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№17 食べて、生きる

 しばらくすると、いつものラーメン屋からの出前が届いた。小鳥さんが注文してくれたとんこつラーメンだ。


 もう恒例になった五人前のとんこつラーメンを受け取ると、すでに席についている面々に配膳していく。小鳥さんの『巣』にもひとつ。


 全員に行き渡ったところで、所長がにこにこと音頭を取った。


「みんな、今回もお疲れ様ー。あ、それとねいちじくちゃんー、旅費は経費では落ちないからねー」


「ええ!? なにゆえ!?」


「あなたの温泉旅行は業務には関係していません」


「死体見つけてきたじゃんんんんん!!」


「宿に一泊するだけの必然性は、私には感じられませんでした」


「これだから人工無能は! あの旅は『創作活動』のために必要不可欠で……!」


「まあまあ、いちじくちゃんー。お金腐るほどあるんだから、別にいいじゃないー」


「良くない! 小生このスカしたクソメガネから旅費ぶんどるのをこころ待ちにしていたのに!」


「私はあなたの請求を却下します」


「ねえなんでこのポンコツAIがうちの経理担当してんの!? おかしくないかい!?」


「あははー、大丈夫、おかしいのはいちじくちゃんの頭の方だからー」


「なんも大丈夫じゃねえよ!」


「……あの、ラーメン伸びますよ?」


 今ここで口ゲンカを始められてしまっては、せっかくのラーメンが台無しだ。


 僕の言葉に、ようやくみんなが言葉の矛先を収めた。


「まあ、旅費のことは置いといて、とりあえず食べよっかー。じゃあみんな、手を合わせてー」


『いただきます』


 箸を取った面々が、そろって口にする。


 そして、猛然ととんこつラーメンをすすり始めた。


 湯気の立つラーメンは熱々で、ハイカロリーが胃にのしかかる。ジャンクな化学調味料と過剰すぎる塩っけが、ぴりぴりと舌を刺激した。


 その刺激すらも、今は快感に感じられる。


 夢中になって麺をすすっていると、さっそくいつもの口ゲンカが始まった。


「ったく、このヤボテンには情緒ってもんがわかってないね! 文豪がなぜ温泉地に逗留するのか、考えたことはないのか!?」


「それは作業効率を上げるためです」


「ちっげーよ! 温泉でしか得られない養分ってのがあるんだよ!」


「つまり、それはあなたがサボタージュをするための弁明です」


「わかってねええええ!! 小生、別にサボってないし! てめえこそずっと事務所のパソコンに向かってエロい言葉を検索ワードにぶち込んでたんだろうが!?」


「それは事実無根の誹謗中傷です。私は弁護士を準備することも辞しません」


「おう、やろうってのか!? 法廷で争うよりも先にこぶしで語ってやんよ! 表出ろ!」


「暴力によって問題を解決しようとするのはあなたの悪い癖です」


「はっはー! 肉体言語はなによりの世界共通語なのだよ!」


「またまたーそんなこと言ってー。いちじくちゃん、本当はまひろくんと旅行したかっただけなんじゃないのー?」


「その通りでございます!」


「あっさり認めないでくださいよ。このままじゃ僕まで濡れ衣を着せられるじゃないですか。怒られるのは無花果さんひとりで充分です、僕は関係ありません」


「裏切りやがったなこのクソガキ!?」


「ひとを逆レイプしようとしておいてその言い草ですか?」


「うわー、やっちゃったかーいちじくちゃんー。僕正直ドン引きだよー」


「未遂ゆえ無罪!」


「あなたは自分が故意犯であることは認めるのですね?」


「はい、今の証言なーし! ノーカン、ノーカンだ!」


「セクハラ被害者として声を上げてもいいんですけど?」


「あちゃー、これは言い逃れできないよー、いちじくちゃんー?」


「どいつもこいつも小生を悪者にしようとして! 小生なんも悪くないもん! これは陰謀でござるよ!」


「あなたは自分の頭にアルミホイルを巻くタイプの危険人物ですか?」


「他にどういうタイプの危険人物がいるってんだよ!?」


「他には年中私生活を生配信しているタイプの危険人物もいます」


「えー、僕ー? 人畜無害じゃんー、ねー視聴者のみなさまー?」


「あなたは逐一視聴者の反応を求めるべきではありません」


「そーだよそーだよ! 所長が配信やめねーから小生常に誘拐の危機に晒されてるってのに!」


「まあまあー、そのために三笠木くんがいるんだしねー」


「私の仕事を増やさないでください」


「小生の気苦労も考えておくれよ! 特にこんな壊れかけたレディオみたいなマシンに助けられるという気苦労を!」


「それは三笠木くんに突っかかるいちじくちゃんが悪いよー」


「だってこいついけ好かないんだもん!」


「私もあなたのことを好みません」


「てめえに好かれようなんてこれっぽっちも思ってねえから安心して嫌ってろバーカ! バーカ!!」


「語彙力が小学生になってますよ、無花果さん」


「でえじょうぶだ! 小生、永遠の小四だから!」


「不安しかないんですけど、それは」


「あなたには自覚が足りません。自分が世界的なアーティストであるという自覚が。あなたは相応の言動を学ぶべきです」


「知ったこっちゃねえや! おファックですわ!」


「お嬢様っぽく言ってもF言葉はF言葉だからねー。連発するならピー音入れなきゃ」


「追加して、モザイクも入れるべきです」


「もっと言うなら、そもそも無花果さんという存在自体が配信に写っちゃいけないシロモノですよね」


「ひとを歩く公然わいせつ罪みたいに言いやがって!」


「事実はその通りです」


「っていうか、強姦罪に問えませんか?」


「ったく、君って男は逆レイプだ強姦だと! いつまで根に持つつもりだい!?」


「たぶん死ぬまで」


「小生だってね! 君に膝蹴り入れられたときは内蔵が口から飛び出すかと思ったんだからね!」


「抵抗くらいさせてくださいよ」


「うわー、いちじくちゃんそこまで拒絶されたんだー」


「そうだよ所長! 乙女の求愛をはねのけやがったんだよこのクソガキは!」


「その行動が乙女じゃないからはねのけたんですけど」


「被害者として、それは当然の抵抗です」


「ですよね」


「あははー、見下げ果てたよー、いちじくちゃんー」


「なんかみんな、いつになく小生に対してのアタリがきつくない!? 小生なんか悪いことした!?」


「僕を犯そうとしましたね」


「そして、あなたはそのための旅行を経費で落とそうとしました」


「おやおやー、これは満場一致でギルティだねー」


「だからね! 小生は……!」


 わいのわいのといつもの乱雑な会話が流れていく。最近では僕もその輪に加わることが多くなった。


 麺を食べ終えて、脂がぎとぎとに浮いたスープを飲もうとどんぶりを傾ける。


 ……ふと、無花果さんに聞いてみたくなった。


「……うまいか、無花果さん?」


 おじいちゃんの言葉を借りた問いかけに、無花果さんはそれと気づいていないようだった。


 ずるりと麺をすすり上げ、満面の笑みで返答する。


「うん、サイコー!」


「……そうですか、よかったですね」


 苦笑いしながら、僕はまたおじいちゃんにならった。


 食べることは、生きることだ。


 それが『服薬』であろうと、『食事』であろうと、いのちを繋ぐ行為に変わりはない。


 どうか、腹いっぱい食べてくれ。


 そして、明日もまた生きてくれ。


 そうやって呪いながら、あるいは祈りながら、僕はとんこつラーメンのスープを飲み干す。


 全部平らげたところで、一息つく。


 それから、まだまだ言い争いを続けている無花果さんたちの様子を眺めて、ニンゲンとしての僕も、同じ『モンスター』としての僕も、おなかいっぱいに満たされていく。


 ……こんな風にして、僕は今日もまた、この『庭』に『食われて』いくのだった。

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