「……無花果さんは、本当にこんなことを望んでるんですか?」
かはかはと咳き込む無花果さんがいる暗闇に向かって、僕は真剣な声音で問いかけた。
「ごほっ、ごほ……えあ……?」
「僕を犯して、それで満足するんですか?」
もう一度、問いかける。
無花果さんのきょとんとした表情は、暗闇だってわかった。畳み掛けるように言葉を連ねる。
「無花果さんにとってのセックスって、動物としての『生』を確認するための儀式ですよね?」
そうだ、お化けにおびえる子供が無理やりに歌う歌のような、そんな行為だ。タナトスに飲み込まれてしまわないように、声を張り上げ主張するエロス。
きっと、無花果さんだってこわいのだ。
今度こそ『死』に取って食われてしまうのではないかと。
覗き込んだ深淵に、引きずり込まれてしまうのではないかと。
だから、からだに結んだいのち綱を確認する。
しっかりと、その肉体に結び付けられているのだと。
生き物として、ちゃんと生きているのだと。
タナトスに真っ向から抗った結果が、この蛮行なのだ。食べて、排泄し、生殖行為に及ぶ。バクテリアにだってできる、単純極まりない生き方だ。脳死でおこなえる、シンプルな確認作業。
……しかし、僕は、僕だけは認めたくない。
そんなの、許してはいけない。
僕が『記録』するのは、ニンゲンじゃない。ケダモノじゃない。
おそれ、おびえ、悩み、それでも抗い、『死』を征服する、一匹のかなしくも美しい『モンスター』なのだ。
だから、無花果さんにはケダモノに成り下がってもらいたくない。
ただの『モンスター』として、もがき苦しみながら生きてもらわないといけないのだ。
……我ながら、酷だと思う。
ラクに『生』を実感したいという無花果さんの気持ちも、痛いくらいにわかる。ニンゲンはラクな方へと流されていくものだ。なるべくならつらい思いはしたくない。
それでも、僕は無花果さんに、荒野に突き立つ一本の刃のような『モンスター』として、『死体装飾家』として生きてもらいたいのだ。
僕が『記録』する価値を見出したのは、ニンゲンとしての無花果さんであると同時に、突出した『モンスター』としての無花果さんだった。
ただのニンゲンに成り下がった無花果さんなんて、見たくなかった。
ましてや、その手助けをするなんてごめんこうむる。
僕だけは、最後までこのスタンスを崩してはならない。
たしかに、僕たちは『共犯者』だ。
けど、僕はいっしょに『堕ちない』。そんなにやさしくはなれない。『記録者』のカメラのレンズは、いつだって冷徹に光っている。
いっしょに『堕ちずに』、『こっち側』に留まったまま、僕は無花果さんをフィルムに焼き付けていく。冷たく突き放して、一歩下がったところからファインダーをのぞく。
ラクになんて、してやらない。
せいぜい苦しめ、『モンスター』。
その躍動こそ、僕が『記録』するに足る姿なのだから。
「……僕は、」
言葉を区切って、息を吸う。そして、言葉といっしょに吐き出した。
「そんなケダモノとしての確認作業に使われるほど、たやすい相手じゃないですよ。そんなにやさしいニンゲンだと思わないでください」
「……まひろくん」
無花果さんがなにかを言いかけて、やめた。
きっと、『そんなことはない』『君はやさしい』とか言おうとしたのだろうけど、そんな言葉は徒花でしかないと悟ったのだろう。
構わずに、僕は続けた。
「僕は、僕だけはいっしょに『堕ちずに』、あなたを見つめ続ける。同じ『モンスター』として、踏みとどまる。だからこそ、あなたのいのち綱になり得る」
無花果さんは、もうなにも言わなかった。
僕は微笑みかけて、
「だから、こんなことしなくても大丈夫です。からだで繋がらなくても、僕たちは同じ『モンスター』として共鳴し合える。簡単に実感できる『生』に、意味なんてない。苦しんで苦しんで、その果てにやっと見える光こそ、本当の『生』なんです。そして、あなたにはその光を見出すためのちからがある」
暗闇に差し伸べた手に、やわらかい感触があった。きっと、頬に触れたのだろう。あたたかい体温が指先に伝わってきた。
「……その上でもう一度聞きますけど、本当に『僕と』セックスしたいんですか?」
「……うん、『君とは』、こういうことは不必要だね。ヤボってもんだ」
そうつぶやく声音は、少しさみしそうにも聞こえた。それはそうだ、僕はたしかに無花果さんを突き放したのだから。
けど、無花果さんはふっと笑い声をこぼして、
「ひどい男だね、君は。オトメに乱暴を働いておいて、大層な上から目線だ。本当に……見上げた男だよ、君は」
頬に触れた手に、手が重なる。無花果さんは、すり、と僕の手のひらに懐くように頬を寄せ、
「決して甘やかさず、けどそばから離れない……対等な『モンスター』であり、『共犯者』。私の『相棒』は、そうでなくちゃならない」
無花果さんの口から、初めてそんな言葉を聞いた。いつも後ろを追いかけてばかりいた存在に、ようやく手が届いたような気がした。
……そうだ。僕はやっと、無花果さんと同じ地点に立ったのだ。もう仰ぎ見るだけの立場ではない。同じ目線でタナトスと対峙する、真の『相棒』となったのだ。
無花果さんの沈黙が、そのまま答えになった。
さっきまでの動物的なエロスとは比較にならない、圧倒的な『生』の実感が込み上げてくる。
ここにいていいのだと、再認識する。
それは無花果さんも同じように感じているだろう。
……じゃなきゃ、『相棒』なんて言葉、出てくるはずがない。
「あーもう、小生が悪かったよ! 君が『見上げ果てた』ひどい男だってことはよーくわかった! いいんだね!? もう絶対に誘ってあげないからね!?」
「望むところです」
「……ホンット、かわいくないなあ!」
そんな言葉と同時に、やわらかいものがくちびるに触れる。初めて出会ったときに感じたのと同じ体温だ。あのときは、ゲロにまみれてそんな余裕なかったけど……
今ならわかる。
これが、僕たちの適切な距離感だ。
「……なんでキスはするんですか」
憮然とした口調でくちびるをおさえると、そうそうに引いた無花果さんは闇の向こうでくすりと笑い、
「だって、いとおしいんだもの!」
「こんな小学生女子みたいな愛情表現するひとだったんですね、無花果さん」
「だーれーがーJSだよ!? かわいくないクソガキだねえ、君も!」
「そうでしたね、オバサン?」
「うっわ、重ねてかわいくない! もう二度と……」
言いかけた無花果さんのくちびるを、今度は僕がふさいだ。明るかったらためらっただろうけど、暗闇だから恥ずかしくはない。
ただ、対等の愛情表現を返したかっただけだ。
無花果さんは、ぷっと吹き出して、
「君だって、ずいぶんと幼稚なマネするじゃないか!」
「無花果さんのレベルに合わせてあげました」
「くきいいいいいいいい! まるで小生が低レベルみたいに言うじゃないか! 小生のハラに蹴り入れたこと、絶対に根に持ってやるからな!?」
「ああでもしないと止まらなかったでしょう」
「いたっ! 今になって蹴られたところが猛烈に痛くなってきたぞ! これは裁判だね!」
「当たり屋みたいなことしないでくださいよ」
そんな戯言を交わし合いながら、僕たちは暗闇の中で顔を見合せて笑った。
そうだ、僕たちはこうして愛すべき『共犯者』同士でいられる。
この関係が維持されるのなら、僕だけは最後まで踏み留まろう。付かず離れず対等に、時にあたたかく時に冷徹に、ずっとそばで無花果さんを見守り続けよう。
そう胸に誓って、僕たちの夜は更けていくのだった。