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第7章 Fourteen-Sick

№18 ニンゲンの『鳴き声』

 とんこつラーメンを食べ終えて、僕は写真を現像しに暗室に向かった。


 しばらくこもってから、出来上がった写真を抱えて事務所に戻ってくると、そこにはさっそく無花果さんが待ち構えている。


「どれどれ」


 写真の山から一枚かすめ取ると、しげしげと眺める。


 そして満面の笑みで、


「うん、花丸! これはたしかに、君がフィルムに焼き付けた真実の『光』だ! まごうことなき君の『作品』だよ!」


「……ありがとうございます」


「まだまだ荒削りだけど、光るものはある。なにより、表現や主張がある。小生、そういう君の『作品』、だあいすきだよ!」


 ……なんだか、こうも手放しでよろこばれると照れるな……


「それにしても、今回はいつもの『創作活動』とは雰囲気が違いましたね」


 さりげなく話題を変える。


 現場を見に行きたがったのだって初めてだし、旅行までして……そして、出来上がった『作品』だって、いつもの激烈な暴力とは少し違っているように見えた。


 無花果さんは小さく苦笑して、


「小生なりのリスペクトだよ」


「リスペクト?」


 聞き返すと、無花果さんはうなずいて、


「うん。小生、結婚には微塵も夢見てないけど、あんな風に相手が壊れても寄り添い続けられる覚悟と愛には敬意を表するよ」


 ……意外だった。


 ニンゲンとは隔たったところにいる『モンスター』にとって、結婚なんて理解できないことだと思っていた。


 けど、無花果さんはあの夫婦のきずなは尊敬すべきだと考えている。エロスもタナトスも超えたところにある愛というものについて、思いを馳せているのだ。


 壊れても寄り添い続ける、か……


 それは、愛とは違う執着や希望なのかもしれない。呪いや祈りが届く先にあるもの。


 でも、そういうものを全部ひっくるめて『愛』と呼ぶんだとしたら、きっとそうなんだろう。妙に腑に落ちる。


「……『愛』だなんて、らしくないじゃないですか」


「そうかい?」


「安心してください。無花果さんと結婚したいだなんて驚天動地の変態はこの世に存在しませんから」


「なにそれ!?」


 冗談交じりに告げた言葉に、無花果さんがすっとんきょうな非難の声を上げた。


「……君、今回はやたらと小生につっかかるじゃないか」


「そりゃあそうですよ。逆レイプされかけたんですから」


「まーたそれか! 小生だって君に膝蹴りされたんだからね! 暴行という点には変わりないよ!」


「わかりましたよ……お互い、今回のことは喧嘩両成敗ってことで、水に流しましょう」


「ぐぬぬ……納得がいかぬが……!」


 いつまでも逆レイパー呼ばわりされるのはイヤらしく、無花果さんは渋々納得した。


「ともかく、小生今回は疲れたよ!」


 ネコ科の大型肉食獣のように伸びをして、無花果さんは天井を仰いだ。


「ニンゲンって、情動の生き物なんだなって再確認したからね! どれだけかしこぶっても、結局は動物なのだよ! 食ってセックスして寝る、そうやって生きていくのだね!」


「無花果さんだってそうですよ?」


「君もね!」


 そうだ、僕たちはお互いにただのニンゲンであり、『モンスター』でもあるんだ。


 すっかりおなじみになった『共犯者』の笑みを交わす。


 あの夜のことは、僕たちしか知らない。


 動物としての無花果さんと、『死体装飾家』としての無花果さん。


 その両方を、僕だけが知っている。


「……そういえば、あの晩、寝る前になにか話してませんでしたか?」


 思い出したことを口にすると、一瞬沈黙があった。


 それから無花果さんはいつもの調子で、


「うーん、覚えてないなあ! 寝言じゃない?」


 その『いつも通りすぎる』反応で、僕はあれは夢ではなかったのだと確信する。


 お茶を濁されているということは、僕はまだまだ『部外者』だということだ。きちんと話してくれる気はないらしい。


 けど、その片鱗を見せてくれたということは、少しずつだけど『身内』として信頼し始めてくれているということだ。


 ……それに、僕もまだ受け止める準備ができていない。


 今僕には、この真実を消化するだけの器がなかった。


 お互い、もう少し時間が必要だった。


 時が来れば、すべてを話してもらえるだろう。


 最初の『作品』である、無花果さんの父親のことを。


 無花果さんが一度死んだ日のことを。


 その後も写真についてあれこれ褒めてから、無花果さんは帰り支度をして帰ってしまった。『疲れた』と言っていたから、もしかしたらまたしばらく休むのかもしれない。それも仕方のないことだ。


 僕も写真をおじいちゃんに送る分と保管しておく分にわけて、キャビネットに丁寧にしまう。このキャビネットもだんだんいっぱいになってきた。そろそろ新しいものを買ってもらいたい。……経費で。


 そうして支度を整えると、僕は配信をしている所長と手だけの小鳥さんに挨拶をして事務所を辞した。


 夏が近づく香りがする帰り道、いろいろなことを考える。


 呪いは祈りに変わった。


 けど、もちろんこれでハッピーエンドというわけにはいかない。


 生きている限り、『めでたしめでたし』では終われないのだから。


 それゆえに、ひとは呪い、祈る。生きる希望を託して、呪いとも祈りともつかない叫び声を上げ続ける。


 ニンゲンという動物の『鳴き声』とは、そういうものだ。生きるためには、声を上げなければならない。でなければ、物言わぬ死体と同じだ。


 そんな気味が悪い動物として、僕たちは生きていく。


 同時に、もっと胸糞悪い『モンスター』として、いのちを繋いでいく。


 そこにエロスという光がある限り、タナトスという影は絶対に存在する。そんなタナトスに意味を見出すのが、僕たち『モンスター』の生き方だ。


 動物として忌避すべき『死』が、僕たちの栄養素。喰らい、消化し、排泄する。そうしなければ生きていけない。


 どっちつかずの僕たちは、しかしどちらかに堕ちることは許されない。その中間地点に立ち続けることしかでいないのだ。


 だからこそ、僕たちは『表現者』たりえる。


 魔女の『庭』に憩うことを許されるのだ。


 ……そう考えると、無花果さんだけでなく、僕も危ないタイトロープをしているのかもしれない。


 気を抜けば、深淵の奈落まで真っ逆さまだ。


 それでも、僕は無花果さんの隣に立ち続けるだろう。そのすべてを『記録』し続けるだろう。


 それが、僕の『作品』……フィルムに焼き付けるべき真実の『光』だと、信じたのだから。


 ……僕もたいがいしつこい男だ。


 しつこくて、つまんなくて、めんどくさい。


 無花果さんの言うことも、半分くらいは当たっている。


 こんな男が、マトモな恋愛などできるはずもない。


 ……やっぱり、あの誘いに乗っておくべきだったか。


 いやいや、やめとけ、日下部まひろ。


 一度堕ちたが最後、あとはもう泥沼だぞ。


 ちらりと覗いた動物としての本能に、慌てて蓋をする。


 ……そうだ、僕は無花果さんの『共犯者』である『モンスター』だ。そう簡単に堕ちてやるものか。


 そんなに『やさしい』ニンゲンだと思ったら、大間違いだ。


「……なんか、おなかすいてきちゃったな」


 ぽつり、つぶやく。あんなにとんこつラーメンをかっこんだというのに、もう小腹がすいてきた。


 帰りにコンビニに寄って、なにか買って帰るかな。


 腹が減ったら食べればいい。


 そうやって、腹いっぱいで生きていけばいい。


 食べることは、明日へ希望を繋ぐ祈りだ。


 動物として食べ物を喰らい、『モンスター』として他人の『死』を喰らい、幕切れまで踊り続ける。


 それが、僕たち『Grave Dancers』がつむぎ続ける、呪いであり、祈りなのだから。

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