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№10 『堕ちない』覚悟

「……無花果さんは、本当にこんなことを望んでるんですか?」


 かはかはと咳き込む無花果さんがいる暗闇に向かって、僕は真剣な声音で問いかけた。


「ごほっ、ごほ……えあ……?」


「僕を犯して、それで満足するんですか?」


 もう一度、問いかける。


 無花果さんのきょとんとした表情は、暗闇だってわかった。畳み掛けるように言葉を連ねる。


「無花果さんにとってのセックスって、動物としての『生』を確認するための儀式ですよね?」


 そうだ、お化けにおびえる子供が無理やりに歌う歌のような、そんな行為だ。タナトスに飲み込まれてしまわないように、声を張り上げ主張するエロス。


 きっと、無花果さんだってこわいのだ。


 今度こそ『死』に取って食われてしまうのではないかと。


 覗き込んだ深淵に、引きずり込まれてしまうのではないかと。


 だから、からだに結んだいのち綱を確認する。


 しっかりと、その肉体に結び付けられているのだと。


 生き物として、ちゃんと生きているのだと。


 タナトスに真っ向から抗った結果が、この蛮行なのだ。食べて、排泄し、生殖行為に及ぶ。バクテリアにだってできる、単純極まりない生き方だ。脳死でおこなえる、シンプルな確認作業。


 ……しかし、僕は、僕だけは認めたくない。


 そんなの、許してはいけない。


 僕が『記録』するのは、ニンゲンじゃない。ケダモノじゃない。


 おそれ、おびえ、悩み、それでも抗い、『死』を征服する、一匹のかなしくも美しい『モンスター』なのだ。


 だから、無花果さんにはケダモノに成り下がってもらいたくない。


 ただの『モンスター』として、もがき苦しみながら生きてもらわないといけないのだ。


 ……我ながら、酷だと思う。


 ラクに『生』を実感したいという無花果さんの気持ちも、痛いくらいにわかる。ニンゲンはラクな方へと流されていくものだ。なるべくならつらい思いはしたくない。


 それでも、僕は無花果さんに、荒野に突き立つ一本の刃のような『モンスター』として、『死体装飾家』として生きてもらいたいのだ。


 僕が『記録』する価値を見出したのは、ニンゲンとしての無花果さんであると同時に、突出した『モンスター』としての無花果さんだった。


 ただのニンゲンに成り下がった無花果さんなんて、見たくなかった。


 ましてや、その手助けをするなんてごめんこうむる。


 僕だけは、最後までこのスタンスを崩してはならない。


 たしかに、僕たちは『共犯者』だ。


 けど、僕はいっしょに『堕ちない』。そんなにやさしくはなれない。『記録者』のカメラのレンズは、いつだって冷徹に光っている。


 いっしょに『堕ちずに』、『こっち側』に留まったまま、僕は無花果さんをフィルムに焼き付けていく。冷たく突き放して、一歩下がったところからファインダーをのぞく。


 ラクになんて、してやらない。


 せいぜい苦しめ、『モンスター』。


 その躍動こそ、僕が『記録』するに足る姿なのだから。


「……僕は、」


 言葉を区切って、息を吸う。そして、言葉といっしょに吐き出した。


「そんなケダモノとしての確認作業に使われるほど、たやすい相手じゃないですよ。そんなにやさしいニンゲンだと思わないでください」


「……まひろくん」


 無花果さんがなにかを言いかけて、やめた。


 きっと、『そんなことはない』『君はやさしい』とか言おうとしたのだろうけど、そんな言葉は徒花でしかないと悟ったのだろう。


 構わずに、僕は続けた。


「僕は、僕だけはいっしょに『堕ちずに』、あなたを見つめ続ける。同じ『モンスター』として、踏みとどまる。だからこそ、あなたのいのち綱になり得る」


 無花果さんは、もうなにも言わなかった。


 僕は微笑みかけて、


「だから、こんなことしなくても大丈夫です。からだで繋がらなくても、僕たちは同じ『モンスター』として共鳴し合える。簡単に実感できる『生』に、意味なんてない。苦しんで苦しんで、その果てにやっと見える光こそ、本当の『生』なんです。そして、あなたにはその光を見出すためのちからがある」


 暗闇に差し伸べた手に、やわらかい感触があった。きっと、頬に触れたのだろう。あたたかい体温が指先に伝わってきた。


「……その上でもう一度聞きますけど、本当に『僕と』セックスしたいんですか?」


「……うん、『君とは』、こういうことは不必要だね。ヤボってもんだ」


 そうつぶやく声音は、少しさみしそうにも聞こえた。それはそうだ、僕はたしかに無花果さんを突き放したのだから。


 けど、無花果さんはふっと笑い声をこぼして、


「ひどい男だね、君は。オトメに乱暴を働いておいて、大層な上から目線だ。本当に……見上げた男だよ、君は」


 頬に触れた手に、手が重なる。無花果さんは、すり、と僕の手のひらに懐くように頬を寄せ、


「決して甘やかさず、けどそばから離れない……対等な『モンスター』であり、『共犯者』。私の『相棒』は、そうでなくちゃならない」


 無花果さんの口から、初めてそんな言葉を聞いた。いつも後ろを追いかけてばかりいた存在に、ようやく手が届いたような気がした。


 ……そうだ。僕はやっと、無花果さんと同じ地点に立ったのだ。もう仰ぎ見るだけの立場ではない。同じ目線でタナトスと対峙する、真の『相棒』となったのだ。


 無花果さんの沈黙が、そのまま答えになった。


 さっきまでの動物的なエロスとは比較にならない、圧倒的な『生』の実感が込み上げてくる。


 ここにいていいのだと、再認識する。


 それは無花果さんも同じように感じているだろう。


 ……じゃなきゃ、『相棒』なんて言葉、出てくるはずがない。


「あーもう、小生が悪かったよ! 君が『見上げ果てた』ひどい男だってことはよーくわかった! いいんだね!? もう絶対に誘ってあげないからね!?」


「望むところです」


「……ホンット、かわいくないなあ!」


 そんな言葉と同時に、やわらかいものがくちびるに触れる。初めて出会ったときに感じたのと同じ体温だ。あのときは、ゲロにまみれてそんな余裕なかったけど……


 今ならわかる。


 これが、僕たちの適切な距離感だ。


「……なんでキスはするんですか」


 憮然とした口調でくちびるをおさえると、そうそうに引いた無花果さんは闇の向こうでくすりと笑い、


「だって、いとおしいんだもの!」


「こんな小学生女子みたいな愛情表現するひとだったんですね、無花果さん」


「だーれーがーJSだよ!? かわいくないクソガキだねえ、君も!」


「そうでしたね、オバサン?」


「うっわ、重ねてかわいくない! もう二度と……」


 言いかけた無花果さんのくちびるを、今度は僕がふさいだ。明るかったらためらっただろうけど、暗闇だから恥ずかしくはない。


 ただ、対等の愛情表現を返したかっただけだ。


 無花果さんは、ぷっと吹き出して、


「君だって、ずいぶんと幼稚なマネするじゃないか!」


「無花果さんのレベルに合わせてあげました」


「くきいいいいいいいい! まるで小生が低レベルみたいに言うじゃないか! 小生のハラに蹴り入れたこと、絶対に根に持ってやるからな!?」


「ああでもしないと止まらなかったでしょう」


「いたっ! 今になって蹴られたところが猛烈に痛くなってきたぞ! これは裁判だね!」


「当たり屋みたいなことしないでくださいよ」


 そんな戯言を交わし合いながら、僕たちは暗闇の中で顔を見合せて笑った。


 そうだ、僕たちはこうして愛すべき『共犯者』同士でいられる。


 この関係が維持されるのなら、僕だけは最後まで踏み留まろう。付かず離れず対等に、時にあたたかく時に冷徹に、ずっとそばで無花果さんを見守り続けよう。


 そう胸に誓って、僕たちの夜は更けていくのだった。

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