「どうだい、八坂のおっさん? これで他殺の線は捨てられたかい?」
無花果さんがにやにやと問いかけると、八坂さんは渋い顔で返す。
「アホンダラ、あんなめちゃくちゃな取り調べでお前以外になにがわかる言うんや!」
「そうかい? 小生はおおむね理解したけどね!」
胸を張って誇らしげに無花果さんが宣言する。そう、この質問攻めで得られた情報は、無花果さんにしか統合できない。それが死者の思考のトレースであり、無花果さんなりの推理なのだから。
それでも、八坂さんはサングラスの眉間にシワを寄せてうなった。
「……まあ、奥さんの思いは伝わったけどな」
「じゃあ、やっぱり自殺ですか?」
今度は僕が尋ねると、八坂さんは首を横に振る。
「……いや、やっぱ他殺や」
「どうしてそんなに他殺にこだわるんですか?」
「警察もな、無能なりにいろいろ情報集めてんねん。他殺をにおわせるような怪しい話も上がってきとる。議員仲間の疑惑、対立議員の思惑、カネの動き、政界の動向……すべてが、他殺を示唆しとる」
そこで、八坂さんはひとつため息をついた。ふとニンゲンくさい疲れきったような表情をする。
「贈賄は、あった。奥さんはあくまで潔白や言うとるけどな、家族に見せる顔と仕事で見せる顔は違うもんや。特に男はな。家では清廉潔白な旦那で通しとったかもしれんけど、政治家としてはどうかわからんやろ」
「そんな……」
「状況ははっきりせんけどな、政治的な駆け引きがあったんかもしれん。汚職っちゅうのは、なにもカネが動くだけやない。政治家のひとつの立ち回り方や」
「……八坂さんは、あくまでも『議員は汚職事件に関与していた』と主張するんですね?」
「ああ。政治家はバカ正直なだけではやってけん。のし上がるためには、清濁併せ呑む覚悟も必要や。自分の手を汚す決意も。たとえ、掲げる政治信条が『正義』であってもな。そこに別の『正義』がある以上、争わなあかん。争うためには手札がいる。『正義』を執行するためのカードのために、汚れ役もせなあかんときがあるんや」
「まーったく、八坂のオッサンはヤボな上にガンコだねえ!」
僕たちの会話に無花果さんがけらけらと割り込んできた。八坂さんは途端にしかめっ面になって、
「俺様は『他殺』の線で動いとんのや! 余計な茶々入れんなや、『魔女』!」
「えー、『自殺』でいいじゃないか、ケチ! チンポコ!」
「そんなんあかんに決まっとるやろボケェ! そんなお手軽に片付けられたら警察おる意味あらへんわ! ここは法治国家やぞ!」
「小生は治外法権だけどね!」
「お前かていつかしょっぴいたるわ! 警察バカにすんのもたいがいにせえや!」
「違う違う! 小生がバカにしているのは警察ではないよ、八坂のオッサン、君だよ君!」
「このアホタレがああああああ!」
完全に無花果さんのペースに巻き込まれている。元来生真面目な性格なのか、いちいち取り合ってはおちょくられていた。そんな様子を見たら、無花果さんだってますます調子に乗る。
「まあまあ。とにかく、僕たちは『自殺』、八坂さんは『他殺』の線でこの事件を追うんですね?」
見かねた僕がフォローに入ると、八坂さんは仕切り直すようにこほんと咳払いをして、
「せや。贈賄疑惑のある有名参議院議員が遺書を残して失踪ました、はいそれじゃあなんの疑いもない『自殺』ですね、わかりました、では済まされへんねん。そこまで物分りのええお利口さんやないんや、俺様もな」
どこまでも『他殺』を疑っているらしい。八坂さんの言葉にはたしかな決意があった。
これは意固地になっているわけでも、頑固なわけでもない。
疑うこと、それこそが警察の仕事だからだ。
容疑者を疑い、被害者を疑い、家族を疑い、凶器を疑い、死亡時間を疑い、現場を疑い、死体を疑い、関係者を疑い……そこに疑わしい点がある限り、警察は徹底的に疑惑を晴らさなければならない。
すべてがクリアーになってやっと、警察の捜査は終わるのだ。疑念を残すことは、警察の沽券に関わる。
なにせ、その先にあるのは『裁き』だ。法廷ですべての罪をつまびらかにしなければ、正当な罰を与えることはできない。警察があって、検察があって、弁護士がいて。そうやって、日本は法治国家の体裁を保っているのだ。
……それに、なにも警察だから、というのが八坂さんの理由のすべてではないだろう。
八坂さんはサングラスをかけ直すと、
「裁くべきやつがおるんやったら、俺様が裁かなあかん。秩序のために、法のために、『正義』のために。奥さんが言う通り、正直者がバカを見るんやったらアカンのや。間違ったことは徹底的に正す。罪には罰を与える。然るべき報いがないんやったら、世の中やったもん勝ちやないか」
それが、八坂さんの中の曲げられない信念。
秩序によって、法によって、そして『正義』によって、弱者を守る。
正しさは、残酷なくらいだれにでも平等だ。いくらお金を持っていようとも、権力があろうとも、完全犯罪を成し遂げようとも、正しくないことは正しくない。
そんな当たり前のことを、みんなすぐに忘れてしまう。
八坂さんは、そうやって忘れてしまったひとたちに思い出させようとしているのだ。
ここに『正義』はあるのだと。
「……この件は『他殺』や。俺様の意見は揺らがへん」
「いいのかーい? このままだと賭けに負けちゃうでござるよー? んんー?」
「うっさいわ! 勝つのは俺様や言うとるやろ!」
「ぎゃはは! 今のうちに精々吠えておきたまえよ! あとで泣きを見るのは君なのだからね!」
「言うとれアホンダラ! それはこっちのセリフや! あとで詫び入れても死体は絶対にやらんからな! お前のおぞましい『創作活動』とやらもナシやナシ!」
「小生は必ず死体を見つけ出して『作品』にするよ! 是非もなし!」
「ああクソッタレが! ともかく! 『他殺』やと断定できた以上、俺様は目星つけた容疑者パクりに行くだけや! 俺様の推理はもう完成しとる!」
ばん!ともたれていた所長のデスクを叩くと、八坂さんはそう宣言した。
「八坂くーん、うるさーい。配信の邪魔だよー。君は昔から声が大きいんだからー」
「安土、お前もやぞ! こんなイカれた探偵事務所、絶対いつかぶっ壊したるからな! そんときはお前もお縄や! 大学の先輩や後輩や関係あるか!」
「えー、八坂くんつめたーい。ねー、視聴者のみなさんー?」
「こんなときくらいそのしょーもない配信やめえや!」
「仕方ないよー、僕これで生きてるんだからさー」
「まったく、お前は昔っから……!」
今度は別のところから煙が上がってきた。のらりくらりと配信を続ける所長に、八坂さんががみがみ言ってはひとりで頭を抱えている。けど、そのやり取りはやっぱりどこか息が合っていた。
あくまでも自分の『正義』にこだわる八坂さん。
そして、その先輩であり、『監視』対象でもある『モンスター』、所長。
このふたりの間にどんな因縁があるのかはわからないけど、こうして今も掛け合いをしているところを見ると、別に仲が悪いというわけでもなさそうだ。
……しかし、仲がいいのが逆に不思議な取り合わせだ。
職業的にも、性格的にも、水と油のふたりなのに。
もしかして、大学時代になにかあったんだろうか……?
しかし、それも今は聞けないことだ。
ふたりが口喧嘩をしているのを聞きながら、僕はまたひとつ、自分の中の『聞きたくても聞けない』リストに所長のことを記入する。
いずれはわかるだろうとそれを頭の片隅に置いておいて、僕は改めて事件に向き直るのだった。