そんなある日のこと。
いつものお使いから帰ってくると、ソファには見慣れぬ人影がふたつ、座っていた。
巨大なニンゲンと、小さなニンゲン。
よく見てみると、巨大な方は女性で、制服を着ていた。小さい方はよぼよぼのおじいちゃんだ。
「それにしてもデカいねえ、君!」
イヤな予感の通り、無花果さんが女性にウザく絡んでいる。しかし立派な体格の女性は気分を害した様子もなく、
「よく言われるっす! 自分、食べることと運動が好きなんで、体格いいって褒められるんすよ!」
「なるほど! それでこの脂肪と筋肉なのだね! 小生、おすもうさんかと思ったよ!」
「学生時代は相撲部だったっす!」
「道理でねえ!」
しまいには、ぺたぺたと女性のからだを触り始めた。女性は体格だけでなく器も巨大らしく、初対面の人物に触れられても笑うばかりだった。
「……お客さんですか?」
所長に買ってきた電子タバコのパッケージを渡しながら聞いてみると、
「うん、そうー。さっき来たとこー」
どうやら、ふたりでこの事務所を訪れたらしい。
それにしても、ふたり客なんて初めてだ。
しかも、若くて巨大な女性とおじいちゃんなんて取り合わせ、なにかワケアリのにおいしかしない。
「ここはどこじゃー?」
不意に、おじいちゃんがぷるぷるしながら大声を上げた。耳の悪い老人特有のバカでかい声だ。
すかさず女性が説明する。
「おじいちゃん、トミエさんを探しに来たんすよー」
「トミエはどこかに行ったのか?」
「はい、どっか行っちゃったので探しに来たっす」
「晩飯までに帰ってくればいいんじゃがなあ」
「それまでにきっと見つけてもらえるっすよー」
「なんじゃシスターさんか、教会かここは?」
「ここは探偵事務所で、そのひとはトミエさんを探してくれる探偵さんすよー」
「奇っ怪じゃなあ……ところで、トミエはどこじゃ?」
「これから探すんすよー、おじいちゃん」
……明らかにボケてる……
どこか夢見るような口調で、けど大きな声でしゃべるおじいちゃんは、どうやら痴呆症が入っているらしかった。
ということは、この女性は介護士さんかなにかだろうか?
しかも、この事務所に『トミエさん』を探しに来たということは、その『トミエさん』とやらは、もう生きてはいない可能性が高い。
……依頼人だ。
死体を探しに来たひとたちだ。
「お話、聞かせてもらえますか?」
なおもウザ絡みしようとする無花果さんを押しやって、僕はソファの向かいに腰を下ろした。なにやら文句が聞こえてくるけど無視だ。
「なんじゃこの青年は!」
「へ?」
いきなり怒鳴りつけられて、僕は思わずすくみあがってしまった。
おじいちゃんは憤懣やるかたないといった調子で、
「髪なぞちゃらちゃら染めおって! けしからん! そうだろう、トミエ!?」
「……そのトミエさんのお話を聞きたいんですけど……」
「耳に穴まで開けとる! これだから今どきのワカモノというもんは! 親からもらったからだをなんだと思っとる!? なあ、トミエ!」
「……ですからね、そのトミエさんを探すためにですね……」
「トミエか、ワシの嫁じゃ!」
「そうそう、そのおばあちゃんの話を……」
「トミエ! どこじゃ!?」
……ダメだ、話にならない……
早くも途方もない脱力感と無力感に襲われて、僕はボケた老人の相手がいかに大変かを思い知った。
「あ、自分が代わりに説明していいっすか?」
そこへ女性から助け舟が出て、思わずすがりつく。
「お願いします。そっちの方が助かります」
「了解っす!」
ばしっとダイナミックな敬礼をして、女性はまず名刺を差し出してきた。手が大きいので、名刺が紙切れにしか見えない。
「自分、こういうものっす!」
そこには、名前と役所の名前、民生委員という肩書きが書いてあった。
「……民生委員……?」
「そっす! 自分、この地域担当の民生委員してるっす!」
元気よく答える民生委員さんは、誇らしげに胸を張った。
名刺をテーブルに置いたまま、僕は民生委員さんの方に向き直る。
「ああ、それでそのおじいちゃんの生活を見守ってるんですね」
「そのとーりっす!」
「大変ですね、ご老人の相手するのも」
それはさっき痛感したことなので、ついいたわるような言葉が出てしまった。
しかし、民生委員さんは笑顔で声を張った。
「たしかに大変っすけど、やりがいのある仕事っす! ひとりで生きてくのが難しいひとたちを助ける仕事っすから! 自分がいることで少しでも救われるひとがいればいいなと思うっす! 自分、この仕事に誇り持ってるっす!」
まだ若いのに、見上げたこころいきだ。
ぐう聖とはこういうひとのことを言うのか。
「立派ですね、誇りを持って仕事をしてるひとなんてなかなかいないですよ」
「そういう意味じゃ、自分はしあわせものっす! ひとのためになって、しかももらったお給料で大好きなご飯まで食べられるなんて、夢のような仕事っす! まさに天職っす!」
さすが、いろんな意味でデカい女性は言うことが違う。
こんな世の中だ、いやいや仕事をしてるひとが大半だと言うのに、夢と希望を持って仕事に臨んでいる。それだけで賞賛すべきことだ。
その上、ひとのために仕事をしようとする姿勢。なんと器の大きいことだろうか。
「おやおや、まひろくん? おのれの矮小さに嫌気がさしたかい?」
「……だから、勝手にひとの思考をトレースしないでください」
図星を指されて、僕は無花果さんを軽く睨みやった。
……そうだ、僕だって誇りを持って仕事をしているのだ。
この『庭』の『記録者』として、カメラを携えている。与えられた役目をまっとうするために、日々真剣に働いているのだ。
依頼人がやって来なければ、掃除とお使いと無花果さんのお守りが仕事なんだけど。
……やっぱり、ちょっと自分がちっぽけな男のような気がしてきた。
「そんな顔することないっすよ! 探偵さんだって立派な仕事じゃないっすか! 現に、自分たち探偵さんたちに頼ることしかできないっすから!」
……ああ、そうだ。
今回の依頼人なんだった、このひとたち。
自分の器の小ささを嘆いている場合ではない。
やっと本来の目的を思い出した僕は、ひとつ咳払いをしてから民生委員さんに向き直った。
「そうですね。民生委員さんが仕事してるように、僕らも最大限がんばって探しますので、安心してください」
「小生もしかたなーく仕事するよ!」
「あなたはこのひとのようなプロ意識を持つべきです、腐れニート」
「んだとキーボードかたかたやってるだけの人工無能の分際でよお!」
「私は仕事をしています」
「るっせーどうせエロ動画でも見てんだろ表出ろやごるぁ!」
「無花果さん、八坂さんみたいなこと言わないでください、うるさいです。今話してるんですから、おとなしくしててください」
三笠木さんとの場外乱闘が始まりそうだったので、釘を刺しておく。むすくれた顔の無花果さんは、渋々その矛先を収めてくれた。
「それじゃあ、改めて……詳しい話を聞かせてください」
「はいっす!」
民生委員さんがいてくれてよかった。このおじいちゃんだけだったら、話を聞くことすら大変だっただろうから。
ちらりとそのおじいちゃんの方を見やると、おじいちゃんはなにもない宙を見つめてぼんやりしていた。さっきまでの勢いがウソみたいにほうけている。
なるほど、老いるってこういうことなんだな……
なんとなく一抹のさみしさのようなものを感じながら、僕は民生委員さんから『探しびと』の詳細を聞くべく、真剣な表情で耳を傾けるのだった。