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第6章 Breakfast, Lunch

№1 宣言野球拳

 拝啓、夏も近づく八十八夜の季節となってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。


 僕は今、なぜか下着と靴下だけの姿となっております。


「ぎゃはは! また小生の勝ちぃ!」


「……くっ……!」


 僕は歯噛みして勝利の舞を踊る無花果さんをにらみつけた。しかし涙目なので迫力はない。


「さあさあ、脱ぎたまえよ、まひろくん!」


「わかりましたよ……!」


 もたもたと時間をかけて、僕は靴下を片方脱いだ。


「おおっと! 靴下は左右でワンセットだよ! 往生際の悪いことはやめたまえ!」


「……無慈悲ですね」


「あったりまえさあ! 勝負に情けは無用!」


 仕方なく、僕はもう片方の靴下も脱いでしまう。


 これで、僕に残された最後の砦はボクサーパンツ一枚となった。


 ……なぜこんな情けない姿になっているのかというと、話は三十分前にさかのぼる。


 いつものように事務所で骨格標本と戯れていた無花果さんが、極めて唐突に『宣言野球拳をしようじゃないかまひろくん!』と騒ぎ始めたのだ。


 説明しよう、宣言野球拳とは。


 次に出す手を決めて宣言してからじゃんけんをする。宣言通りでもいいし、ウソをついてもいい。そうして勝負をして、あとは普通の野球拳と同じルールだ。


 ……そんな宣言野球拳をして、僕は今、ボロクソに負け続けているのだ。


 ぱんいちとなった理由はそんなところだ。


 無花果さんはと言えば、シスターベールひとつ脱いでいない。一切負けていないのだ。


 ……ここまで来たら、察しの悪い僕にもわかる。


 僕は責めるようなまなざしを無花果さんに向け、


「さては……思考トレースを使ってますね!?」


 そう、思考のトレース。無花果さんが探偵として死体を探すときに使う技法だ。話を聞き、その思考の持ち主の考えることを追いかけ、真実に追いつく。


 それを今、僕にも使っているのだ。


 無花果さんはぺろりと舌を出して、


「てへ、バレたぁ?」


「やっぱり!」


 悪びれもせずににやにや笑う無花果さんに、つい語気を荒らげてしまう。


 この宣言野球拳という土俵、言ってみればハラの探り合いだ。普通のじゃんけんならただの運任せだけど、宣言する以上、そこには思考の流れが存在し、ウソをつくかつかないかの選択肢がある。


 無花果さんは、そんな僕の思考を丸ごと追っていたのだ。


 短くはない付き合いだ、話を聞かなくても僕の思考のクセくらいきっちり把握しているだろう。


 いわば、これは無花果さんのために用意されたフィールドだ。


 ……ハメられた……!


 気づくのが遅すぎた。そもそも、こんな勝負持ちかけられた時点で断っていればよかったんだ。無花果さんの機嫌を損ねてでも、コンビニにお使いに行っていれば……!


 しかし、ぱんいちとなった今、もう待ったはきかない。


 窮鼠としては猫を噛みたいところだけど、今さらひっくり返せるはずもなく。


「さあさあ! お宝ご開帳まであと一歩だ! 最後のワルツとシャレこもうじゃないか!」


「……ズルいですよ、無花果さん。おとなげない……!」


「小生はいつまで経っても永遠の10歳児だもーん! さあ、君の最後の手はなんだい?」


 けらけら笑って、無花果さんは無理やりに宣言野球拳を再開した。仕方なく乗ることにする。


「……ぐーです」


「じゃあ小生はぱーだ!」


 きっと、無花果さんは今も僕の思考を追いかけているのだろう。物理的にだけではなく精神的にも丸はだかにされているような気分になる。


 ……さて、どうするか。


 無花果さんは勝っても負けてもなんの痛痒も感じないだろう。負けても、少しだけ僕が延命するだけだ。どうでもいい勝負、ウソをつく必要もない。


 と考えると宣言通りぱーを出すはずだが、こういう僕の思考も読んでいる。そうなると、僕がちょきを出して勝ちに来ると見て、ぐーを出すつもりだ。トドメを刺しに来るはずだ。


 ……と、そんなことを考えていることもお見通しだろう。僕がいくら小癪に考えようとも、無花果さんはその思考を丸ごと読んでいる。


 いくら考えても、すべては無花果さんの手のひらの上だ。


 だったらもう、正直に行こう。


 宣言通りぐーを出す。


 それが僕の答えだ。


「よし、準備は出来たね? それではショウダウンだ!」


 にやりと笑った無花果さんは、僕と対峙して例の節回しで歌い始めた。


「やーきゅうーすーるなーらーこういうふーうにしやさんせー!」


「アウト、セーフ、よよいの……」


『よい!』


 勢いよくぐーを出した僕の目の前に現れたのは……無花果さんの、ぱーだった。


「ぐあああああああああああ!!」


 頭を抱えてうずくまる僕に、無花果さんは容赦ない笑い声を浴びせた。


「ぎゃはは! 破れかぶれになった君が、結果バカ正直にぐーを出すことくらいお見通しなのだよ!」


 やっぱり、全部手のひらの上だった。


 この勝負、ハナから僕の完全敗北は決まっていたのだ。


「さあ! 君の恥部を見せてくれたまえ!」


「ぐぬぬぬぬぬぬ……!」


「ここまで来たからにはやってもらうよ! 男の勝負に二言はないね!? ここでしっぽ巻いて逃げたら、これからはタマナシチキンと呼ぶからね!」


 僕は負けた。ゲームとはいえ勝負は勝負、逃げることは許されない。それくらいのプライドくらい、僕にだってある。タマナシチキンもイヤだし。


 しかし、ことは僕のニンゲンとしての尊厳に関わる。この下着を脱いでしまったが最後、僕はあられもない全裸を無花果さんに晒すことになるのだ。


 ネタにされる。


 絶対にネタにされる。


 死ぬまでネタにし続けるだろう。


 そんなことは、ひとりのニンゲンとして許されない。


「ほらほらー! おぱんつを脱げー!」


「ううう……!」


「ぬーげ! ぬーげ! ぬーげ!」


 手を叩いてコールまで始める始末。ボクサーパンツの縁にかけた指が震える。男としてのプライドか、ニンゲンとしての尊厳か。究極の二択だ。


 どっちも選べない。


 でも、もたもたしていると無花果さんが強制的に脱がせてきそうだ。だったら、いっそ……!


 セクハラですよ、の一言も忘れて追い詰められていた僕に、配信をしていた所長の声がかかった。


「ああー、垢BANされるから全裸はダメだよー。僕の配信者人生まで賭けないでねー。いちじくちゃんもその辺にしときなよー」


「ちぇっ、わかりましたよー!」


 ……助かった……!


 まさしく地獄に垂らされたお釈迦様の糸だった。それに夢中でしがみつき、僕はなんとか男としてもニンゲンとしても威厳を保つことができた。


 勝負の終わりを感じ取っていそいそと服を着ていると、無花果さんは憎らしげな顔をして、


「ちっ、いのち拾いしたな! 次に君の秘宝と会うときはベッドの上だ!」


 絶対に晒すものか。無花果さんにだけは絶対に。


 もう二度と、こんな仕組まれた罠には足を踏み入れないようにしなければ。


 本当に、思考のトレースを日常使いしないでほしい……!


 才能の無駄遣いとは、まさにこのことだ。


 すっかり宣言野球拳への興味を失った無花果さんは、再び骨格標本と戯れ始めた。どこまで自由気ままなんだこのひとは。


 やっと服を着た僕は、逃げるように財布を引っ掴んで事務所のドアを開ける。


「お使い、行ってきます! いつものでいいですね?」


「うん、お願いー」


 所長と手だけの小鳥さんがひらひらと手を振ってくる。


 見慣れた廃墟じみた雑居ビルの階段を駆け下り、僕は外に出た。


 日差しの圧力が肌に感じられる。暑さと寒さを交互に繰り返しながらも、季節はたしかに夏に向かっているのだ。


 ……今年も暑くなりそうだな。


 けど、去年と違って僕には明確なやるべきことがある。


 今年の夏は、いつもとはひと味違うものになるだろう。


 コンビニへの道をたどりながら、僕はめちゃくちゃな日常の中にいるのだと実感するのだった。

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