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№16 祈りと呪いについて

 フィルムが尽きても、しばらくの間気づかずにシャッターを切っていた。空のシャッター音でようやく我に返る。


 全力疾走をしたあとのように、からだが火照っていた。おじいちゃんも無花果さんもとうにいなくなっていて、『アトリエ』には僕ひとりだ。


 ……シャワーを浴びたかった。


 この火照りを鎮めるために、まとわりついた死臭を拭うために。


 カメラを手に『アトリエ』を出た僕を、配信をしていた所長が見留めた。


「おつかれー」


「……お疲れ様です」


 小さく頭を下げてカメラを置くと、どっと疲れが出てくる。いろいろなことがありすぎた。


「民生委員ちゃんと話したよー」


「……おじいちゃんのことは、なんて?」


 尋ねると、所長は頬をかきながら、


「このまま施設に移るらしいねー。もうひとりきりじゃ生きていけないからねー。三笠木くんに色々と手続きを頼んで、連れて帰ったよー」


「……そうですか」


 落ち着くところに落ち着いたらしくて、少しほっとする。


 そのまま、僕はシャワールームへ向かった。


 脱衣所で死臭の染み付いた服を脱ぎ、洗濯機に放り込む。シャワールームに入って、ざ、と頭からぬるいお湯をかぶった。


 からだじゅうを泡まみれにしながら考えるのは、祈りと呪いについてのことだった。


 ……結局、おじいちゃんが延々と繰り返していたのは、呪いではなく祈りだった。


 じゃあ、呪いと祈りの違いってなんだ?


 どちらも同じく、執着と情念によって構成されている、ひとつの『愛』の形だ。


 実は、両者には違いなんてないのかもしれない。その違いは生者が判断することで、死者にとっては同じこと。


 けど今回、僕は呪いが祈りに変わる瞬間を目の当たりにした。このふたつには明確な違いがある。


 そこに生者の希望が託されているかどうか、その一点が唯一にして絶対の違いだった。


 そこにぎりぎりのボーダーラインがあるように思えた。


 希望を託して願った瞬間、呪いは祈りとなる。


 祈りとは、生者のための叫びだ。『生きている』という主張だ。


 たしかに、死者にとってはどちらであろうとも変わらないかもしれない。けど、生者にとってはその違いこそが『生きていく』ために必要だ。


 最初、僕はおじいちゃんの繰り返しを呪いだと思っていた。死してなおおばあちゃんをいましめ続ける呪縛だと。


 しかし、そこにはたしかな希望が、願いがあった。


 おばあちゃんを失ったおじいちゃんが『生きていく』ために、その繰り返しは必要だった。今日を明日へと繋いでいくための願いだ。


 その想いがあらわになった瞬間、僕の中で呪いは祈りに変わった。


 装飾されたおばあちゃんに向かって、泣きながら手を合わせるおじいちゃんの残像が脳裏に浮かぶ。


 あれは、まぎれもなく祈りだった。


 無花果さんの『作品』によって、呪いは祈りへと昇華された。死者を縛り付けるものではなく、生者が前に進み続けるための祈りへ。


 呪いは、繋ぎ止めるためのもの。


 祈りは、立ち止まらないためのもの。


 だから、ひとは明日のために祈り続ける。


 ……考えてみれば、無花果さんの『作品』だってそうだ。あれは『魔女』の呪いであり、祈りだ。『死』を忘れないように想いながらも、『生』のためにひとつのピリオドを打つ行為。


 だからこそ、春原無花果は『魔女』なんだ。


 他人の『死』を喰らいながら、『生』に希望を繋ぐ『魔女』だ。


 それゆえ、無花果さんの『作品』には、呪いと祈りの両方が詰まっていた。


 引き止めるちからと、背中を押すちから。


 その相反するふたつが同居しているからこそ、『作品』はあんな風に暴力的なまでにこころに訴えかけてくるのだ。


 ……こんなことを無花果さんに話したら、どんな顔をするんだろうか。


 と言っても、僕の見解なんて話すつもりはない。無花果さんにとっては、そんな話してもしなくても作り上げるものになんの影響ももたらさないからだ。


 きっと、無花果さんは無意識にやっている。


 本能的なエロスと、理性的なタナトスの間に立って、絶妙なタイトロープをしながら『創作活動』をおこなっている。


 少しでもバランスを崩してしまったら、真っ逆さまに堕ちていく。


 ……改めて、危うい。


 そんなことを考えて、僕は頭からシャワーを浴びて泡を流した。死臭を含んだ泡が、渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく。


 シャワーから上がってからだを拭くと、置いてあった予備の服に着替えた。肩にのしかかるような重さはもう、消えていた。


 シャワールームから出てくるなり、フルスイング気味の笑みを浮かべる無花果さんと対面する。


 その手には、うぃんうぃんと動く極太のバイブが握られていた。


「紹介するよ! 小生の3代目ハンディ彼氏だよ!」


「紹介しないでください未来永劫関わることはありませんから」


 たしかに『彼氏』と言えば『彼氏』なんだろうけど、出し抜けに紹介されても困る。というか、頼むから未成年にそんなものを見せつけないでくれ。


「ていうか、なんでデコってるんですか?」


 ぴかぴか光りながらうねるバイブは、ストーンやなんやらで派手にデコられている。一昔前の女子高生のスマホみたいだ。


 デコった張本人である無花果さんは誇らしげに胸を張って、


「乙女のコダワリというやつさ!」


「乙女は極太バイブを見せびらかしたりしません」


「ええ!? 世の中の乙女の大半は絶対にセルフプレジャーしてるよ!? むしろ乙女だからこそだよ!? その辺がわかってないから君は……」


「童貞で結構です」


「あー! 開き直りやがった! かわいくねえ!」


「そんなわかりやすくかわいい青少年だと思われたら心外ですね」


「君は草食系なんて生易しいもんじゃない! もはや悟リストだね! Z世代だね!」


「これが最近のワカモノってやつですよ、オバサン」 


「くきいいいいいいいい! このクソガキ! いいかい、乙女に恥をかかせたんだ、もう二度と誘ってやんないからね!」


 無花果さんはデコられたバイブを手に、ぷりぷりと怒りながら僕の前から姿を消した。


 ……まったく、この痴女め……いつかセクハラで訴えてやろう。


 そう考えつつも、僕の口元には苦笑いが浮かんでいた。


 今回の旅では、無花果さんの新しい一面も知れた。


 ただのニンゲンとしての、『生きている』動物としての無花果さん。


 けど、そんなエロスをむさぼる無花果さんの手を、僕は払い除けた。


 そんな単純な生き方をしないでくれ、もっともっと、『モンスター』として苦しんで足掻いて抗ってくれ。


 そう願ってしまったのだ。


 ……もしかしたら、それも祈りのひとつなのかもしれない。いや、これこそ呪いか……


 これからも『魔女』である無花果さんを『記録』していきたいと思うことは、果たして『生』のためのものなのか、『死』を想うものなのか。


 それは、今の僕にはわからない。


 少なくとも、僕はニンゲンとしての無花果さんも、『モンスター』としての無花果さんも肯定している。


 ただ、ケダモノみたいに単純に生きていくことに手を貸すつもりはなかった。いっしょに堕ちるつもりはなかった。


 なにせ、僕たちは対等な『相棒』だ。『共犯者』だ。


 だから、決して甘やかしてはならない。


 ……ラクに死ねると思うなよ、『魔女』。


 そうやって苦しみもがいて『生きて』、『死ね』。


 その死に様こそが、僕がなによりも撮りたいものだ。


 この『庭』の『記録者』として、フィルムに焼き付けるに足る真実の『光』だ。


 その代わり、絶対に目を逸らさず、終わりまで付き合おう。幕切れが訪れるそのときまで、僕だけは無花果さんのそばにいて、そのすべてを『記録』する。


 しっかりと焼き付けて、絶対に忘れない。


 ……いよいよ、呪いじみてきたな。


 生乾きの頭をかきながら苦笑して、僕は冷蔵庫からスポーツドリンクのボトルを取り出し、全部をまとめて飲み干すのだった。

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