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№14 呪縛の果てに

 ブルーシートを担いで事務所に戻ってくると、すぐさまおじいちゃんが駆け寄ってきた。


「トミエは、トミエは見つかったのか?」


「……それは……」


 僕が言い淀んでいると、間に無花果さんが割り込んできた。


「おじいちゃん、おばあちゃんに会えるのは、おばあちゃんをすっかり飾り終えたあとだよ。いいね?」


「……ああ、そうじゃったな」


 おじいちゃんの目から、またぼんやりと光が消え失せた。


「洒落者らしく、きれいに飾ってやってくれ」


「ああ、もちろんさ!」


 請け負って『アトリエ』へ入る無花果さん。僕も死体を担いで後を追う。


 死体のブルーシートを解いて『アトリエ』に安置すると、無花果さんはすぐさま膝を着いた。両手を組んで瞑目し、祈りの儀式を始める。


 静かだ。しかし、それはこれから始まる嵐を予感させるような静けさだった。


 祈る無花果さんの姿をカメラに収めながら、雨の降りしきる神殿のような静謐に身を任せる。


 無花果さんが、つむっていた目をゆっくりと開いた。


「……As I do will, so mote it be.」


 そうあれかし、と締めくくって祈りが終わり、『創作活動』が始まる。


 その他の素材はいつものようにすでに用意されていた。


 無花果さんは死体をダイニングテーブルに座らせる。豪奢な装飾のされたテーブルには、フルコース用の立派な食器を並べた。銀のカトラリーが『アトリエ』の明かりを反射してきらめく。


 そして、無花果さんは死体の腹に手を突っ込むと、残っていたハラワタを引きずり出した。


「トミエになにをする!?」


 ちょうどそのとき、『アトリエ』に入ってきたおじいちゃんが声を上げた。僕もその蛮行に驚いていたところだったので、つい注意がそっちに向いてしまう。


 おじいちゃんは猛然と無花果さんにつかみかかり、


「トミエ……トミエ……!」


 おばあちゃんの名前を呼ぶおじいちゃんを、無花果さんは無慈悲に突き飛ばした。尻もちをついて倒れるおじいちゃんに向ける視線は、幽鬼のそれのように冷たい炎を宿している。


「『創作活動』の邪魔だ。おとなしくしていろ」


 見下ろす眼差しのあまりの鬼気におののいたのか、おじいちゃんはへなへなとその場に崩れ落ちて、それ以上なにもせずにただ『創作活動』を見守るばかりとなった。


 構わずに、無花果さんは死体を装飾し続ける。


 ……焼き付けなければ。この光景の中にある、真実の『光』を。


 僕は夢中になってシャッターを切った。その間も、無花果さんは乱暴に死体のハラワタを掻き出していく。


 車椅子生活でやせ細った足に引きずり出したハラワタを巻き付け、がちがちに固める。腹から飛び出した臓物は、まるで胎児のへその緒のようにも見えた。


 さらに、用意されていた偽物の翼を死体に背負わせる。真っ白な翼は、あの断崖で見た猛禽類の立派な羽と同じに見えた。


 そして、今度は胸に無理やり手を突っ込む。ばきばきと枯れ枝のように肋骨をへし折りながらつかんで取り出したのは、死体の心臓だ。もうとっくの昔に動きを止めた、どす黒く干からびた心臓。


 その心臓に、ざっくりとフォークを突き立てる。血こそ吹き出なかったけど、残っていた腐汁がしたたり落ちた。


 心臓がささったフォークを死体に持たせ、針金で固定する。微調整をして、いつしか死体は自分の心臓を食べるようなポーズになっていた。


 無花果さんは大量の羽根をその場に撒き散らし、そこでようやく動きを止めた。ぜい、と疲弊しきったため息をこぼし、


「……できたよ。これが今回の私の『作品』だ」


 そう言ったっきり、椅子に腰を下ろしてうなだれて沈黙してしまう。


 ……これまでにたくさんの『作品』を見てきたけど、今回は特にひどく損壊していた。他ならぬ無花果さんの手によって、だ。


 それは、死体のより深くからさらけ出さなければならないものがあったからだった。一度根底から壊さなければ、表現すべきものは姿を現さない。


 自分の心臓を食べている、死体。


 とびっきりのごちそうのように飾られた皿から、おばあちゃんはおのれのこころを頬ばろうとしている。


 しかし、その足元は食べたものを消化するはずのハラワタにがんじがらめにされていた。『食』の呪縛にとらわれて、おばあちゃんはどこにも行けなかった。


 それはあるいは、ボケたおじいちゃんを置いて先に逝ってしまう未練だったのかもしれない。


 そんな足枷に縛られながらも、おばあちゃんの背には羽が生えた。『鳥みたいに自由になりたい』という願いを、おじいちゃんはたしかに叶えたのだ。


 呪縛から解き放たれたおばあちゃんは、死んで自由になった。


 しかし、そのたましいはずっと覚えているのだ。


 文字通りハートをつかんで離さなかった、いや、ハートそのものになっていたおじいちゃんの料理の味を。


 だからこそ、死んでいるというのにこんなにもおいしそうに自分の心臓を食べようとしている。おじいちゃんという存在で満たされたハートは、おばあちゃんにとってなによりのご馳走なのだ。


 呪いじみた繰り返しの日常は、もしかしたら本当は、おじいちゃんの祈りだったのかもしれない。


 頭がボケてしまったおじいちゃんには、もう他にできることは少ない。そしてふたりの年齢ならば、いつこの日常が終りを告げてもおかしくはない。


 だから、おじいちゃんはできることをやった。


 偏執狂じみた愚直さで、繰り返した。


 ふたりで過ごす日常を、必死に繋ぎ止めようと。


 結果的にそれが呪縛となったとしても、おじいちゃんは祈り続けた。止めてしまったが最後、その途端に大切な生活が崩れ去ってしまう、そんな強迫観念にとらわれていたのかもしれない。


 朝昼晩、毎日毎週毎月毎年、十年間もずっと、繰り返してきた。


 それでも付き合い続けたのは、おばあちゃんがそこにおじいちゃんの祈りを感じ取ったからだ。


 ずっとふたりでいよう。


 この食事が続く限り、ずっと。


 そんな祈りに満たされたハートを、おばあちゃんは今、至上の美味のように食べている。『おいしいですよ』と声が聞こえてきそうだ。


 ……呪いのように繰り返されてきた『食べる』という行為の繰り返しは、祈りは、こうして昇華された。


 おじいちゃんはおばあちゃんを『鳥葬』することによって『祈りの呪縛』から解き放ち、自由にした。


 もうふたりで食卓を囲むことはないと、悟ったのだ。


 だから、もう繰り返しは終わりだ。


 呪いじみた祈りの終着点が、あの『鳥葬』だったのだ。


 ……深く『作品』についての理解をめぐらせながら、僕はシャッターを切り続けた。無花果さんがこれほどまでに死体をひどく損壊した理由も、よくわかる。


 おじいちゃんの祈りは、もうおばあちゃんのからだの、こころの奥深くまで染み込んでしまっていて、臓腑を掻き出しでもしない限り表現しきれなかった。


 しかし、それは『死』を冒涜する行為ではない。


 無花果さんは『死』を蔑むことも、称えることもしない。


 ただあるがままに喰らい、咀嚼し、飲み込み、消化し、『作品』として排泄するだけだ。


 その結果が、この『作品』だった。


 ゆえに、この『作品』はなによりも真実の『光』を宿している。


 その『光』を逃してしまわないように、僕は無我夢中でシャッターを切り続けた。


 魔女の『庭』の『記録者』として、目を逸らしてはいけない。それがどんな痛みをはらんだ『光』だったとしても、向き合って認めなければならない。


 無花果さんが『死体装飾家』としての使命を果たしたように、僕も僕の使命を果たそう。


 そうして、僕はしばらくの間、なにもかも忘れて『光』をフィルムに焼き付けるのだった。

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