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№5 仮想空間の協力者たち

「……しかし、困ったね!」


 いつもの調子のようでいて、どこか雰囲気の違う無花果さんが声を上げた。続いてうむむとうなって首をひねり、


「思考をトレースする相手がいないんじゃあ、探偵としての小生は役立たずだ! 徹底的な無能だよ!」


「それはいつものことです」


「そこは否定するとこだろ!?」


「『そんなことないよ』待ちはやめてください。うっとうしいです」


「こんなときまで、てめえってやつはよお!」


「まあまあー。ともかく、思考トレースが使えないってことは、みんなで推理するって流れでしょー?」


「そうそれ! 小生みんなのちからを借りたいでござる! オラに元気をわけてくれ!」


 元気玉を放つポーズを取る無花果さんを前にして、ふと所長がさざめき笑った。


「ふふふー。それについては少し考えがあるよー」


 ……なんだろう、このイヤな予感。


「……考え、ってなんですか?」


 おそるおそる問いかけると、所長は満面の笑みで一部始終を配信し続けている自撮り棒のスマホを指さした。


「いっそのこと、この配信見てる視聴者のみなさまにも手伝ってもらおうかなってさー」


 とんでもないことを言い出した。


 所長の配信にどれくらいの視聴者がいるのかは知らなかったけど、投げ銭で腐るほど稼いでいると言っていたので、それなりの人数がこの配信を見ているのだろう。


 そんな仮想空間のその他大勢が推理に加わるというのだ。


 視聴者にとっては完全に画面越しの世界、フィクションと同等の事件だ。ゲーム感覚で参加してもおかしくない。


 しかし、これはれっきとした殺人事件だ。推理小説の中の出来事ではない、まぎれもないリアル。ひとがひとり、いのちを断たれている。決して軽々しく扱ってはいけない事件なのだ。


 この温度差は致命的だった。画面の向こうの視聴者たちは頼りになる味方になるかもしれないけど、同時に敵になる可能性だってある。悪意のない傍観者が一番タチが悪いことは、数々のいじめの事例でも実証されている。


 ここで決断を誤ったら、なにもかもめちゃくちゃになる。


 それこそ、殺人事件どころではなくなってしまうかもしれない。


 ……しかし、僕たちだけで推理するのはこころもとないのもたしかだった。ここには五個の脳みそしかない。殺人事件というリアルに直面しているのは僕たちだけなのだが、第三者の目があった方がありがたいのは認めよう。


 スマホの向こうの無数の視線。


 果たして、それは天が差し伸べる助けとなるか、悪魔が刺すトドメとなるか。


「おっ、いいねいいね! 三人寄ればなんちゃらかんちゃらとか言うし、頭数は多いに越したことはない!」


 それを理解してか理解していないのか、無花果さんは手を叩いてゴーサインを出した。他のメンバーも異存ないようだ。


「よーし。じゃあ、ちょっと呼びかけてみるねー」


 僕だけが不安を抱えたままで、所長がカメラに向かってにこやかに語りかける。


「みんなー。知っての通り、ちょっと死体届いたんだけどー。さすがにほっとけないから、ちょっとお知恵を拝借してもいいかなー?」


 ……たったそれだけだった。


 小さな小石のような言葉は、泉に投じられるや否や、またたく間に波紋を呼び起こした。


 にわかに仮想空間がざわつき始める。


『マ?』


『計画通り(ニチャア)』


『俺らも推理参加すんの?』


『すげーリアル死体だ!』


『リアル殺人事件だ!』


『盛り上がってまいりました』


『記念投げ銭』


『はい拍手!』


『祭じゃー!』


『ワッショイワッショイ!』


『うんこもらした』


『俺の推理によるとだな』


 うんぬん、コメント欄にどっと反応が流れ込んできた。とても目で追い切れるものではない。次々とコメントが書き込まれ、流されていく。


 表示を見ると、視聴者は一万人あまりになっていた。


「えへへー。これ、みんな僕の視聴者さまだよー」


 所長が照れくさそうに頬をかく。


 たしかに、ここまで大規模なコミュニティなら、三人寄ればどころの話ではない。一万人以上の頭脳が結集するのだ、警察の人海戦術だって目じゃない。


 そうしているうちにも、SNSで拡散でもしたのだろうか、どんどんひとが集まってくる。


 ウワサがウワサを呼ぶとはこのことか。どんな伝言ゲームがされたのかはわからないけど、視聴者数のカウンターは天井知らずに回っていった。


「……けど、いいんですか?」


「なにがー?」


 問いかける僕に、インカムで語りかける所長が言葉を止める。


「死体なんて写しちゃったら、垢BANされません?」


 そうなったら、すべてが水の泡だ。そうなった方がいいのかもしれないけど、選択肢は多い方がいい。


 僕の懸念に、所長はへらりと笑って見せた。


「うん、そこんとこは大丈夫ー。エロ関係は厳しいけど、グロ画像ならそこらじゅうに上がってるからさー。まひろくんの全裸はNGでも、死体なら問題ないよー。そういう海外サーバだからさー」


 ……そんなところに集まるニンゲンなんて、ロクでもないものばかりに決まっている。所長の視聴者というのも、配信者本人同様、一筋縄ではいかなそうだ。


 どうにも、不安要素が拭いきれない。


 ゲーム感覚で推理に参加する、無数の大群衆。みんなみんな、こっちの事情なんてこれっぽっちも考えていないだろう。僕たちにとっては一大事件でも、視聴者たちにとっては面白そうな娯楽のひとつでしかない。


 だれもかれも、スナック菓子程度に軽々しく、殺人事件に介入しようとしているのだ。


 それがどれだけ危険なことか、みんなはわかってやっているのだろうか?


 不安といっしょに、視聴者の数も乗数的に膨らんでいく。


 そして、最終的には五万人以上の『協力者』たちが集まった。


 これはもう、現代のネット社会を巻き込んでの戦争と言っても差し支えないだろう。


 赤の他人の有象無象が、五万人。数は暴力だ。たとえその動機が羽根のように軽くとも。


「うん、これくらい集まったらいっかー。さすがにこれ以上集まっちゃうとサーバ落ちちゃうから、一旦クローズにするねー」


 そう言って、所長は参加者を締め切った。それにしたって五万人以上だ。それだけの人数が、この事件に関わろうとしている。


 画面越しの他人事として、だ。


 集まった『協力者』たちからしてみれば、『ちょっと面白そうなイベントがあるからみんなで参加しようぜ』くらいのノリなのだろう。


 ……とても殺人事件に関わろうとしているものの態度とは思えない。


 テレビの向こう側の戦争を眺めるように、きっとコーラのボトルとポテトチップスなどを手にしながら、みんな画面に釘付けになっているのだろう。居心地のいい安全地帯から好き勝手言える、なんとすばらしい参加型エンターテインメント。


 FPSでゾンビを撃ち殺すのと変わらない。


 ……果たして、この判断は吉と出るか凶と出るか。


『やった! ギリ間に合った!』


『勝ち組』


『外に実況するわ』


『俺も』


『タグつけようぜ』


『#ばらばら死体送られて来たんだが』


『採用』


『センスねえな』


『いいと思うけど』


『じゃあ公式タグそれな』


 僕の不安をよそに、視聴者たちは勝手に盛り上がっている。ことは完全にひとつの祭となっていた。この騒ぎはあちこちに飛び火して、今も煙を上げている。


 もう僕たちだけの手に負える状態ではないのだ。


 賽は投げられた。ルビコンを渡れ。


 もう運命の車輪は回り始めている。


 今さら止めることなどできない。


 ふと見やると、すべての元凶である所長は、まるで悪魔のようににんまりと笑っていた。


 ……このひとも、なに考えてるかわからないな。


 無花果さんや三笠木さんとは違う不気味さを感じて、僕はひと知れず背筋を震わせるのだった。

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