個展から数日して、ようやく僕の中の熱狂が落ち着いてきたころだった。
宅配便の業者が事務所の扉を開いた。大きなダンボールを隣に置いている。どうやらクール便らしい。
受け取りサインをすると、宅配員は去っていった。
あとには大きな荷物が残された。
ちょうどひとひとり隠れられそうなダンボールだ。こんなに大きなクール便、なにがはいってるんだろう?
「まさかっ!? 小生に恨みを持つものが小包爆弾を送り付けてきたのか!? ええい、爆発物処理班を呼べぃ!」
「なんだろー、まひろくんのお祝いに頼んでたカニかなー?」
配信をしていた所長が、強烈なメンソールの香りを漂わせる電子タバコを吸いながらぺたぺたと便所サンダルを鳴らして歩み寄ってくる。
僕と無花果さん、所長で謎のダンボールを囲みながら、
「カニぃ? お祝いには肉だろう! カニではタンパク質が足らぬよ!」
「じゃあいちじくちゃんには食べさせてあげなーい」
「うそうそ! 小生カニもだあいすきさ! タラバ? タラバかい!?」
「そうだよー、タラバガニー。奮発したんだからねー」
「うっひょう! カニなんて何年ぶりだろう!? ほじほじしたい! カニほじほじしたい! カニホジッチ監督になりてえ!」
「……なにかありましたか? とても騒々しいです」
「三笠木くんもカニ、食べたいよねー?」
「私はどちらかというと食べたいです」
「てめえはその辺の雑草でも食っとけ! カニはやらん! 小生のものだ!」
「ひとりじめはよくないよー。今夜はみんなでカニパーティだよー」
「わーい! カニの宴だー! 早く開けてチルドしまっとこうぜ!」
「これはあなたへの小包爆弾の可能性があるのではないですか?」
「んなわけあるか! 爆弾だとしてもカニ爆弾だ! 磯の香りの小包爆弾だ! それなら小生、大歓迎だよ! はよはよ! その勇姿を拝ませておくれ!」
「そうだねー、この暑さだとほっとくと腐っちゃうから、早めにチルド入れとこうねー。入り切るかなー?」
「小生が開ける! 海鮮の玉手箱やー!」
そう宣言すると、無花果さんはバスの降車ボタンを押したがる子供のようにダンボールのガムテープを剥がし始めた。
まったく、カニひとつにこんなに大よろこびして。
とはいえ、名目上は僕の個展のお祝いだ。感謝して味わうことにしよう。
クリスマスの朝のアメリカンキッズさながらの乱雑さでダンボールを破壊した先には、発泡スチロールの箱があった。それも厳重に封がされている。
……あれ……?
自分の中に鳴ったアラートに、僕は思わず首を傾げた。
……これは……死臭……?
この『庭』に来てから、いやというほど嗅いだにおい。鼻がすっかり覚えてしまっている。
……いやいや。なんでこんなところで死体が出てくるんだ。きっとセンサーがバグったか、カニが腐りかけているかのどっちかだろう。
気のせいだ、気のせい。
それでもまとわりついてくるイヤな予感を無理やり振り切る。そうしている間にも、無花果さんは発泡スチロールのテープをすっかり解いてしまった。
あとは、蓋を開けるだけだ。
「はい、カニ爆弾、どーん!」
無花果さんがご機嫌で発泡スチロールを開封する。
しかし、そこに入っていたのはカニではなかった。
「…………え?」
僕の間の抜けた声だけが、事務所に落ちる。
同時に、僕は自分のセンサーが極めて正確だったことを思い知った。
……それは、たしかに死体だった。
ばらばらにされた四肢と、胴体、首。首についている顔は、冴えない中年男性のそれだった。口になにかを突っ込まれている。
それらがきっちりと密封パックされ、発泡スチロールの箱に詰め込まれていた。この厳重さなら、ほんのわずかな死臭に気づいたのが僕だけだったとしてもうなずける。
……フェイクではない。
今までさんざん見てきたものと同じ。
本物の、ニンゲンの死体だ。
……だれも、なにも言わなかった。
完全なる沈黙が、事務所に満ちている。
「な、なんで……!?」
絞り出すような僕の声音だけが、ノイズとなった。
どうして、こんなところに死体が?
というか、なんで宅配便で送り付けられてきた?
送り主は一体だれなんだ?
この死体はだれなんだ?
どこからやってきた?
どういう意図で死体を送ってきた?
僕たちにどうしろと?
死体を探し出すのが僕たちの仕事だろう?
なのに、どうして死体そのものが送られてきた?
頭の中が疑問符で埋め尽くされる。なにもかも、わけがわからなかった。
混乱の渦中に叩き落とされながらも、僕はまわりのみんなの表情を見回した。
……無表情だ。
だれもかれもが、表情を消して死体を見下ろしている。
声ひとつ上げない。
ただ、肌を刺すような緊張感があった。事務所全体の空気がぴりぴりと張り詰めている。
……どうして、驚いているのは僕ひとりだけなんだ?
みんな、カニが来たときのような『当然』として死体を見つめている。
いや、これは『必然』だ。
こうなることがわかっていたように、だれもなにも言わない。うろたえているのは僕だけだ。
空気だけが凍りつき、張り詰めている。
無花果さんは『魔女』の顔をしている。
三笠木さんは『最終兵器』の顔をしている。
所長は『観測者』の顔をしている。
きっと、小鳥さんもこの状況を理解している。
僕だけが、ただのニンゲンとしてこの異常事態に接している。
「……どうして……」
つい、そんな言葉が口からこぼれてしまった。言葉はせきを切り、奔流と化す。
「どうしてそんなに落ち着いてるんですか!? 死体ですよこれ!? だれかがだれかを殺して、僕たちに送り付けてきたんですよ!? なのに、どうして、」
「ぎゃあぎゃあとやかましい男だね、君も」
発泡スチロールの蓋を放り捨てた無花果さんが、静かな声で答えた。
「だってこれ、殺人事件じゃないですか! どう考えてもひとが殺されてるんですよ!? そうだ、警察! 八坂さんに連絡しなきゃ!」
「連絡してどうなるってんだい?」
「どう、って……事件じゃないですか! れっきとした殺人事件! は、はやく、」
「うーん、君もまだ、イマイチ『ここ』がどういう場所かわかってないみたいだねー」
電子タバコを吸い始めながら、所長がのんびりとした口調で告げた。無花果さんも、死体から目を逸らさずに、
「『ここ』をなんだとおもってるんだい?」
「……っ、探偵事務所で……『死体装飾家』の『庭』……」
「だったら、それらしく振る舞うべきじゃないかい?」
探偵事務所。
死体を使った『作品』を作るために用意された『魔女』の『庭』。
……それらしく、って言われても……
なおもみっともなく取り乱していると、三笠木さんがメガネの位置をわずかに直しながら、
「あなたは落ち着くべきです。深呼吸をしてください」
そうだ、僕は慌てすぎてる。この『庭』の『記録者』なら、もう少し事態を冷静に見つめなければならない。
吸って、吐いて。深い呼吸を繰り返しているうちに、次第に思考がクリアになってきた。
……そうだ、『ここ』はそういう場所だ。
生と死が交錯する、最前線。
なにが起こってもおかしくはない『魔女』の『庭』。
「落ち着いたかい?」
「……なんとか」
僕が答えると、無花果さんは小さく笑った。
「結構。だったら、早速この死体を開封していこうじゃないか」
「……はい」
まずはこの死体が何者か、どこのだれが送り付けてきたものか、そしてその意図を突き止めなくてはならない。
……間違いなく、これは『挑戦状』だ。
探偵・春原無花果に対しての、『死体装飾家』・春原無花果に対しての、そして『庭』に対しての。
だったら、受けて立とうじゃないか。
まだ怯懦の残るこころを叱咤しながら、僕は丁寧にパッキングされた死体の封を切るのだった。