「……さて、どう思うかね、八坂のオッサン?」
ひと通りの事情を聞いた無花果さんは、まず八坂さんに話を振った。やたらにやにやしている。
八坂さんはサングラスをかけた傷顔をしかめながら、
「……警察でも大騒ぎになっとる。汚職疑惑の有名議員が死んだ、ってな。一応報道管制はかけとるけど、マスコミにバレんのも時間の問題や。その前にケリつけんとあかん」
「ほうほう! 警察の威信をかけて、というやつかね!?」
「せや。日本の警察もまあまあ無能やけど、これ以上無能晒すこともあらへんからな。きちんと捜査して、事実を公表する。そこら辺の方向性としては、その奥さんと変わらへん」
「ぎゃはは! 無能を自覚している警察というのもなかなか悪くない! 無知の知というやつだねえ! 小生が褒めてあげよう!」
「うっさいわアホンダラ……方向性は同じやけど、俺様たちの見解は真逆や。つまり、『他殺』……議員は、殺されたんや。世間の『正義』とやらの圧力でやない。れっきとした殺人者の手によってな」
「こ、殺された、って……」
僕が息を飲むと、八坂さんは重々しくうなずいた。
「そう、殺されたんや、陰謀でな。議員の贈賄疑惑は真実やった。実際にあったんや。そして、それを同じ穴のムジナどもが共謀して、汚職事件の口封じに殺した……自殺に見せかけてな」
まさか、そんな深い闇のある事件だったとは。
……けど、たしかにことは国政に絡んでくる。そこには様々な思惑があり、利害があるだろう。政治という駆け引きの場では、ひとのいのちであろうとも容赦なく駒にされるのだ。
八坂さんは額の傷をかきながら、
「その疑惑がある以上、警察は動かなあかん。正式に捜査して、腐った政治家どものハラの内あばいたるんや。それでこそ議員も浮かばれるやろうし、そうやないと法の敗北を認めることになる。好き勝手やるやつが野放しにされる、そんなことは絶対に許されへん」
それが警察の、そして八坂さんの『正義』なのだろう。世間の身勝手な『正義』とは違う、義務と責任をともなった重い覚悟。ともすれば、それは存在意義にすらなりうる。
そんなレーゾンデートルを守るために、八坂さんは躍起になってこの事件に臨んでいる。
「そこの奥さんは『自殺』やって言い張って、こんなとこに依頼しに来たんやけどな。気持ちはわからんでもないけど、疑惑は疑惑、そこは警察が調べなあかん。そのための俺様たちや。俺様たちなりの弔い合戦や」
暴くべきを暴く。八坂大樹は、警察機構の真の在り方を体現するような存在だ。そこにどんな心情があろうとも、無慈悲なまでにすべてを白日のもとに晒す。
捌くべきを裁き、許すべきを許す。その選別のために、正式な捜査をしようとしているのだ。
しかし、奥さんの気持ちは違う。
あくまでも『自殺』として、疑惑はなくただの濡れ衣によって押し殺されたのだとして、最後まで身の潔白を貫いたのだとして、死体を探しにやってきたのだ。
真相をたしかめたいという方向性に変わりはない。
しかし、その点で警察と奥さんの意向は真逆に割れている。
そんなこんなで折衷案として選ばれたのが、この探偵事務所ということなのだろう。
「お前らんとこにお鉢回した手前、さすがに『監視員』としても見過ごせへんしな。ヘタこいてもらったら困るんや。もちろん、俺様も捜査させてもらう。悪いけど、奥さんのこころ、折らせてもらうわ」
法の前ではすべてが平等で、だからこそ慈悲はない。『ひとを殺したら罰を受けなければならない』というシステムに則って、犯罪を狩る猟犬。
八坂さんにもひとのこころはあるだろう。奥さんに同情しているに違いない。しかし、『正義』のためにはときにそのこころから目をそらさなければならないのだ。目をつむって、手をかける。罪に然るべき罰を与えるために。
八坂さんの複雑な心境を知ってか知らずか、無花果さんは目を輝かせながら、
「おお! 推理対決だね! 小生の方がぜってー頭いいもん! 小卒が京大卒に打ち勝つ瞬間をとくと見たまえよ!」
「うっさいねん『魔女』! アタマおかしい女の話なんてマトモに聞いとれるか! 全部世迷言や!」
「ふっふーん! さては小生の頭脳におそれをなしたでござるな!?」
「アホは黙っとれ言うとるんや! 逮捕の前に精神科の閉鎖病棟ぶち込むぞ!?」
「小生えっちな妄想はするけど、病的な思考障害は抱えてないもーん!」
「これやから『バケモン』は……! ともかく、これは『他殺』や! 議員の贈賄疑惑はホンモノで、政治的な陰謀で誰かが手を下した! 俺様の見解は『他殺』や!」
「いーや! これは『自殺』だね! 小生、自信を持ってそう言えるよ! だって他ならぬ奥さんが確信しているのだよ? 一番近くで見守ってきた人間の言葉を信じずして、他になにを信じると言うのだね? あーあ! これだから警察ってのはヤボで無能で杓子定規なのだよ!」
「おうゴルァ国家権力に楯突くつもりかワレェ!? 少なくともお前よりはマシなアタマしとるわボケェ!」
「マトモマトモとのたまうばかりで、常識の枠に閉じこもって思考停止している警察のみなさまよりは、小生の方がずっとマシなアタマしてるさ! 八坂のオッサンこそ、我々に任せて手を引きたまえよ!」
「アホ抜かすな! 『バケモン』なんかに任せとれるか! 死体は絶対に俺様が見つける! そんで、殺したやつも絶対に挙げる! それが俺様の『正義』や!」
「おうおう、吠えるねえちっさいポメラニアンヤクザが!」
「誰がポメラニアンヤクザやねん!?」
「ぎゃはは! あー、八坂のオッサン好き!」
「俺様は大っ嫌いやワレェ!!」
喧々諤々、口喧嘩と言うにはあまりにも一方的なやり取りがなされる一方で、奥さんばかりが不安そうにしている。
僕はふたりをよそ目に奥さんの目を見つめ、
「大丈夫です、きっと見つけ出します」
真剣な言葉を差し出すと、奥さんはすがるように言葉を重ねてきた。
「……主人の贈賄疑惑は濡れ衣です。それを証明するためにも、『自殺』したなきがらが必要なんです。どうか、お願いします」
「もちろんです。うちの探偵は、死体探しに関しては優秀ですから」
「そうそう、小生にどーんと任せておけばいいのさ!」
「お前は出しゃばんなや! 邪魔やねん!」
「ふっふーん! 小生の冴え渡る紫色の脳細胞の前にひれ伏すがいいさ!」
「じゃかあしい! 死体見つけんのは俺様や!」
……このふたりの相性もそうだけど、見解もまるで噛み合っていない。
方や、『自殺』。
方や、『他殺』。
その真相も、死体が見つかればはっきりするだろう。
今は奥さんのためにも、そして死んだ議員のためにも、できる限りのことをするしかない。
それが推理勝負でも、真実がわかれば問題ない。
「絶対に負けへんからな!?」
「ぎゃはは! 勝つのは小生だよ!」
いがみあっているふたりを置いて、僕は奥さんに向き直った。
「これから更に詳しいお話を聞かせてもらいます。一見すると意味のない質問に聞こえるかもしれませんが、正直に答えてください。それが死体を見つけ出す手がかりになりますから」
「……はい」
そう、無花果さんの思考トレースに必要な『質問攻め』を始めなくてはならない。そうすれば、無花果さんは死者の考えを追いかけて、やがては死体の元にたどりつくはずだ。
「おっと、小生にバトンタッチしてくれたまえ! 奥さん奥さん、どれも必要な質問だからね、しっかりはっきりバカ正直に回答してくれたまえよ!」
「……はあ……」
さあ、推理の時間だ。
サングラスの奥からの視線で、八坂さんも聞き耳を立てていることを実感する。
そして、無花果さんの『質問攻め』のターンが始まるのだった。