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№12 『鳥葬』

「おるぁぁぁぁぁ起きろ!!」


 怒声と共に布団をひっぺがされて、僕は無理やりに眠りの海から引きずり上げられた。その場にひっくり返ってしまい、布団をはがした張本人である無花果さんと目が合う。


 ……状況がよくわからない。混乱しながら柱時計に目をやると、時刻は午前五時だった。日の出の早朝だ。


「……なんですか、朝風呂ですか……?」


 きょとんとしながら見上げた無花果さんは、すっかりいつものシスター服に着替え終わっていた。


 呑気な僕に人差し指を突きつけ、無花果さんが一喝する。


「寝ぼけてるんじゃないよ! 朝の散歩がてら、死体を見つけに行くのだよ!」


「……死体……死体!?」


 その一言に、まどろんでいた意識が一気に覚醒する。


 ……そうだ、僕たちは死体を探しに来たのだ。別にただの温泉旅行に来たわけではない。いろいろありすぎて忘れていたけど、死体がなければこんなところに来た意味がないのだ。


 おじいちゃんと民生委員さんの依頼があって、そして『作品』の素材となる死体を求めて、ここまでやって来た。


「この近くに死体があるんですか?」


 慌てて尋ねると、無花果さんは心外そうな顔をしながら、


「そりゃあそうだよ! なんの理由もなく温泉旅行に来るわけがないじゃないか! 小生のことをなんだと思ってるんだい!? ぷんぷん!」


「……ただの狂人かと……」


「それって褒め言葉だよね? うん?」


 ……ガンを飛ばされている……寝起きでとっさに暴言が出てしまった。急いでこくこくとうなずくと、無花果さんは歯を見せて威嚇するような笑い方をした。


「ともかく、さっさと着替えたまえ! 早起きは三文の徳だ! なんなら着替え覗いちゃうよ!」


「やめてください……ちゃんと着替えますから……」


「あんたはよ学校行き! 遅刻やで!」


「なんでオカンなんですか……」


 まだ眠気の残る頭で的確にツッコミを入れながらも、僕は急いで寝乱れた浴衣から普段着へと着替えた。


 洗面所から出てくると、早朝の旅館では仲居さんたちが朝の支度に忙しく動き回っている。だれも着替えた僕たちに目を止めることはない。


 それをいいことに、僕たちはこっそりと旅館から抜け出すと、すぐ裏手にある森へと分け入った。


 無花果さんは相変わらずの健脚で、ずかずかと森の奥へと突き進んでいる。


 朝もやの中、その背中を追いかけながらふと思い出すのは、眠りの縁で聞いたあの声だ。


 ……やっぱり、昨日の話はすべて夢だったのだろうか……?


 父親が最初の『作品』だったとか……


 ……今は考えるのはやめておこう。でないと、無花果さんに置いていかれる。僕は思考に無理やりフタをすると、足を動かすことに集中した。


 どんどん森の深くへ入っていく。これはちょっとしたハイキングだ。トレッキングと言ってもいいかもしれない。たちまち息が上がって、足が重くなった。


「……ちょ、ま……いちじく、さ……」


 どんなに手を伸ばしても、無花果さんの背は振り返らない。ただひたすらに森の奥をめざしてずんずん歩いていく。喘息持ちと言っていたけど、とてもそんな風には見えない。なんなら僕よりも健康的なんじゃないだろうか。


 ひいこら言いながら、置いていかれまいとなんとか必死に足を動かす。雑草の覆い茂ったあぜ道はけもの道に変わり、道なき道となり……


 ……やがて、唐突に森が途切れた。


 開けたその場所は突出した断崖で、眼下には広大な森林が広がっている。まさしく大自然の真っ只中だ。


 そんな崖の突端には、たくさんの大きな鳥たちが群がっていた。鳶、鷹、烏……名前はわからないけど、他にも多くの猛禽類がたかっている。なにか、餌でも撒かれているのだろうか?


 その鳥たちのまなこが、きょろりと動いた。


 僕たちの出現に驚いた鳥たちが、その瞬間一斉に飛び立つ。翼を大きく伸ばし、散り散りになって去っていった。


 ……『立つ鳥跡を濁さず』、なんて、だれが言ったんだ?


 濁された『跡』を目の当たりにして、僕はついそんなことを思い浮かべてしまった。


 そう、それは紛れもない死臭だ。


 ニンゲンのからだが腐っていくとき特有のにおい。この仕事を始めてから、もうずいぶんと慣れ親しんだものだ。否が応にも頭のモードが切り替わっていく。


 ……そこには、たしかに死体があった。


 干上がってからからになっているが、まだ腐敗するだけの肉は残されている。


 しかし、それだけだ。


 ほとんどが鳥についばまれて、残っていない。黄ばんだ白い骨が露出しているところもあちこちに見受けられる。眼球や舌などの顔の部分はとっくに食い荒らされていて、その死に顔はドクロのそれだ。その他やわらかい臓器もあらかたやられていた。


 かろうじて、散らばった長いグレイヘアから老女の死体であることがわかる。着ていたものもぼろぼろになっているが、もとは品のいい白のワンピースらしかった。


 そんな穴だらけの死体が、崖の突端に横たえられていた。胸の前に手を組みあわせて、仰向けに。


 とっさに僕が連想したのは、


「……『鳥葬』……?」


 そうだ、これは『鳥葬』だ。


 僕の直感は正しかったようで、隣で無花果さんがうなずいて見せた。


 ……死体。


 無花果さんが僕をここへ連れて来たということは、これはおじいちゃんと民生委員さんが探していたおばあちゃんの死体なのだろう。


 血痕をひとつ残して忽然と姿を消してしまったおばあちゃんは、なぜかこんなところで『鳥葬』に伏されていた。


 からっぽの眼窩が朝焼けの空を見上げている。ひどい状態だったけど、そこにはたしかに儀式の跡があった。だれか……いや、おじいちゃんが、おばあちゃんをここへ連れてきたのだ。


 澄み渡った空気の中に漂う死臭に、平和ボケしていた脳みそが引き戻される。


 そうだ、僕たちは死体を『作品』にするために、ここまでやって来た。


 すべては『創作活動』のための旅路だ。


 食事もエロスも夜の会話も、すべてはこの序章だったのだ。無花果さんはすべてをわかっていて、この旅を計画した。


 そして、たどり着いた先には、『鳥葬』されたおばあちゃんの死体があった。


 ここまでおばあちゃんの死体を運んできたのは、おじいちゃんで間違いない。わざわざこんなところまで来て、おじいちゃんはおばあちゃんを鳥に食わせて葬った。


 朝焼けに、逃げ出した鳥たちが飛び交っている。その猛禽類たちの臓腑の中に、おばあちゃんの腐肉が宿っているのだ。なんならまだ食い足りないみたいで、僕たちが立ち去るのを待っているようにも見える。


 朝日。鳥たち……『鳥葬』。


 いまだかつて見たことのない光景に、僕は思わずカメラを向けていた。かしゃり、シャッターを落とすと、なんのフィルターもかかっていない真実の『光』がフィルムに焼き付けられる。


 それから何枚も写真を撮ってから、僕はようやくファインダーから顔を離した。


 ……死体だ。


 おばあちゃんの死体は、こんなところにあったのか。


 しかし、まさか『鳥葬』とは……


 その死体は『棄てられた』ものではなく、たしかに『葬られた』ものだった。少なくとも、それだけの神聖さや畏敬の念は感じられる。


 ……無花果さんには、きっちり説明してもらわないといけない。


 おばあちゃんは、なぜこんなところに『葬られて』いたのか。


 どうやってこの場所までたどりついたのか。


 どんな意図があって、おじいちゃんはおばあちゃんの死体をこんなところに置いていったのか。


 ……今回は、どんな風におじいちゃんの思考をトレースしたのか。


 カメラを下ろして、もの問いたげなまなざしでじっと無花果さんの横顔を見つめていると……

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