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№15 学友

「はー、食った食った。ごっそさん」


 全員が食べ終えたとんこつラーメンの空の器を集めていると、八坂さんが満足げにそう言った。そして勢いよく立ち上がると、


「おっしゃ、せんぱ……安土! このまま飲みに行くで!」


 ……あれ、今『先輩』って言いかけた……?


 所長は苦笑いしながら、


「まったくもうー、下戸のふたりでどこへ飲みに行くってのさー?」


「うっさいわ、ええねん! 今夜は酔いたいんや! つべこべ言っとらんとはよ行くぞ!」


「仕方ないなー。かわいい後輩のお願いとあっては断れないねー。これはかわいいハラスメントだよー、かわハラー」


「かわいないわアホンダラ!」


「そういうわけだから、ちょっと行ってくるねー。視聴者のみなさまには引き続き飲んだくれ配信するよー。お楽しみにー」


「飲んどる間くらいはそのしょーもない配信切れや!」


「あははー、それはできないって知ってるくせにー」


「うっさいわボケェ! しょーもない男やでまったく!」


「じゃあ、いってきまーす」


 そうやって手を振って、結局配信は続けたまま、所長は事務所を出ていった。


「お前ら! 今度死体ちょろまかしたら全員逮捕やからな! 覚えとれアホンダラ!」


 所長に続いて、喚き散らした八坂さんが事務所をあとにする。


 ……あとには、三笠木さんがかたかたとキーボードを叩く音だけが残された。


 ……嵐が去った……


 ほっと一息ついてから、まだ撮った写真を現像していないことをやっと思い出す。危ないところだった。


 フィルムを抱えて暗室に向かうと、しばらくの間無音の空間で写真と向き合う。


 ほどなくして出来上がった写真の山を持って事務所に戻ると、早速無花果さんが待ち構えていた。


「今回の君の『作品』の完成だね! どれどれ……」


 写真を一枚手に取ると、じいっと見入る。


 それからぱっと顔色を明るくして顔をあげ、


「いいじゃないか! 今回も花丸だ!」


「ありがとうございます」


「君の理解力にはつくづく舌を巻くね! 誇っていい、こんな写真は君にしか撮れない!」


 ……そこまで褒められると、どうもむずがゆい。


 ごまかすようにして、僕は無花果さんに全然別のことを問いかけてみた。


「……やっぱり、これからしばらく休みますか?」


 どうしても心配で眉根が寄ってしまう。


 無花果さんは真顔で思案して、


「……うーん……そうだね、君にだけは打ち明けるよ」


 急に真剣な顔になった無花果さんは、僕の耳元にくちびるを寄せてきた。


 もしかして、僕が知りたかったことをついに教えてくれるのか……?


 どきどきしながら続きの言葉を待っていると、無花果さんはふっと耳に息を吹きかけてきた。


「……実は小生、今日おぱんつ履いてないんだよ……」


 ……期待した僕がクソバカだった。


 心底どうでもいい秘密を明かされて、僕はつい無花果さんに冷たい視線を向けてしまった。


「……誰得の情報なんですか、それ……」


「ぎゃはは! チェリーボーイにはちょっと刺激が強すぎたかな?」


「……そういうことじゃないですよ、まったく……」


 深々とため息をついている僕に、無花果さんは今度こそ問いかけの答えをくれた。


「うん、しばらく休むことにするよ。疲れたからね」


 ……さっきのは、心配させまいとする気遣いだったんだろうか。


 自殺者の思考のトレースなんて心身に負荷のかかることをしたのだ、無花果さんはまた一週間ほど事務所からいなくなるだろう。無花果さんには休息が必要なのだ。


 けど、不思議と今回は不安には思わなかった。


 また戻ってくると、もう知っているからだ。


 なにも心配することはない。


「……そういえば」


 僕はあえて話題を変えた。


「あのふたり、大学時代の先輩後輩だって言ってましたけど、なんでいまだに仲良いんですかね?」


 素朴な疑問だった。こんな水と油な関係なのに、どうしてあんな風に仲良くしていられるのだろうか?


 尋ねられた無花果さんもその点は判然としないらしく、うーんとうなって、


「まあ、アタおかの集まりだよね、京大物理学研究室なんて。なんか量子力学とかいうこまっしゃくれたことやってたらしいよ!」


「『監視』してる、とか言ってましたけど……」


「ああ、それね! ふふふ、『監視』なんて言い張ってるけど、あいつ所長と超仲良しなんだよね、サングラスで隠してるけどバレバレだっつの! うふふー、もしかして付き合ってたりしてぇ?」


 無花果さんが浮かべるのは非常にゲスい笑みだ。下衆の勘繰りとはこういうことを言うのだと、辞書に書いてありそうな表情だった。


「なんか、うちのパパと三人でそろって三バカトリオやってたらしいよ!」


「へえ、無花果さんのお父さんと」


「うん、そうだよ!」


 そう答えて、無花果さんはうれしそうに笑った。


 ……けど、この間お父さんの話題になりそうだったとき、空気が凍りついてたような……?


 ……少しは、こころを開いてくれたということでいいんだろうか?


 けど、これ以上はまだ踏み込めない。いくらこころを許してくれていたって、僕はまだまだ『部外者』なのだから。


 僕は残りの写真にも花丸をもらうと、奥さんに送る分と保存しておく分をわけてキャビネットにしまい、そのまま帰り支度をして事務所を辞した。


 帰り道、夏が迫ってきてぬるんだ風に吹かれながら考える。


 ……きっと、世界が選ぶのは『神様』の方だろう。


 ニンゲンが生き物である以上、相対的に見て八坂さんの方が『普通』なのだ。


 異常なのは、僕たちの方。それは重々承知している。


 ……それでも。


 たとえいびつでも、『モンスター』たちが生きていくためにはこれしか道がないのだ。


 不幸にも『いのちのつなぎ方』を知ってしまった『モンスター』たちは、その呪縛から逃れられずに踊り続けることしかできない。


 ……だったら、僕たちは墓の上で踊りつ漬けよう。


 それが、『モンスター』なりの『正義』だ。


 どこかに『普通』の『正義』があるのなら、『モンスター』の『正義』だってあっていいじゃないか。


 この世界に生存を許されたということは、そういうことだ。僕たちは、まだ生きていていい。


 それぞれが歩いてきた別々の道が、今交差している。


 魔女の『庭』は、そういう場所だ。


 全然違う『モンスター』たちが、偶然という奇跡で邂逅し、共に踊るステージ。


 舞台は整った。


 なら、あとは踊るだけだ。


 それぞれの役を演じ、歌い狂い踊り狂い、夜は深く深く更けていく。


 ……それがいつまで続くかはわからない。


 いつかは幕が降りるときが来るだろう。


 アンコールはなしだ。踊り尽くしたら、それで終わり。


 けど、だからこそ僕たちは最後まで必死の思いで踊り続けるだろう。


 いつか来るパラダイス・ロストまで、まるで神話のような物語を紡ぎ続けていく。


 そして僕は、踊り子でありながらも、その一部始終を見届ける観客でもあるのだ。


 踊れ、踊れ、『Grave Dancers』。


 その全部を、僕が見ているから。


 安心して踊り切るといい。


 ……などと言っている僕もまた、踊り子なんだけど。


 ひとごとじゃないぞ、日下部まひろ。


 舞台に上ったり、観客席に下りたり。ずいぶんとせわしないことだ。


「……だからこそ、見応えがあるんだけどね」


 歌うようにつぶやいて、ふっと笑う。春風に溶けてしまいそうな、滲み出すような笑顔だった。


 ……これからも、たくさんの写真を撮ろう。


 頭とカメラに刻み込んでいこう。


 さあ、次はどんな事件が、『作品』がフィルムに焼き付くのだろうか?


 ひやひや半分、わくわく半分の気持ちで、僕は夜道を歩きながら、首から下げたカメラを指先でそっと撫でるのだった。

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