目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

№8 『食事』

 それから三十分ほどして、無花果さんは部屋に帰ってきた。温泉がいかに素晴らしかったかをまくし立てる無花果さんにお茶を出して、なんとか会話ができるようなテンションに持っていく。


 それでもマトモとは程遠い会話をしていると、部屋の扉が叩かれた。失礼します、と女将さんがやって来る。


 そろそろお食事をお持ちしてもよろしいですか、と聞かれたので、お願いしますと告げる。


「ここの懐石料理は絶品だってクチコミにも書いてあったよ! 楽しみだねえ!」


 女将さんが料理を取りに行っている間に、無花果さんが無邪気に笑う。本格的に旅を楽しんでいるようだ。


 やがて料理が運ばれてきた。こんな旅館に泊まったことがないから、てっきりまとめてやって来る、固形燃料の鍋のついているような料理を想像していたのだけど、それは見事に裏切られた。


 古式ゆかしい前菜から運ばれてきた料理は、つつましやかで品があって、主張しすぎない美しさがあった。


「すいません、写真いいですか?」


 女将さんに断りを入れると、僕はカメラのシャッターを切った。食べ物なんて滅多に撮らないのでいまいち上手くいかなかったけど、この食べる芸術品の美しさのいくらかはフィルムに収めることができた。


「さて、いただこうか!」


 手を合わせて、僕たちは前菜に箸をつけた。冷たい高野豆腐にはしっかりと出汁が染み込んでおり、噛む度にじわ、と味わいが染み出してくる。


 前菜を食べ終わるころに、測ったように次の料理が運ばれてきた。小鉢に盛られた三種のおひたしが、いろどりも鮮やかに卓に並ぶ。またしても僕はシャッターを切った。


 これも、さっきとは少し違った出汁がきいた、醤油の風味も豊かな逸品だった。僕みたいなバカ舌でも、これが職人の粋を凝らした作品であることは分かる。才能があって、なおかつ経験を積んだ料理人にしか出せない味だ。


 おいしいけど、かっこむようなことはなかった。自然と、丁寧に味わうように食べる。背筋を正すような魔法でもかかっているのだろうか、それは『食』に真正面から向き合うことをうながすような料理だった。


 時間をかけて小鉢を食べ終えると、また見計らったように次の料理が運ばれてきた。エビの茶碗蒸しと刺身の盛り合わせだ。これも新鮮な素材の味が活かされていて、美味極まりなかった。


「……おいしいねえ」


 ふと、目の前に無花果さんがいることを思い出す。料理にばかり気を取られていて忘れていたけど、無花果さんもいっしょに食べているのだった。ふたり旅だ、味について感想を言い合うのが自然なのに、僕としたことが。


 ぷりっとした鯛に岩塩を少しつけて、箸で口に運ぶ。そのくちびるに、美味が入っていく。咀嚼し、歯ごたえを堪能し、舌全体で素材を受け止めながら、飲み下してのどごしを感じる。


 一連の食事風景を、僕はじっと見つめていた。


 ……そういえば、無花果さんがこうしてマトモに『食事』をするところは初めて見る。


 いつものとんこつラーメンや駄菓子は、無花果さんにとってはまるで『服薬』のようだった。『生きるため』ではなく、『死なないため』に食べているものだ。


 それはなにも、からだのことを考えて、という話ではない。『服薬』としての食べる行為は、無花果さんにしてみれば『創作活動』やセックスと同様、自分が生きていることを確認する手段なのだ。喰らい、飲み干し、消化し、排泄する。生き物として、『死なないため』にしていることだ。


 だから、『服薬』に手段以上の意味はない。生きていくための過程にすぎない。


 しかし、今こうして『食事』をしている無花果さんは、たしかに『死なないため』ではなく『生きるため』に『食』と向き合っている。


 味を楽しみ、腹を満たし、この時間を過ごしている。


 いつもの『服薬』とは違って、『食事』には手段以上の意味があった。


 茶碗蒸しのエビの殻をマナー通りに取る無花果さん。エビの身の部分をほぐし、箸で口へと運ぶ。くちびるに触れ、歯で噛み締められ、舌で転がされ、喉へ胃へと送られていく料理。


 ……性的だ、と思った。


 だれかの食事シーンを見てそんなことを思うのは初めてのことだった。


 それはおそらく、無花果さんに対してしか感じられないことなのだろう。


 食べることは、生きることだ。


 動物としては当然の行為で、『生』を繋いでいくために、『食事』は必要不可欠なことだ。


 そう、動物としてのニンゲン。『食事』は、『モンスター』ではなくニンゲンの範疇だ。


 僕と同じ『モンスター』である無花果さんだからこそ、その中に残っていたニンゲンとしての部分がくっきりと浮かび上がる。否が応にも鮮烈に強調されるのだ。


 ニンゲンの『生』であるエロスは、『死』であるタナトスとはもっとも隔たったところにある。ただのケダモノとして生きていくためのエロスと、思考し理性を持つ『モンスター』として死なないためのタナトス。


 常にタナトスの側に身を置く無花果さんが、『食事』というエロスと直結した行為に及ぶ。ただのニンゲンという動物になっている。


 ……正直、それはセックスと同じで、非常に性的だった。


 ただ食べるという行為が、こんな風に映るなんて。


 しかし、ちぐはぐだとは思わない。むしろ、無花果さんのもうひとつの側面だと思う。


 一匹の『モンスター』であると同時に、無花果さんはただのニンゲンでもあるのだ。今を生きる、ケダモノだ。


 いつもいつも、『創作活動』のあとにセックスをしたがるのも、実はそういった理由があるからなのかもしれない。


 タナトスに引きずられないために、エロスが発露する。それは生き物としてはごく自然なことだった。


「……なんだい、さっきからぼさっとして?」


 ぺろり、と舌なめずりをして笑う無花果さんに言われて、思考に没頭していたことに気づく。すっかり箸が止まってしまっていた。


「おいしいよ?」


 さざめき笑うくちびるさえ、食事をしている最中となると、余計に目の毒に感じられる。


 ……こんなに静かに『おいしい』なんて言う無花果さん、見たことがない。


 やっぱり、これは『服薬』ではなく『食事』なのだ。


 ひどく動物的な行為なのだ。


「……いえ、なんでもないです」


 この光景をカメラに収めようとは思わなかった。僕はポルノ写真家ではないのだ。とてもじゃないけど、このにじみ出るエロスをとらえ切る自信がなかった。


 もう無花果さんは茶碗蒸しも刺身も食べ終えている。あまり待たせるのも申し訳ない。


 少し慌て気味に食べたせいか、よく味わって食べることができなかった。


 ……ただの食事に、なにを動揺してるんだ、僕は。


 続いて運ばれてきたホッケの焼き魚と天ぷらを食べながら、なるべく無花果さんに視線を向けないようにする。


 向けてしまったら最後、もう料理の味もわからなくなってしまうと思ったからだ。


 ……さいわいにも、それ以上無花果さんがしゃべることはなかった。ただ黙々と料理を味わっていく。


 肉料理や煮物、そして最後の冷やしぜんざいを食べ終え、僕はやっと解放されたようなここちになった。安堵してしまった。


 ……これ以上、『食事』をしている無花果さんを見ていると、頭が変になりそうだったからだ。


「おいしかったねえ!」


 すっかり器が片付けられた卓でお茶を飲みながら、無花果さんが満足げに笑う。いつもの不健康そうな笑みではない、少女のような笑みだ。


「……そうですね」


 僕ができる返事といえば、それくらいだ。


 とてもじゃないが、『食事をしているあなたを見てとても興奮していました』とは言えない。


 表面上は涼しい顔を取り繕いながら、僕はいつも通りのマトモに話ができない『モンスター』に、無性に安心してしまうのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?