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№10 サンクチュアリ

「……無花果さん」


「ああもう、わかってるよ!」


 僕の呼び掛けに、無花果さんはテントから出てがしがしと頭をかいた。


「いつもの『種明かし』をご所望なんだろう!? 小生だいたいわかってきてるからね! 君がすごくめんどっちい男だということをね!」


 今までも散々めんどくさい男だと言われてきたけど、僕ってそんなにめんどくさいんだろうか……?


 無花果さんは気を取り直すようにため息をつき、


「じゃあ、さくさく行くよ! まずは場所の特定だ。いつも通り奥さんが車で駅まで送っていったということは、電車には乗ったということだ。勤め先の最寄りの駅の防犯カメラにも、きっちり改札を出ていくのが映っていたよ。霞ヶ関で降車したのは確定だ」


 死体は電車に乗って駅までやってきた。ここまではわかる。


「領収書を簡単には切らない、基本的に電車か徒歩の人間が、わざわざタクシーを使うこともない。行動範囲は徒歩で行ける場所だ。キャンプが好きで、小学校の催し物にもちからを入れていたということは、林間学校だってあっただろう。それで、小学校の林間学校に利用されているキャンプ場を小鳥ちゃんに探してもらった」


 なるほど、それでこの森林公園にたどりついたというわけか。


 無花果さんは指を一本立てて、


「キャンプ道具は借りればいい。使い方はよく知っているだろうしね。なにより、自分のキャンプ道具なんて大荷物持ち出したら、奥さんに勘づかれてしまう。そんな風にして、あまりひと目につかない場所にテントを設営した」


「どうしてわざわざテントなんて張ったんですか?」


「これは『結界』だよ。武士のハラキリのためのサンクチュアリだ。テントを張ってその中でハラキリするなら、血液の飛散もテント内に留められる。よほど本格的ににおい出すまで、だれにも気づかれないだろうね。いわば、ここは密室だ」


「つまりは、だれにも邪魔されない場所で自殺をしようとしたと……でも、なんでハラキリなんですか?」


「君も鈍いなあ! この死体は武士道の信奉者だ、趣味嗜好から信条から人柄まで、まさしく令和の武士そのものだった。そんな武士が、身の潔白を晴らすためにはどうすると思う?」


「……切腹……?」


「そう。ハラキリを選ぶだろうね。そうやって死ぬことにあこがれすらあったはずだ。武士の家系だったということもあって、抵抗はなかった。あくまでも、身の潔白を証明するためのパフォーマンスとしての死。ということで、ここでハラキリをして死んでいる可能性が極めて高かった……以上、『種明かし』終わり! はい撤収!」


「……ちょっと待ってください」


「なんだい!? まだ小生はしゃべくらなければならないのかい!?」


 自分の中にあった疑問が解決されなかったので、僕は苛立ったような無花果さんに問いかけてみた。


「なぜ、『自殺』だと断定できたんですか?」


 そう、今回の最大の焦点は『自殺』か『他殺』かだ。無花果さんは『自殺』だと確信し、八坂さんは『他殺』だと判断した。その線引きの材料は一体どこにあったのだろう?


 無花果さんはうなりながら首を曲げ、しばらく言葉を探している様子だった。


 そして、ぽん、と手を打ち、


「……勘!」


「勘!? 勘だけで決めつけてたんですか!?」


 まさかの回答に声を上げると、無花果さんはふいに小さく笑って見せた。


「そう、勘だよ。こればかりは、死者の思考をトレースするものにしかわからない感覚だね。この死体の思考を探るうちに、『他殺』の線は消えた。一矢報いようとしたんだよ、この男は。そうじゃなきゃ死んでも死にきれない。むざむざ殺されるくらいなら、自分で死を選ぶ。そういう思考が浮かんできた」


 ……なるほど。


 ぎりぎりまで『死』に近づいて、死者の思考を追いかけた結果、感覚的にわかることがあったのだ。それは論理的に言語化できるものではなく、『思考のトレース』という推理をおこなう無花果さんにしかわからないことだった。


 腑に落ちないけど、納得はできた。


 それにしても……


「……無花果さん、大丈夫ですか?」


 少し前と同じ言葉をかける。


 そこまで『死』の淵の深くまで潜り込んだのだから、無花果さんも相当に引っ張られているはずだ。ただでさえこころの病で精神が不安定なのに、わざわざ死者と同じ考え方をたどってしまえば……


「ぜんっぜん大丈夫じゃないね!」


 すべてを振り切るように、無花果さんはぎゃははと笑って言い放った。


「死にたくて仕方がないよ! しかぁし! 賭けには勝った! 死体は我々のものだ! 『創作活動』ができるのだよ! 死んでいる場合ではない!」


 そう、無花果さんは『創作活動』によって、かろうじて『生』にぶら下がっているのだ。深淵を覗くためにつかまった蜘蛛の糸のようなロープが、芸術への情熱だった。


 そんなぎりぎりの無花果さんは、内面を晒そうとはせずむしろ意気揚々と僕の背中をばんばん叩き。


「さあ、死体を積み込みたまえ! レンタルのテントもね! さすがにこんなものはしれっと返却できないだろう! テントを畳んで、死体を軽トラまで運ぶのだよ! 早く早く! ハリアップまひろくん!」


「わかりましたよ……」


 急かされて、僕は肩を落として改めてテントを外から眺めてみた。


 サンクチュアリ……だれも立ち入れない、聖域。


 武士の切腹という儀式のために準備された密室。


 しかし、その内部は『聖域』にしては血なまぐさすぎた。まだ腐敗は進んでいないとはいえ、ハラワタが飛び出すくらいに損傷している。なにより、あの形相の死体を担いで運ぶのは、さすがに気が引けた。


 まずは死体を引っ張り出して、テントを畳む。そのテントといっしょに死体を軽トラまで運んで、事務所まで戻る。


 ……今回も重労働だなあ……


 とはいえ、僕は『記録者』であると同時に、事務所の雑用であり、運転手であり、ちから仕事担当だ。仮にも女性である無花果さんに任せておくわけにはいかない。


 僕は苦労してテントを畳んでから、血まみれの死体を背負って軽トラまで運んだ。


 すぐ横を見れば、壮絶な苦痛の末に死んだ男の顔がある。それに、腐った血のにおいで悪酔いしそうだ。息を止めているのにも限界がある。


 べたべたした生乾きの血液が、汗といっしょにシャツに染み込んでいった。閉店間際の魚屋のにおいをもっとひどく煮詰めたような悪臭。


 本格的に夏になる前でよかった。夏の事件だったら、この程度のにおいでは済まなかっただろう。腐敗も相当進んでいただろうし、虫だってたかっていたはずだ。


 どす黒い血に塗れながら、汗だくでなんとか軽トラにたどりつく。テントと一緒に荷台に乗せて、ブルーシートをかけて、ようやく僕は重労働から開放された。


 しかし、今度は事務所まで軽トラを走らせなければならない。雑用奴隷に休みなどないのだ。


 わあわあと子供のように急かす無花果さんをいなしながら、軽トラを走らせて事務所に戻る。


 ……ともあれ、推理合戦は僕たちの勝ちだ。


 死体は僕たちのものになった。


 やっぱり、自殺を選ぶ『モンスター』のことは同じ『モンスター』にしかわからないのだ。


 こと死者の思考トレースにおいて、無花果さんに勝とうだなんてハナから無理な話だった。


 八坂さんは今ごろ空振りに終わった捜査にかんかんになっているだろう。賭けに難癖をつけてくるようなタイプには思えないけど、現職刑事の前に堂々とニンゲンの死体を持って帰るのは気が乗らなかった。


 無花果さんはそんなこと微塵も気にせず、勝ち誇った顔でまた八坂さんをおちょくるんだろうけど。


 いろいろなことを考えながら、僕は無花果さんと死体を載せた軽トラを走らせ、事務所まで戻るのだった。

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