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№6 『探偵』の見解

「まずは、夜の生活はあったかい!?」


 ……さっそくジャブかよ。


 証言の真実味を測る、無花果さんなりの探りの質問だ。


 ジャブにしては痛烈すぎる質問に、奥さんは戸惑いながらも、


「ええ、一応……子供には恵まれませんでしたが、夫婦仲は良好すぎるくらい良好でした」


「実に結構だね! 仲良し夫婦だったわけだ! 議員になる前はなにをしてたんだい?」


「小学校の教員をしていました。生徒のことをとても大切にしていて、文化祭や体育祭なんかの催し物に積極的で」


「教師の次に政治家か! まさしく世のため人のため、聖人君子だねえ! 小生はマネしたいとは思わないけれども! 通勤は電車だったのかい?」


「ええ、最寄りの駅まで私が車で送り迎えしていました。失踪した日も変わらずに出勤して行って、自宅に戻った私が主人の部屋の掃除をしていると、遺書が見つかって」


「なるほど! そういういきさつだったのだね! 失踪当日まで普通だったと! もしかして、日本の映画が好きだったかい?」


「……よく分かりましたね。特に黒澤映画が好きで、『七人の侍』をよく見ていました。時代劇が好きでして、本人もまるで武士のような人でした」


「現代の腐った政治を一刀両断! 勧善懲悪の政治家だったわけだ! 小生も夕方の時代劇は大好きさ! 旅行は好きだったかい?」


「ええ、恋人時代はよく他県にキャンプに行きました。テントを張って泊まりで星を見に行ったり、山に登ってバードウォッチングをしに行ったり……仕事が忙しくなってからはなかなか行けなくなりましたけど」


「大自然の中で過ごす恋人との時間、よろしいねえよろしいねえ! 愛が深まるねえ! 領収書はちゃんともらうタイプだったかい?」


「いえ、なんでも経費にするのは良くないと、切るべき時にしか切りませんでした。基本的には移動もタクシーを使わず、自分の足と電車で。外食でも領収書をもらったことはありませんでした」


「ふむ、真面目だねえ! 小生だったら絶対経費で落としちゃうのに! ああ、もしかして名門の家の出だったりするのかい?」


「はい、代々政治家や医師を排出している、由緒正しい家系でした。なんでも、元々は武家だったらしくて、鎌倉時代から続く血統だったそうです」


「なるほどねえ! 高貴な家の出なのに一般庶民のために身を粉にして働くなんて、政治家の鑑じゃないか!……最後に」


 質問攻めの終点にたどり着いた無花果さんは、これまでのおちゃらけた態度がウソみたいに奥さんの瞳の奥をひたりと見据えて、


「奥さんは、これは本当に『自殺』だと思うかい?」


 まさに、今回の争点をずばり突いてきた。


 奥さんは少し考え込む様子を見せて、それから訥々と答え始める。


「……正直に申し上げますと、私自身どちらかわかっていません。仕事の内容に関してはあまり触れませんでしたから……そこになにかしらの策略があったのかもしれませんし、『自殺』に見せかけた『他殺』かもしれないということを完全に否定することもできません」


 奥さんはどこまでも冷静だった。自分の中にくすぶっているわずかな迷いを口にして、それでもしっかりと前を見ている。


「……ですが、これだけははっきりと言えます」


 奥さんの目が、無花果さんの観察するような視線を見つめ返す。そこにはたしかに、意志の光が宿っていた。


「主人は潔白でした。これでも何年も夫婦としてやってきたんです、そんなことをするひとではないことくらい、私にだってわかります。どこまでも誠実で、まっすぐで、一生懸命なひとでした」


「潔白なのに、殺されたかもしれないという可能性を捨てきれないのかい?」


「はい。私には、自分の目を百パーセント信じるだけの勇気がありません……もしかしたら、贈賄を断ったことでなにかあったのでは、という思いはずっとあります……でも、でもですよ」


 奥さんが握りしめた手にちからがこもり、震える。


「……正直に、一生懸命に生きてきたのに、そのせいでだれかに殺されただなんて、そんなの……むなしすぎるじゃないですか。正直者がバカを見るだなんて、そんなの絶対に正しくないです。だから、私は『自殺』だと信じたいんです。正義漢ぶって主人をなぶり殺しにした世間を見返すためにも」


 ……心底悔しいのだろう。


 常識で武装した『正義』で、よってたかって議員を殴り殺した大衆を、奥さんは許さない。


 それが議員の妻の『正義』であり、信じるべき道だ。


 そして、その復讐を果たすには議員の自殺体が必要だった。『お前らが殺したんだ』と世間を糾弾するために、死者の代わりに叫び声を上げるために。


 それこそが弔いになると信じて。


「よし! 小生、おおむね理解!」


 ぽん!と手を打って、無花果さんは表情を明るくした。


「……あの」


「うん、なんだい奥さん?」


「さっきの質問でなにがわかったんですか? 遺書も見せていないのに……」


 不安の只中にいる奥さんに向けて、無花果さんはにんまりと笑って見せた。


「おおむね、さ!」


「……はあ……」


 ……ひとの不安をあおることにかけては、天才だなこのひと……


 無花果さんの代わりに、僕がフォローした。


「大丈夫です。この探偵はこうして数々の死体を見つけ出してきました。安心して僕たちに任せて、奥さんはご主人の死体が帰ってくるのを待っていてください」


「……わかりました」


 そう答えて、奥さんは軽く一礼する。


 無花果さんはといえば、三笠木さんのデスクに寝そべって仕事の邪魔をしながらなにかを紙に書き付けていた。まるで幼児の落書きみたいな格好だ。


「よっこらセックス!」


 そうしてようやく三笠木さんのデスクから飛び降りると、出来上がった紙切れを持って事務所の奥へと向かう。


 ポップな書体で『巣』と書かれたプレートのかかったドアからは、既に軍手の小さな手が伸びている。


 その手に紙切れを託すと、手はすぐさま『巣』の奥へと引っ込んでいった。


 いつも、無花果さんはこうして自分の推理……いや、思考のトレースを元に、小鳥さんに正確な情報を割り出してもらう。そうして浮き上がってきた死体のある場所に、僕をともなって向かうのだ。


 果たして、今回は一体どんな形で見つかることになるのだろうか……?


 というか、本当に無花果さんが先に見つけるのだろうか?


 八坂さんだって、『他殺』の線で死体を追っている。言動は完全にチンピラのそれだが、この男、相当に鋭そうだ。ダテに警察機構の猟犬をやっているわけではない。


 今も、ずっと刺すような視線を感じている。


 八坂さんもまた、推理しているのだ。


 自分なりの『正義』を貫くために、死体のありかについて考えている。


 これは『自殺』か、はたまた『他殺』か。


 たとえたどる道順が同じでも、行き着く先は全く別々のものになるだろう。八坂さんは犯人の逮捕まで見越している。もし『他殺』なら、それは政界に大きなインパクトをもたらすに違いない。


 それがわかっていてなお、八坂さんは動いているのだ。自分がやっていることの重大さを痛いくらいに知っていながら、おのれの『正義』を貫くために真実の元へと向かっている。


 ……この勝負、わからなくなってきた。


 勝つのは『死体装飾家』か、『監視者』か。


 どちらにしても、僕にできるのはそのすべてを『記録』することだけだ。この先なにが待ち受けていようとも、すべてを見届けなくてはならない。


 どちらが正解だろうと、目を逸らさずにきちんと覚えておかなければならないのだ。


 それが、『記録者』としての僕の『正義』だから。


 首から下げたカメラをぎゅっと握りしめる。


 目を見開け。


 シャッターを切れ。


 そのすべてを焼き付けろ。


 日下部まひろに課された役割は、つまりはそういうことだ。


 不安そうにしている奥さん、のんびりとくつろぐ無花果さん、仕事の邪魔をされてフリーズしている三笠木さん、配信を続ける所長、『巣』に引きこもったまま出てこない小鳥さん、そしてそんな僕たちを観測する八坂さん。


 それぞれが好き勝手にしながらも、事件は解決へと向かっていくのだった。

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