエスカレートしていき、『敵』が折れるまで続く。なぜなら、『大義名分』があるからだ。それが、一般大衆としての『正義』なのだから。


「ですが、主人の身は潔白です」


 ぎゅ、と膝の上で手を握りしめて、奥さんは吐き出すように言った。


「絶対に、そんなひとじゃありません。正義感が強くて、常にひとのために働いてきました。何年もそばで見ていたからわかります。あのひとは、そんなひとじゃない。贈賄なんてするはずがありません」


 議員の妻として長年寄り添ってきた奥さんの言葉には、たしかな重みと説得力があった。芯から議員を信じきっているのだろう。その震える手からはわずかに怒りのようなものがにじみ出ていた。


「……ですが、だからこそ濡れ衣を着せられて、余計にこたえたのでしょうね。主人は疲れ切っていました。そして最後は、『自身の身の潔白を、死をもって証明する』と遺書を残してどこかへ消えてしまいました」


 もう、自身の死でしか世間に訴えられない段階まで来ていたのだ。他に道はあったかもしれないけど、まっすぐなこころを持つ議員にとっては耐えきれなかった。視野狭窄に陥り、いのちよりも身の潔白の方を選んでしまったのだ。


 大衆の『正義』という名の悪意が、ひとを殺した。


「……きっと、今ごろ主人はこの世にはいません。やると言ったらなにがなんでもやるひとでしたから。自殺は決行されて、主人のなきがらは今もどこかで誰にも見つけられずに朽ちているはずです。だから、一刻も早く見つけてあげたいんです」


「……わかりました。さぞかし大変だったでしょう」


 慰めるようにかけた言葉に、しかし奥さんは凛として首を横に振った。


「私のことはいいんです。議員の妻とはそういうものですから。その覚悟をして、あのひとといっしょになったんです。いっしょになって、最大限のサポートをしてきました。ひとりの女である前に、私は議員の妻なんです」


 その言葉には、たしかな決意の色があった。なにもかも覚悟して、それでもなお議員を伴侶として選んだ。何が起こっても、議員の妻としての責任をまっとうしようと。


 そのためなら、女であることも、ひとりのニンゲンであることすらもあきらめた。議員のために生きることを決め、その決意にふさわしい生き方をしてきた。


 とても鮮烈な生き方だ。美しいとも言える。しかし、そこにはどこか痛々しさが感じられた。


「……主人は、世間の身勝手な『正義』と、自分の正義感に殺されました。最後まで誠実であろうとした結果が、みずからいのちを断つことでした。正直……悔しいです。ありもしない疑惑で攻撃されて、抗うこともできず、ただ耐えることしかできなくて……」


 奥さんのまっすぐな声音がわずかに震える。このときばかりは、奥さんは『議員の妻』ではなく『ひとりの男を愛した女』だった。


 しかし、それも束の間だった。すぐに震えはなくなり、奥さんは再びきりっと前を向く。


「だからせめて、どこともしれぬ場所にひとりで眠っている主人を迎えてあげたいんです。私は、私だけは帰りを待っているんです。どれだけ疲れ果てようとも、『おかえり』と言ってあげたいんです」


 妻として、主人の帰りを待つ。たとえもう二度と生きて『ただいま』と言ってもらえなくとも、返事のない『おかえり』を言うために。


 それだけの覚悟が、奥さんにはあった。


「あの遺書は、主人の最後の声です。私は主人が自殺したことと、あの遺書を世間に向けて公開するつもりです。あなたがたの無責任な『正義』が、ひとをひとり殺したのだとつきつけてやりたい……それが、私が最後にできることだと思っています」


 議員を殺した連中に一矢報いたい、奥さんはそう考えているらしい。遺された最後のやいばを、大衆に突き立ててやりたいと。


 そのためには議員の死体が必要だ。自殺をしたという確たる現実がなければ、やいばもナマクラとなる。しっかりとその『死』を確かめなければ、奥さんは前に進めない。


 ……そう、ことは『自殺』でなくてはならないのだ。だからこそ、奥さんは『他殺』として事件性を主張する警察を無視して、ここへ来た。あくまでも、議員は自殺したのだと、みずから死を選ばざるを得なかったのだと宣言するために。


 なるほど、話が見えてきた。


 奥さんは僕の目をまっすぐに見つめて、


「だから、主人の自殺体を見つけていただきたいんです。今でもどこかで迎えを待っている主人のためにも、世間の『正義』が主人を殺したのだと報じるためにも、どうしても死体を見つけなければならないんです……お願いです、どうか見つけ出してください」


 そう言うと、奥さんは深々と頭を垂れて動かなくなった。


「まあまあ、奥さん、顔を上げてよー」


 所長がとりなしても頑として頭を上げない。こちらが請け負うまでテコでも動かないだろう。


 僕は真剣な顔でうなずき、


「わかりました。ご主人の死体は、僕たちが必ず見つけ出します。そして、身の潔白を世間に知らしめましょう。死体は素材として使わせてもらいますが、その『死』にだけは手を触れません……ですから、どうか頭を上げてください」


 僕がそう答えると、奥さんはやっと顔を上げてくれた。涙も笑顔もない、ただただ毅然とした眼差しで、


「……ありがとうございます。どうかお願いします」


 僕を見つめると、もう一度深く頭を下げた。


 ……さて。


 だいたいの話は見えてきた。


 世間の『正義』によって抹殺された議員。奥さんの言葉を信じるならば、濡れ衣によって死を選ばざるを得なかった男。


 問題は、その死が『自殺』なのか『他殺』なのかだ。


 奥さんの意見と警察の意見はまっぷたつに割れている。だからこそ、今回『監視役』の八坂さんが動いたのだ。


 ……今回の件、『作品』うんぬん抜きにしても、この奥さんのためにも僕たちが先に死体を見つけ出さなければならない。でなければ、議員も浮かばれないだろう。


 頼みましたよ、無花果さん。


 僕はこころの中でそう願うのだった。

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