「お話した通り、自分、この地域担当の民生委員やってるんすけど、最近様子がおかしいことにきづいたんす」
「様子がおかしい?」
「そうっす! もともとこのおじいちゃんと、いっしょに暮らしてるトミエおばあちゃんのお世話してたんすけど……ここ最近、おばあちゃんの姿を見かけなくなったんす」
「おばあちゃんが……」
「はいっす。それでよくよく見てみると……なんか家の床に血痕らしきものがあって。まさか、おじいちゃんが死んだおばあちゃんを知らないうちにどこかへ隠したのでは、と……」
「ナイス推理だよ、民生委員ちゃん!」
すかさず無花果さんが出しゃばってくる。ソファに座る僕の上にのしかかりながら、
「これは明らかに死体案件だよ! 突如消えたおばあちゃん、床には血の跡、おじいちゃんはボケてると来た! 大当たりだ!」
「ちょ、無花果さん、不謹慎ですよ……」
「ふへへ、探偵さんに名推理だなんて言われると、照れるっす!」
民生委員さんの器はどこまでも大きかった。頭をかきながら照れくさそうにしている。
その隙に、僕は無花果さんとないしょ話を始めた。
「……いいんですか、これ? ヘタしたらまた殺人事件ですよ? 八坂さんを頼った方がいいんじゃ……」
「なにを言う! あのちっさいオッサンの手など借りるものか! せっかくの死体がおじゃんになるじゃないか!」
「……そんなこと言ってる場合じゃないですよ……!」
ひとが殺されたかもしれないのだ。だとしたら、探偵の範疇を超えている。警察である八坂さんに相談した方がいいと思うんだけど……
けど無花果さんは、やれやれ、と肩をすくめて、
「根拠はあるよ? 第一に、この老人におばあちゃんを殺す理由があると思うかい? 民生委員ちゃんの話しぶりから見ると、別に仲が悪かったというわけでもなさそうだろう?」
「……それはそうですけど……」
「そして、このよぼよぼのおじいちゃんに、ひとひとり殺すだけのちからがあると思うかい?」
「……いえ……」
「自分もそう思って、警察じゃなくてここへ来た次第っす!」
僕たちのないしょ話は丸聞こえだったらしく、民生委員さんが合いの手を入れる。大きいだけでなく、頭も切れるらしい。
……本当に、事件性はないんだろうか?
たしかに、おじいちゃんには理由もちからもない。
けど、死体を隠したことは想定できる。
今さら死体遺棄が罪だとかうんぬん言える立場ではないけど、それが殺人の痕跡を消すための手段だったとしたら……?
「ほら、まひろくん! 説明を続けたまえ!」
無花果さんに急かされて、僕は不承不承次の説明に移った。
「じゃあ、依頼をするに当たって、この事務所のシステムはご存知ですか?」
「いえ、自分ネットで見つけただけっすから!」
やっぱり、知らないか……
この説明でドン引きされないか否かが契約成立の、ひいては『作品』の素材となる死体を手に入れられるかどうかの瀬戸際だ。
ちゃらんぽらんなほかのメンバーには任せておけない。これは僕の、もうひとつの仕事なのだ。
慎重に言葉を選びながら、僕は口を開いた。
「まず、お代はいただきません。手続きとかも、民生委員さんでしたら自分でできると思いますし、探すだけならタダです」
「それはありがたいっす! なにぶん、自分たち公費で動いてるっすからね!」
「ですが……その代わり、見つけた死体を現代アートの素材として提供してもらいたいんです」
「えー!?」
さすがの民生委員さんも驚きの声を上げた。
そりゃそうだろう、こんなイカれた条件を提示してくる探偵事務所なんて、他にありっこない。
「現代アートって、あのよくわからない感じのっすか!?」
「そうです、死体を使って造形する世界的なアーティストなんです、ウチの探偵」
「初めて聞いたっす、そんな世界があるなんて! アングラカルチャーっすね!」
「アングラといえばアングラですね」
「なるほど、そのために死体を探すからお金は要らないんすね! 理解したっす!」
民生委員さんはすぐに笑顔でそう言ってくれた。つくづく懐の深い女性だ。帽子をかぶっていたら脱帽したいところだった。
「おじいちゃん、どうするっすか?」
そうだ、民生委員さんは納得しても、本来の依頼人であるこのおじいちゃんを説得できなければ意味がない。
虚空を見つめていたおじいちゃんは、ぷるぷるしながら、
「げんだいあーと、とはなんだ?」
その問いかけに、状況をわかっている民生委員さんがフォローを入れてくれる。
「芸術品っすよー」
「ほう。すると、トミエがきれいに飾られるのか?」
「もっちろんさ! 一等響く『作品』にすると約束するよ!」
おじいちゃんの勘違いを上手く逆手に取った無花果さんが言葉を重ねる。
それからしばらくぼうっとしていたおじいちゃんは、ふと視線を床に落として、
「……ならお願いしようかの。トミエが見つかるなら、ワシはそれでいい」
「だそうっす!」
「よっしゃ、素材確保!」
「だから、不謹慎ですって……!」
とはいえ、それも『今さら』だ。こんな条件を突きつけた僕だって、立派な『共犯者』なのだから。
……いいさ、『共犯者』だって。
僕はもう、戻りたくないと思ってしまったんだ。
ただ『モンスター』として、墓の上でいっしょに踊り続けようと。
「……では、契約書にサインを」
三笠木さんに契約書を出力してもらって、テーブルに置く。これが悪魔との契約書だということを、おじいちゃんはわかっているのだろうか。
おじいちゃんはその紙切れをぼうっと眺めて、
「……この紙に名前を書くのか?」
「そうっす!」
民生委員さんがそう答えた途端、おじいちゃんは火がついたようにいやいやと首を横に振り始めた。
「いやじゃ!」
「ええ!? なんでっすか!? さっきお願いするって!」
「ワシらみたいな老人を狙って、こうして名前を書かせるんじゃ! ワシらがなにもわからんと思って! 詐欺じゃ! なあ、トミエ!?」
「そのトミエさんを探すために、名前書くんすよ!」
「世間ではやれオレオレ詐欺だ還付金詐欺だのと、ワシはだまされんぞ!?」
……ダメだ、埒が明かない……
途方に暮れる僕を前にして、またしても民生委員さんが助け舟を出してくれた。
「自分が代筆してもいいっすか?」
「あの、でも一応契約書なんで、ご本人の署名でないと……」
「そういうことなら大丈夫っす! 法的にも自分がこのおじいちゃんの後見人ってことになってるっすから、万が一なにかあってもオールオッケーっす!」
「ああ、そういうことなら……」
助かった。このボケ老人をうんと言わせなければならないと思うと、考えただけで気が遠くなる。この女性には助けられてばかりだ。
民生委員さんにペンを渡して、おじいちゃんの名前を代わりに書いてもらう。
出来上がった契約書を確認して、三笠木さんに保管しておいてもらう。
「これで、契約成立です。正式な依頼として、必ずトミエさんを探し出します」
「よろしくお願いするっす!」
ものすごい勢いで民生委員さんが頭を下げてきたので、釣られて僕まで頭を下げてしまった。
ともかく、これでこのおじいちゃんが正式な依頼人だ。どうやらこのおじいちゃんが知らないうちに死体を隠して、それを忘れてしまっているみたいだけど……
果たして、無花果さんはボケ老人の思考なんてトレースできるのだろうか?
そもそも、いつもの『質問攻め』だって成立するかどうかわからないのに、どうやって情報を引き出すつもりなんだろう。
無花果さんは探し出す気満々みたいだけど。
「……それでは、より詳しい話を聞かせてください」
不安を胸に抱えて、僕はまず民生委員さんから事情を聞こうと背筋を伸ばすのだった。