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№4 虚無主義者からの挑戦状

 密封パックの封を切った途端、どっと死臭が広がった。紛れもなく、ひとが死んだときのにおいがする。慣れ親しんだ『死』の香りだ。


 クール便で運ばれてきたせいか、死体は冷えきっていた。凍ってはいないけど、常温で放置された死体の生ぬるさはなく、ただの物体のように冷たい。


 慎重にパックから取り出してみても、血も腐汁も垂れてこなかった。密封する前にそういったものをすべて処理してしまったのだろうか、あまりにも『清潔』すぎて逆に気味が悪い。


 しかし、死体は確実に腐敗を始めている。切断された四肢の断面からのぞく脂肪は淀んだ黄色に変色しており、肉の色は赤よりも黒が勝っていた。無理やりに折ったらしい骨も黄ばんでいて、ずたずたになった筋繊維がまとわりついている。


 ばらばらにされた死体の『パーツ』を、ひとつひとつ取り出していく。


 最終的に、手足と胴体、首がそろった。きちんとひとひとり分、過不足はない。すべて同一人物のものと見て間違いないだろう。


 取り出している最中にも気づいていたけど、切り離されているように見えた死体は、実はレースのリボンで繋ぎ合わされていた。少女趣味の白いリボンのところどころには血が滲み、それでもばらばらになった死体にきつく結び付けられている。


 一度ばらばらにして、そしてもう一度接続した。そんな痕跡が見られた。


 まるでマリオネットのように。


 そして、死体の首の部分。


 どこか冴えない中年男性の、苦悶に歪んだ死に顔だ。血走った眼球が飛び出し、こぼれそうになっている。血は綺麗に拭き取られ、死体特有の蝋人形のような青白さが目立った。作り物めいた見た目はやはり異様だ。


 大きく開いた死体の口には、おそらくは下腹部から切断されたのであろうペニスが突っ込まれていた。無理やりに押し切ったような断面からは海綿体が見え隠れしている。膨張しきったペニスで、死体の口はいっぱいになり、こわばった頬が膨らんでいた。


 ……人為的に手を加えられた、死体。


 間違いない。


 それは、明らかに『作品』の体裁を取っていた。


 この事務所に、『死体装飾家』に『作品』を送り付けてくる意味といえば、考えつくのはひとつだ。


「……『挑戦状』」


「そうだ、これは『模倣犯』からの『挑戦状』だよ」


 つぶやいた僕の言葉に、無花果さんが応じる。死体同様、ひどく冷たく冴え冴えとした声だった。


 その言葉を口にすると、事務所の緊張感が一気に高まる。『臨戦状態』と言っても過言ではないくらいの、胃が痛くなるような張り詰めた空気。


 ……『模倣犯』。


 無花果さんの『作品』に触発されただれかが、みずからも『作品』を作り、この『庭』に送り付けてきたのだ。


 それの意味するところは、すなわち『宣言』。


 この『模倣犯』は、無花果さんの他にも『死体装飾家』がいるのだと、僕たちに告げるためにこの『作品』を送付してきた。


「……見たまえ、ご丁寧にもお手紙まで入っているよ」


 発泡スチロールの箱に残っていた封筒を汚物のように指先でつまみ上げ、無花果さんがつぶやく。そして乱雑に手紙の封を破くと、ファンシーな猫のイラストが入った便箋に記された内容を読み上げ始めた。


「『私はとある虚無主義者。存在や物質に意味を見出ださないとある人間。私はあなたの『作品』に共鳴して、あなたの『弟子』となることを決意した。『弟子』として死を思い、そしてこの『作品』を作り上げた。この作品はきっとあなたに気に入ってもらえるはず。これを見てどう思いますか、春原無花果さん?』……だとよ」


 吐き捨てるように締めくくった無花果さんの一言で、『犯行声明文』は終わった。


 無花果さんの『弟子』を自称する『模倣犯』……虚無主義者。『作品』に触れ、それに情動のトリガーを引かれ、みずからも『作品』という銃弾を放った。


 ひとをひとり殺してまで、無花果さんのマネをして見せたのだ。


 こんなの自分にだってできる、上手にできたから感想をちょうだい、とばかりに。


「……小生に『挑戦状』とは、ずいぶんと生意気な『弟子』じゃないか」


 無花果さんは、同封されていた手紙を、ぐしゃ、と握りつぶした。


 そして、不敵に笑って見せる。


「死体で『ごっこ遊び』なんてしやがって。その思い上がり、絶対に暴いてやんよ」


 特徴的な犬歯をむき出しにして、売られたケンカを買うと宣言する無花果さん。


 ……単に怒っている、というわけではないような気がした。


 それにしては、覚悟が深すぎるように聞こえる。


 まるで、『模倣犯』を見つけ出すことが自分の使命であると言っているような。宣言には、そんな決意がにじみ出ていた。


 事務所のメンバーだって、いつもと違ってどこかおかしかった。


 しかし、どこがどう違うのかと聞かれるとはっきりとは言い表せない。言語化できない、肌が痛むほどの緊張感が事務所に満ちている。


 無花果さん同様、全員が悲壮なまでの覚悟をにじませている。


 それがこの『庭』のもうひとつの役割なのだと、だれもが自覚しているように見えた。


 ……僕を除いて。


 一体、なんだっていうんだ。


 こんなの、まるで……戦争じゃないか。


 敵を討つためにいのちをかける、ここにいるのは『庭』の兵士たちだ。ちゃちなブリキの兵隊とは違う、『死』と隣合わせの本物の兵士。


 その戦列に、僕も加わらなければならない。


 しかし、僕には今ひとつわからなかった。理解が追いついていなかった。


 まだこの『庭』は僕になにかを隠している。だとしたら、それを暴くこともまた、僕に課された使命だ。


 ……見極めなければ。


 ここに『記録者』として存在している以上、理解しなければならない。


 この『表現者』としての戦争の意味を。戦って、自分が相対しているものの正体を見破らなければ。


 そのために、みんなといっしょに『模倣犯』を追い、見つけ出す。


 ……『模倣犯』がなにを思って無花果さんの『弟子』を名乗り、この『作品』を作り上げたのか、知る必要がある。


 そうして、みんなとは少し違うけど、僕もまた覚悟を決めて改めて死体を見下ろした。


 四つの視線と五つの意識が死体に集まる。


 ……しかし、どうすればいいのか。


 手がかりはこの『作品』と、あの手紙しかない。年齢性別職業居所、すべてが不明。


 無花果さんだって、今回は『質問攻め』をする相手がいない。つまり、探偵としての武器である思考のトレースが使えないということだ。


 なにもかもが五里霧中だった。


 それでも、前に進まなければならない。『模倣犯』をつかまえて、この戦争に勝利しなければならない。


 探偵として、『死体装飾家』として。


 売られたケンカは買うと宣言したのだ、無花果さんにはなにか目算があるのかもしれない。


 そうだ、今までだってなんとかしてきた。


 僕たちなら、この『庭』の住人たちなら、きっと『模倣犯』に追いつける。


 この『作品』と『挑戦状』。ここから情報を搾り取って、『模倣犯』の正体を浮き彫りにしてやる。


 必ず、たどり着いてやる。


 この事件の結末を、『記録者』として見届けなければ。


 ……魔女の『庭』に突如として現れた、別の『死体装飾家』の『作品』。そして、虚無主義者からの『挑戦状』。


 どんな結末が訪れるのか、僕にはまだ予想すらできないけど、絶対に目をそらさない。


 たとえ、どんなバッドエンドだとしても。


 こっそりと首から下げたカメラをひとなでし、深呼吸をする。


 それがお前の役割だ、日下部まひろ。


 自分に言い聞かせて、僕は改めて死体……いや、『模倣犯』の『作品』に向き直るのだった。

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