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№2 『僕の』個展

 なんとか画廊のあるじにも挨拶を済ませて、僕の個展は無事開催の運びとなった。


 業者に頼んで『作品』を搬入してもらい、三笠木さんにも真っ当な名刺を用意してもらって、いよいよ本日個展が開かれる。


 おそるおそる会場に顔を出してみると、予想通りというか、予防線を張ってあった通りにというか、ひとはほとんどいなかった。


 いたとしても、道すがらふらりと立ち寄っただけの冷やかしや、画廊の関係者が顔を出しに来ただけだった。


 ……ああ、こんなもんか。


 初日を終えて、僕は自分でも驚くくらい落胆していた。


 認められたくて写真を撮っているわけじゃない。


 そう思っていたはずなのに、いざ認められないとなると途端にがっかりしてしまう。現金なものだ。


 自分の浅はかさに嫌気が差した。


 無花果さんは『初日はこんなもんだよ』と言ってくれたけど、明日以降どういう顔をして会場に座っていればいいのかわからなくなってしまった。


 開期は三日。それまでにひとが入るとは思わなかった。


 もういいや、とさえ考えてなかばふてくされていた。


 ……しかし、二日目に動きがあった。


 明らかに、昨日よりひとが増えている。


 昨日見てくれたひとが他のひとに声をかけてくれたのだろう、画廊はなかなかの賑わいを見せていた。


 中には僕に話しかけてくれるひともいて、とっかえつっかえ、この写真はこういうときに撮って……などと説明する場面もあった。


 関係者以外からの名刺ももらい、早速初めての名刺も使うことになった。


 ……手応えは、ある。


 俄然やる気がわいてきた。


 最終日の三日目、どれくらいひとが集まるだろう? 今日の倍くらい来てくれるだろうか?


 恥ずかしいことに、そんなことを考えていたら夜眠れなくなってしまった。我ながらなんと卑賤なことか。


 けど、やっぱり期待してしまう。もしかしたら、もしかしたらと。僕にはちからがあって、それが世界に届くんじゃないかと。


 そんなこんなで迎えた三日目。


 ……会場は満員御礼だった。


 思わず胸中でガッツポーズをする僕は、その日名刺を持って会場中を走り回った。あちこちから声をかけられて大忙しだ。うれしい悲鳴、というのはこういうことを言うのだろう。


 手当たり次第に名刺を配り、挨拶をして、『作品』についての解説をして、最敬礼で来場者を見送る。


 手応えがあった。


 ……けど、やっぱり無花果さんの名前はついて回った。


 関係者には『あの』春原無花果の専属カメラマンでしょ?と言われ、なぜ無花果さんの『作品』の写真を出展しないのかと聞かれる。正直、無花果さんの『作品』目当てにやって来たひとたちが大半だろう。


 僕だけのちからでは、こんなにひとは呼べない。


 今の僕は、無花果さんというネームバリューに底上げされているだけなのだと肝に銘じておかないといけない。


 でないと、勘違いして付け上がってしまう。


 ……でも、それでも。


 たくさんのひとが『いい写真ですね』と言ってくれた。


 僕の『作品』をもっと深く知ろうとしてくれた。


 僕の写真をコンテストに出してみないかという打診もあった。


 そう、『悪くない』。


 現時点での僕の『作品』には、おおむねそういう評価がつけられた。


 当然、悪い気はしない。


 僕にはちゃんとした腕があるのだと、他者が認めてくれたのだから。充分に写真家としてやっていけるというお墨付きをもらえた。


 そのおかげで、あんなに胸の内に深く根を張っていた不安はきれいさっぱりなくなっていた。


 なんだか、『ここにいてもいい』と許可されたような気分になった。


 僕もまた、ちゃんとしたいち『表現者』なのだ。僕の『作品』は、だれかになにかを伝えることができた。


 それで充分じゃないか。


 ……とは、思えない僕もいる。


 もっともっと、たくさんのひとに認められたい。


 もっともっと、世界に届けたい。


 承認欲求とは、無限に肥大していく化け物だ。一度認められても、次はより多くを望んでしまう。満足などできない、飢餓感や渇望じみた衝動。


 ……いけない。


 足るを知れ、日下部まひろ。


 なんとか自制しながらも、今もまた声をかけられて名刺を手に走り出す。


 雑誌の編集者だというサラリーマンに丁寧に挨拶をして、よろしくお願いしますと頭を下げた。


 そうしている間にも背後から呼び止められて、次の名刺を片手に向かう。


 忙しく立ち回っていると、ふとひとりの来場者に目が止まった。


 セーラー服を着た、高校生らしき少女だ。


 ずっと写真の前に立って動かない。


 その『作品』は、『創作活動』の前に祈りを捧げる無花果さんを撮ったものだった。さすがに『作品』の写真は出せないけど、祈る姿くらいなら、と候補に加えたものだ。僕も気に入っていたので、ぜひともその『作品』は出したかった。


 少女はその写真が気に入ったのだろうか、じいっと見つめてしばらく動かなかった。


 しかし、やがては他の来場者の波に押されてどこかに消えてしまう。


 ……そんなに気に入ってくれたなら、話をしたかったな。


 見えなくなってしまった少女の姿を記憶の片隅に留めておきながら、僕はまた呼びつけられて、名刺を持って駆け回る。


 いつしか、少女のことはすっかり忘れてしまっていた。


 たくさんのひとにぺこぺこ頭を下げて回っているうちに、やがて個展は終了した。


 関係者以外だれもいなくなった会場を眺めて、改めてどっと疲労感がこみあげてくる。


 けど、それは清々しい疲労感だった。


「やったねまひろくん、大成功じゃないか!」


「さっき名刺渡してたひと、けっこう有名な写真家さんだよー。まひろくんのことすごく褒めてたねー」


「まさか、写真だけでこんなにひとが集まるとは思いもしなかったですよ」


 画廊のオーナーもよろこんでくれている。


 なかなか実感がわかなかったけど、どうやら僕の個展は大成功のうちに終わったらしい。


 今夜になったら、きっとよろこびで叫び声を上げているのだろうけど、とりあえず今は疲れてしまった。


「……人生の中で初めてかもしれません、こんなにたくさんのひとに頭を下げたの……」


 ぐったりしながらそう告げると、その場にいた全員が大笑いした。


「君と来たらぺこぺこと、コメツキバッタのごとしだったね!」


「けどねー、こういうところからコネクションっていうのは生まれてくるからねー。今日もらった名刺、大切にしなよー?」


「もちろんです」


 しっかりとうなずき返してから、僕は撤収のための準備を始めた。


 また業者に運び出してもらって空になった会場を前に、僕はオーナーに改めて感謝を述べた。


 またいつでも個展開かせてください、とうれしい言葉をもらって、僕たちは事務所へと帰っていく。


「近々、お祝いしないとねー」


「『写真家・日下部まひろ』の大いなる船出だね! 漕ぎ出せっ、勝利の大海に……!」


「そんな大げさなものじゃないですよ」


「またまたー、スカしちゃってさあ! 夜になってごらん、飛び上がるほどうれしさが大爆発するからね!」


「いちじくちゃんのときはそれどころじゃなかったからねー、せめてまひろくんのお祝いだけでもさせてよー」


「……それなら……」


 渋々、というのも単なるポーズだ。本当は万歳三唱でもしたい気分だった。


 ともかく、僕はひとりの『表現者』として認められた。


 これからも写真を撮り続けていいのだ。この道は間違っていなかったという確信に、否が応にも胸が高鳴った。


 そうだ、大丈夫。


 僕は胸を張って『写真家です』と言える。


 いつかは芸術家としての無花果さんに並びたいとも思うけど、さすがにそこまでの思い上がりはすぐに打ち消した。


 今は、世界が僕を認識したことを実感しよう。


 ひとりの『表現者』としてこれ以上ない手応えを感じながら、僕の歩調は自然と軽くなっていくのだった。

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