出来上がった料理を丁寧に食卓に並べると、おじいちゃんは家の奥に向かって声を張り上げた。
「トミエ、メシだぞ!」
それでも、返ってくる言葉はない。
「トミエ、おらんのか!?」
「まあまあ、おじいちゃん! おばあちゃんはいないから、食事の前にちょっとお話をしようよ!」
ちゃっかり食卓に座って手招きする無花果さんに、おじいちゃんは怪訝そうな顔をした。
「……お話?」
「そうさ! お話をしたらおばあちゃんは帰ってくるよ!」
「……ふむ」
おじいちゃんはあきらめたように呼び掛けをやめ、無花果さんの対面に腰を下ろす。
……これから始まるのだ、いつもの『質問攻め』が。
このボケた老人からなにか聞き出せるとは思わないけど、無花果さんなりの勝算はあるのだろう。
テーブルに肘をついた無花果さんは、にやりと笑って、
「おじいちゃん、もう運転免許は返納したかい?」
明らかに老人をバカにする発言だ。しかし、これもジャブ。おじいちゃんが正直に質問に答えられるか、感情に振り回されてウソをつかないか、このひと言で測ろうとしている。
案の定、憤慨した様子のおじいちゃんは、
「失敬な! 老いぼれ扱いしよって! ワシはまだまだ現役じゃ!」
「ふむふむ、元気でよろしい!」
満足気にうなずいた無花果さんは、なにげない仕草でナスの煮浸しをつまみ食いする。そして笑顔でうなずいて、
「うん! おいしいじゃないか! こんなの、ちょっとした小料理屋じゃないと作れないよ! おじいちゃん、料理人でもやってたのかい?」
「そうじゃ、昔は料亭で毎日作っとった。ワシは若い頃から下積みでのう、下足番から初めて焼き物揚げ物、しまいには料理長まで出世したもんじゃ。定年まで務めた」
「ほうほう、そりゃあすごいや! この味にも納得だね! この献立はよく作るのかい?」
「トミエの好物じゃった。ワシはもうこれまでの人生でたらふく食ったからのう、あとはトミエひとりのためだけに腕をふるおうと決めたんじゃ」
「いいじゃないか、おばあちゃん専属料理人! あ、こっちのだし巻きもおいしーい!」
「そうじゃろう。このだし巻きはふたりで行った宿でトミエが気に入ってのう、そこの料理人に頼み込んで作り方を教えてもらったんじゃ」
「なるほどねえ! ところで、おばあちゃんにはなにか夢はあったかい?」
「ふん、こんな老いぼれどもに今更夢などないわい。しかし、ふたりして散歩に行った時はよく『鳥はいいねえ、自由に飛べて』と言っとった。こころはまだまだ乙女たったんじゃ、トミエは」
「おお、妬けるねえ! 小生嫉妬に身を焦がしちゃう! おじいちゃんはそういうおばあちゃんのオトメゴコロに惚れたんだね! のろけついでだ、他に惚れたところはあるかい?」
「そうさのう……トミエはしゃれとった。ワシはこの通りの唐変木じゃがな、トミエはそりゃあいつも最新のファッションで颯爽としとった。車椅子になってからもそうじゃった。いつも身なりには気をつけておって、歳を食ってもきれいじゃった」
「なるほど、ステキじゃないか、きれいなおばあちゃんだったのだね! さらについでだけど、おじいちゃんは学生時代なにか部活をやっていた?」
「そうさのう、学生のころは登山部じゃった。山に登っては鳥の声を聞いて、ギターを持ってみんなで焚き火を囲んでフォークソングを歌ったわい。特に夜明けの鳥の声が美しくてなあ、そのためにみんなよりも早くに起き出したもんじゃ。おかげで朝飯の担当はいつもワシじゃった」
「いいねえ、緑に囲まれての登山! まだ登ったりするのかい?」
「いや。ワシにゃあ足の悪いトミエがおったからな、足腰はまだまだ丈夫じゃが、もうひとりで登る気もないしのう。学生時代の美しい思い出として取っておくんじゃ」
「ほうほう、病気知らずなんだね! その歳でうらやましい! 小生なんてやまいの巣窟だからね! おばあちゃんはどうだった?」
「トミエも風邪らしい風邪も引かんかった、足が悪かったくらいじゃった。あとは血圧が高めだったくらいじゃのう」
「ふむふむ。ところで、どこか思い出の旅行先はあるかい?」
「うむ。まだまだ海外旅行が難しかった時代に、ひとりでチベットに行ったもんじゃ。仏様を拝みに行ったんじゃよ。山にものぼりたかったしのう。そりゃあ見事じゃった。ワシの人生の中で新婚旅行の次に素晴らしい旅じゃ」
「チベットか! 仏教の聖地だね! そりゃあ見事なものだっただろう!」
「ああ、素晴らしかった」
「さて、お話はこれくらいにしよう。最後におじいちゃん、おばあちゃんを見つけたらなにか伝えたいことはあるかい?」
これで『質問攻め』は終わりらしく、無花果さんは最後の質問をおじいちゃんに投げかけた。
おじいちゃんはしばらく考え込んだあと、
「……せっかくの機会じゃし、ワシの料理はまだうまいか聞いてみたいのう。トミエも気を使って『うまい』と言っとったんかもしれん。元料理人として、そこがずっと気がかりじゃった」
おじいちゃんの答えは、そんなものだった。
無花果さんはその答えで納得したらしく、最後にまたナスの煮浸しを指でつまんで頬張ると席を立つ。
「よし! 小生、おおむね理解!」
「……あの、こんなのでなにがわかるんすか……?」
民生委員さんの当然の言葉にも、無花果さんは頑として説明らしい説明をしない。
「おおむね、さ!」
そして、なにやらスマホをいじって、しばらくしてLINEの着信音が鳴った。どうやら小鳥さんにいつものように調べ物を頼んだらしい。その答えが返ってきたというところか。
「……ふむふむ、なるほど!」
LINEの返信を見た無花果さんは、唐突にぽんと手を叩いて言った。
「よろこびたまえ、まひろくん! 今回はどきどき湯けむり温泉旅行だよ!」
「はあ!?」
急になにを言い出すんだこのひとは……?
死体を探しているのに温泉旅行だなんて、本格的に頭がどうにかなってしまったのだろうか?
僕の心配をよそに、無花果さんは早速玄関に向かって靴を履き始めた。
「さあ、事務所に帰って旅支度をして、軽トラでゴーだ!」
「死体を探すんじゃないんですか?」
「たまにはいいじゃないか! きっと経費で落ちるし、おもくそ贅沢してやろうぜ!」
本当に、なにを考えてるんだ、このひとは……?
しかし、僕には無花果さんのような思考のトレース能力はない。天才の考えることはいつだって凡人には及びつかないものだ。
……死体探しと、なにか関係あるんだよな……?
「……ああもう、わかりましたよ! 温泉だってなんだってついていきますよ!」
ヤケクソになって承諾すると、靴を履いた無花果さんがぱちんと指を鳴らした。
「やりい! そうと来たら、ここにはもう用はない! 一路、温泉宿へいざゆかん!」
「ちょっと待ってくださいよ、無花果さん……!」
慌てて僕も靴を履いて、玄関を飛び出していく無花果さんを追いかけようとする。
「……あの、本当に見つかるんすよね……?」
心配そうに僕たちを見送る民生委員さんに、僕はうなずいて見せる。
「無花果さんの考えてることは僕なんかにはわかりませんが、いつもこうして死体を見つけてきました。だから、きっと今回も大丈夫です。絶対に、おばあちゃんの死体を見つけ出して、この繰り返しを終わらせてみせます」
「よろしくお願いするっす!」
一礼を残して、僕はその場を辞した。
果たして、温泉なんかに行っておばあちゃんの死体が見つかるのか。それは僕にもわからないけど、無花果さんはたしかにこの『死』に特別な意味を見出している。
なら、僕は信じてついて行くしかない。
遠くになった無花果さんの背を追いかけて、僕は走り出した。