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№1 お誘い

「あっしたー」


 年中代わり映えしない、やる気のない店員に見送られてコンビニを出る。あの店員、いつもいるけど、もしかして店長なのか?


 お使いに出た僕は、外に出るなり日差しに目を細めた。そろそろ紫外線が暴力を帯びてくる季節だ。去年の真夏の太陽の圧力を思い出して、今から気が滅入る。


 うっすらと汗をかきながら事務所のあるオンボロ雑居ビルの階段を上がり、ドアを開けた。


「戻りました」


「おかえりー、まひろくんー」


「まっひろくーん! 小生のチョコバットを早く出したまえ! あとお疲れ様のハグをしてあげるよ!」


 帰ってくるなり、無花果さんにまとわりつかれた。なんの有難みもなく剥がして捨てると、所長に頼まれていた激烈メンソールの電子タバコを渡す。


「ありがとねー」


「いえ、仕事なんで」


 そのままその場を辞そうとしていた僕のシャツの裾を、迷子の子供のように所長が引き止めた。


「……なんですか?」


 にこにことシャツの裾をつかんで離さない所長の顔は、なにか企んでいるようなそれだった。


「あのねーまひろくんー、個展開いてみないー?」


「個展?」


 降って湧いた話に目を丸くしていると、所長は続けざまに言った。


「そう、まひろくんの個展ー。いやねー、知り合いの画廊からなにか出してくれって言われててさー。けど絶対いちじくちゃんの『作品』目当てじゃないー?」


「そりゃあそうですよ、世界的なアーティストなんですから」


「けどさー、とてもじゃないけど個展なんて開けるシロモノじゃないじゃんー? けど個展開けって言ってくるしさー、その思惑に乗るのも癪じゃないー?」


 ……子供だ。


 ひとの言うことに反発したがる子供だ。


 じっと見つめていると、所長は人差し指を僕に突きつけてきた。


「そこで、君の出番だよー」


「僕の?」


「そうそうー。うちのアーティストはもうひとりいるんだよーって言ったら、渋々承諾してくれてねー。そろそろ君の写真も溜まってきたでしょー?」


「けど、僕の『作品』、ばっちり死体写ってますよ?」


「そうじゃない写真もあるでしょー。今回はあくまでいちじくちゃんの名前は伏せて、『君の』個展として開きたくてさー。ポートレートとか風景写真とかあるでしょー?」


「……まあ、ありますけど……」


「じゃあ、決まりー。まひろくんの『作品』の個展開催ー」


 わー、ぱちぱち、と所長が呑気に手を叩く。


 なんだか勝手に話が進んでいるような気がするんだけど……?


「なんだい、個展を開くのかい、まひろくん!」


「ええ、まあ、そういう話になってるみたいです」


 話を聞きつけて無花果さんが寄ってきた。こと芸術に関しては、僕なんて無花果さんの足元にも及ばない。『作品』の完成度はもちろんのこと、僕にはまったく知名度がなかった。


 そういう意味では、無花果さんは大先輩なのだ。なにか有意義な話が聞けるかもしれない。


「ふふん、緊張するかい?」


「そりゃあしますよ」


「まあ、初日にひとが入らなくてもがっかりしないことだ! 勝負は最終日、今のうちに挨拶用の名刺を用意しておきたまえ! なんかインパクトあるやつ!」


「……名刺……」


 今までの人生の中で、名刺なんて作ったことがなかった。しかし、無花果さんの言う通り、目を留めてくれたひとに挨拶するためには名刺が必要だった。


「その辺は三笠木くんに任せとけばいいよー」


「えー、小生が作りたい!」


「いちじくちゃんはダメー。どうせ『童帝フォトグラファー』とか載せるんでしょー?」


「なにゆえバレた!?」


「……載せるつもりだったんですね」


「インパクトは重要じゃないか!」


「そんなインパクトならない方がマシです」


 斬って捨てると、無花果さんはとぼとぼとソファに向かって去っていった。


 三笠木さんに名刺の手配をお願いして、暗室に向かう。


 キャビネットを開くと、そこには何枚もの写真があった。そのほとんどが『創作活動』の過程や『作品』を撮ったものだ。


 でも、その中には僕が撮り溜めてきたポートレートや風景写真もあった。ささやかだけど、無花果さんとは関係のない僕の『作品』だ。


 この中から、個展に出せそうなものを選んでみよう。


 ……なんだか、わくわくしてきた。


 なにせ初めての個展だ、しかも僕だけの。


 今までは無花果さん専属の『記録者』としてカメラを構えていたけど、とうとう僕自身の『作品』がおおやけの目に晒されることになる。


 どれくらいたくさんのひとが見てくれるだろうか?


 どんな評価をもらえるだろうか?


 ……そう考えていると、わくわくと同時に不安が押し寄せてきた。


 もしかしたら、だれも見に来ないかもしれない。


 こっぴどく酷評されるかもしれない。


 僕の『作品』が全否定されるかもしれないのだ。


 それは『表現者』としては当然の感情だった。


 届けたい、できるだけ多くのひとに認められたい。自分にはたしかにそれだけの能力があると実感したい。世界に訴えかけているという手応えがほしい。


 ……僕にも、そんな承認欲求があった。


 ひとに認められるために撮っているつもりはないけど、それが表現である以上、どうしてもひとの目には留まりたい。だれかの感情を揺さぶっているという確信がほしい。


 僕がここに存在しているのだと、認識してもらいたい。


 無花果さんのように確固たる『軸』のあるひとなら、他人の評価なんて気にしないだろう。だれになにを言われようとも、自分のやりたいようにやっていける。


 だけど、今の僕にはまだそこまで強固な『軸』はない。


 それゆえ、どうしても他者の目に頼ってしまうのだ。


 ……弱い。


 ニンゲンとしても、『表現者』としても、僕はまだまだ弱い。たしかに無花果さんは僕の腕を認めてくれているけど、それだけじゃ足りない。


 このままこの道を歩き続けていいものか、不安になってしまう。


 だから、評価がほしい。肯定がほしい。


 それは紛れもなく、弱者の承認欲求だった。


 ……あまり見たくなかった自分の側面に気づいてしまって、少し自己嫌悪してしまう。


 こんなんじゃ、無花果さんの『相棒』だなんて胸を張って言えない。


 けど、やっぱり評価はほしいのだ。


 自分がどれだけのちからを持っているのか、その指標が。


「……ただの腕試しだ」


 ぽつり、言い訳のようにつぶやく。


 そうだ、そんなに気負うことはない。あくまでもこれは腕試し、なんなら運試しだ。


 自分を良く見せようなんて思うな。


 ありのままをさらけ出せば、それでいい。


 評価はあとからついてくるものだぞ、日下部まひろ。


 ……何点か気に入っている写真を持って事務所に戻り、無花果さんや所長と見繕う。あれがいいこれがいいと言い合いながら、徐々に出展作品が絞られていった。


 最終的に個展に出す『作品』が決まって、まずはひと段落だ。あとは画廊のあるじに挨拶に行って、その『作品』を見てもらう。ゴーサインが出たら僕の個展が開催される。


 それだけのことなのに、すでにどきどきが止まらない。


 果たして、僕の『作品』は認められるのだろうか?


 僕にはたしかなちからがあるのだろうか?


 ……なにもかもがこの個展で決まるとは思っていない。


 けど、ある意味で僕の写真家人生のマイルストーンになるはずだ。


 認められたい。けど、認められるための『作品』は撮りたくない。


 そんな相反した感情が胸の中で渦を巻く。


「……現像、どこにお願いしようかな」


 そう考える僕には、やっぱり少しでも『作品』を良く見せたいという欲求があった。


 できれば最高の状態で僕の『作品』のポテンシャルを発揮させたい。下駄を履かせようとは思わないけど、やっぱり中途半端な状態の『作品』は見せたくないのだ。


 自分の中にくすぶる承認欲求から必死で目を逸らしながら、僕は馴染みの写真店に電話をかけて、『作品』の現像をお願いするのだった。

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