「はー、食った食った。ごっそさん」
全員が食べ終えたとんこつラーメンの空の器を集めていると、八坂さんが満足げにそう言った。そして勢いよく立ち上がると、
「おっしゃ、せんぱ……安土! このまま飲みに行くで!」
……あれ、今『先輩』って言いかけた……?
所長は苦笑いしながら、
「まったくもうー、下戸のふたりでどこへ飲みに行くってのさー?」
「うっさいわ、ええねん! 今夜は酔いたいんや! つべこべ言っとらんとはよ行くぞ!」
「仕方ないなー。かわいい後輩のお願いとあっては断れないねー。これはかわいいハラスメントだよー、かわハラー」
「かわいないわアホンダラ!」
「そういうわけだから、ちょっと行ってくるねー。視聴者のみなさまには引き続き飲んだくれ配信するよー。お楽しみにー」
「飲んどる間くらいはそのしょーもない配信切れや!」
「あははー、それはできないって知ってるくせにー」
「うっさいわボケェ! しょーもない男やでまったく!」
「じゃあ、いってきまーす」
そうやって手を振って、結局配信は続けたまま、所長は事務所を出ていった。
「お前ら! 今度死体ちょろまかしたら全員逮捕やからな! 覚えとれアホンダラ!」
所長に続いて、喚き散らした八坂さんが事務所をあとにする。
……あとには、三笠木さんがかたかたとキーボードを叩く音だけが残された。
……嵐が去った……
ほっと一息ついてから、まだ撮った写真を現像していないことをやっと思い出す。危ないところだった。
フィルムを抱えて暗室に向かうと、しばらくの間無音の空間で写真と向き合う。
ほどなくして出来上がった写真の山を持って事務所に戻ると、早速無花果さんが待ち構えていた。
「今回の君の『作品』の完成だね! どれどれ……」
写真を一枚手に取ると、じいっと見入る。
それからぱっと顔色を明るくして顔をあげ、
「いいじゃないか! 今回も花丸だ!」
「ありがとうございます」
「君の理解力にはつくづく舌を巻くね! 誇っていい、こんな写真は君にしか撮れない!」
……そこまで褒められると、どうもむずがゆい。
ごまかすようにして、僕は無花果さんに全然別のことを問いかけてみた。
「……やっぱり、これからしばらく休みますか?」
どうしても心配で眉根が寄ってしまう。
無花果さんは真顔で思案して、
「……うーん……そうだね、君にだけは打ち明けるよ」
急に真剣な顔になった無花果さんは、僕の耳元にくちびるを寄せてきた。
もしかして、僕が知りたかったことをついに教えてくれるのか……?
どきどきしながら続きの言葉を待っていると、無花果さんはふっと耳に息を吹きかけてきた。
「……実は小生、今日おぱんつ履いてないんだよ……」
……期待した僕がクソバカだった。
心底どうでもいい秘密を明かされて、僕はつい無花果さんに冷たい視線を向けてしまった。
「……誰得の情報なんですか、それ……」
「ぎゃはは! チェリーボーイにはちょっと刺激が強すぎたかな?」
「……そういうことじゃないですよ、まったく……」
深々とため息をついている僕に、無花果さんは今度こそ問いかけの答えをくれた。
「うん、しばらく休むことにするよ。疲れたからね」
……さっきのは、心配させまいとする気遣いだったんだろうか。
自殺者の思考のトレースなんて心身に負荷のかかることをしたのだ、無花果さんはまた一週間ほど事務所からいなくなるだろう。無花果さんには休息が必要なのだ。
けど、不思議と今回は不安には思わなかった。
また戻ってくると、もう知っているからだ。
なにも心配することはない。
「……そういえば」
僕はあえて話題を変えた。
「あのふたり、大学時代の先輩後輩だって言ってましたけど、なんでいまだに仲良いんですかね?」
素朴な疑問だった。こんな水と油な関係なのに、どうしてあんな風に仲良くしていられるのだろうか?
尋ねられた無花果さんもその点は判然としないらしく、うーんとうなって、
「まあ、アタおかの集まりだよね、京大物理学研究室なんて。なんか量子力学とかいうこまっしゃくれたことやってたらしいよ!」
「『監視』してる、とか言ってましたけど……」
「ああ、それね! ふふふ、『監視』なんて言い張ってるけど、あいつ所長と超仲良しなんだよね、サングラスで隠してるけどバレバレだっつの! うふふー、もしかして付き合ってたりしてぇ?」
無花果さんが浮かべるのは非常にゲスい笑みだ。下衆の勘繰りとはこういうことを言うのだと、辞書に書いてありそうな表情だった。
「なんか、うちのパパと三人でそろって三バカトリオやってたらしいよ!」
「へえ、無花果さんのお父さんと」
「うん、そうだよ!」
そう答えて、無花果さんはうれしそうに笑った。
……けど、この間お父さんの話題になりそうだったとき、空気が凍りついてたような……?
……少しは、こころを開いてくれたということでいいんだろうか?
けど、これ以上はまだ踏み込めない。いくらこころを許してくれていたって、僕はまだまだ『部外者』なのだから。
僕は残りの写真にも花丸をもらうと、奥さんに送る分と保存しておく分をわけてキャビネットにしまい、そのまま帰り支度をして事務所を辞した。
帰り道、夏が迫ってきてぬるんだ風に吹かれながら考える。
……きっと、世界が選ぶのは『神様』の方だろう。
ニンゲンが生き物である以上、相対的に見て八坂さんの方が『普通』なのだ。
異常なのは、僕たちの方。それは重々承知している。
……それでも。
たとえいびつでも、『モンスター』たちが生きていくためにはこれしか道がないのだ。
不幸にも『いのちのつなぎ方』を知ってしまった『モンスター』たちは、その呪縛から逃れられずに踊り続けることしかできない。
……だったら、僕たちは墓の上で踊りつ漬けよう。
それが、『モンスター』なりの『正義』だ。
どこかに『普通』の『正義』があるのなら、『モンスター』の『正義』だってあっていいじゃないか。
この世界に生存を許されたということは、そういうことだ。僕たちは、まだ生きていていい。
それぞれが歩いてきた別々の道が、今交差している。
魔女の『庭』は、そういう場所だ。
全然違う『モンスター』たちが、偶然という奇跡で邂逅し、共に踊るステージ。
舞台は整った。
なら、あとは踊るだけだ。
それぞれの役を演じ、歌い狂い踊り狂い、夜は深く深く更けていく。
……それがいつまで続くかはわからない。
いつかは幕が降りるときが来るだろう。
アンコールはなしだ。踊り尽くしたら、それで終わり。
けど、だからこそ僕たちは最後まで必死の思いで踊り続けるだろう。
いつか来るパラダイス・ロストまで、まるで神話のような物語を紡ぎ続けていく。
そして僕は、踊り子でありながらも、その一部始終を見届ける観客でもあるのだ。
踊れ、踊れ、『Grave Dancers』。
その全部を、僕が見ているから。
安心して踊り切るといい。
……などと言っている僕もまた、踊り子なんだけど。
ひとごとじゃないぞ、日下部まひろ。
舞台に上ったり、観客席に下りたり。ずいぶんとせわしないことだ。
「……だからこそ、見応えがあるんだけどね」
歌うようにつぶやいて、ふっと笑う。春風に溶けてしまいそうな、滲み出すような笑顔だった。
……これからも、たくさんの写真を撮ろう。
頭とカメラに刻み込んでいこう。
さあ、次はどんな事件が、『作品』がフィルムに焼き付くのだろうか?
ひやひや半分、わくわく半分の気持ちで、僕は夜道を歩きながら、首から下げたカメラを指先でそっと撫でるのだった。