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№11 キレる十四歳

  もう、牧山蓮華の顔は完全にひきつっていた。いびつな笑顔の残滓がこびりついている。


 それでも、往生際悪く言葉を重ねた。


「け、けど私は……一生懸命勉強したんです!  死生学とか、哲学とか、宗教学とか、心理学とか……一生懸命本を読んで……そ、そうだ!  黒魔術の勉強だってしたんですよ! 黒魔術によると、頭というパーツに照応するのは……」


「だから?」


 無花果さんの返答は冷えきっていた。つっかえながらの主張をたった一言で叩き斬る。


 牧山蓮華はムキになったように言い募った。


「私は、私をいじめてきたあいつらとは違うんです! 特別な存在なんです! あんな衆愚なんてとてもたどりつけない高みにいるんです! 私は虚無主義者で、死を完全に理解してる! 生に執着なんてない! 全部無意味だってことを知ってる! だから、死ぬのなんて怖くない!」


「だから?」


「本当に、死ぬ思いで作ったんです! 繁華街で汚いおじさんとラブホ入って、裸まで見せて……殺すのはこわくなかったです! 芸術のためだから! 殺して、ばらばらにして、私の作品にした! あれは私にしか作れない作品なんです! 私のすべてを注ぎ込んだデビュー作なんです!」


「だから?」


「私は、作品を作り上げるためならなんだってやる! 裸にだってなるし、死んだっていい! そんな汚いおじさんのいのちなんて、芸術の前ではたかが知れてます! すべてのいのちは無意味なんです! だから、殺人なんてただの過程です! 作品には素材が必要でしょう、だから殺した! わかるでしょう、芸術のために死ねたんだから、きっとこのおじさんだって満足してます!」


「だから?」


「う、うう、そ、それよりも! 私の作品を見てください! あなたの弟子のデビュー作ですよ! この完成度! デビュー作にして代表作です! どうです、完全に死を理解してるでしょう!? 死の本質を見抜いてるでしょう!? こんな作品を作れる私はすごいでしょ!?」


 いくら言葉を連ねたって、無花果さんにはなにも響かない。薄っぺらな言葉をいくら重ねても、なんの重みも真実味もない。


 そんな当然のこともわからずに、牧山蓮華は目を血走らせてなおも無花果さんに迫った。


「私は、特別でしょう!?」


 そんな問いかけを、無花果さんは、ふ、とバカにしたように鼻で笑った。


 ……もう、牧山蓮華の自制心も種切れだった。


「なんでわかってくれないの!?!?」


 奇声を上げて無花果さんの胸ぐらにつかみかかり、きゃんきゃんと吠える。


「私はこんなにも特別なのに! 選ばれた人間なのに!!」


「一体だれに選ばれたってんだい?」


「芸術の神様に! なんでわからないの!?」


「君こそ、小生のなにがわかるってんだい?」


「師匠のことならわかりますよ! なんでも!」


「へえ、そう! 君はエスパーかなにかなのかい? びっくり人間博覧会だねえ!」


「私にはなんでもわかる! なんだってできる! 私は! 特別なんだから!!」


 がくがくと無花果さんの胸ぐらを揺さぶりながら、牧山蓮華は泣いていた。泣きながら特別だ特別だと自分に魔法をかけるように呪文を唱えていた。


 もう、とっくに答えは出てるって知ってるくせに。


「まったく、『死』のなにがわかるってんだい? 本気で『死』と向き合ったことさえない分際で! 特別? すごい? ああそうだねすごいでちゅねーよちよち! よくできまちたねー!」


 対照的にぽんぽんと呑気な手つきで牧山蓮華の頭をなでる無花果さん。半笑いで、完全にコケにしている。


 しかし、その視線はどこまでも暗く、冷たい。こんな目をした無花果さんを見るのは初めてだ。いつもげらげら笑っている無花果さんが、深淵そのもののようなまなざしを牧山蓮華に向けている。


 いや、視線を向けてすらいない。たしかに眼球の焦点は牧山蓮華に合っているけど、そんな存在、無花果さんの頭には焼きつかない。


 泣きながらふるふると震え、牧山蓮華は真っ青になっていた。怒りと、いらだちと、絶望。他でもない無花果さんから断罪されて、牧山蓮華の承認欲求は行き場をなくして暴走しつつある。


 崖の突端に立たされているようなぎりぎりの状態の牧山蓮華に向けて、無花果さんは困ったような苦笑いでトドメの言葉を放った。


「『死』を軽々しく扱う君は、もはや冒涜者ですらない! 安心しなよ、君は正常だ! 驚くほどに正常だ! 特筆すべきことは何もない、単なる一本の『考える葦』だ! 考えて考えて、その結果が殺人なのだから、君はただの卑劣な犯罪者だよ!」


「うわあああああああああ!!」


 もはや、牧山蓮華は泣きじゃくっていた。追い詰められた手負いのケダモノのように断末魔を上げ、そのまま無花果さんのからだをその場に押し倒す。


 無花果さんに馬乗りになった牧山蓮華は、右のこぶしでその頬を殴りつけた。弾けるように無花果さんの頭が揺れ、シスターベールが吹っ飛ぶ。


 それでも、牧山蓮華は止まらなかった。


 何度も何度も何度も何度も、無花果さんを殴打する。右のこぶしで、左のこぶしで、交互に殴る。頬を、胸を、腹を、こぶしが届く範囲のところはどこでも。


 泣きながら、殴り続けた。


 ……無花果さんは一切抵抗しなかった。防御すらしない。ただ殴られるがままになっている。これでは一方的なリンチだ。いいサンドバッグだった。


 しかし、逆に抵抗しないこと自体が、牧山蓮華のちっぽけなプライドをひどく傷つけた。『お前には反抗するだけの価値すらない』と突きつけられて、牧山蓮華は余計に半狂乱になって暴力を振るい続ける。


 ……僕は止めなかった。


 ただただ殴られるばかりの無花果さんを前にしても、その暴力を制止しようとはしなかった。


 僕も、それだけの価値を牧山蓮華に見出だせなかったからだ。ただ止めるだけならいくらでもできる。けど、牧山蓮華の膨れ上がった承認欲求をばっきりとへし折るには、これが一番だと思った。


 少し離れたところから、ただ一部始終を見守るだけ。


 ばき、と枯れ木が割れるような音がした。無花果さんのどこかの骨が折れたのだ。


 だというのに、無花果さんは悲鳴ひとつ上げない。特別痛みに強いというわけでもないのに、少し眉をしかめるくらいだった。


 まるで、『お前ごときの暴力で屈する小生ではないよ』とでも言いたげなその態度は、火に油を注ぐようなものだ。


 ガソリンをぶっかけられた牧山蓮華は大炎上した。


「くっっっっっっっそ!! くっそおおおおおおお!!」


 わめいて、殴って、泣いて、壊れて。


 また無花果さんのどこかの骨が折れた。頬を腫らして、もう目は青タンで塞がっている。鼻血も出ていたし、くちびるを切ったのかそこからも出血していた。


 それでも、抵抗しない。


 ガンジーじゃあるまいし、無抵抗主義も行き過ぎれば死んでしまう。


 しかし、無花果さんはそれでも構わないと考えているようだ。


 だから、僕も止めない。


 ただ、蹂躙される無花果さんの姿を脳裏に焼き付けるように見つめる。こころのフィルムにしっかりと写しておく。


 目をそらさないように、余計な介入をしないように。


 僕はあくまでも『記録者』であって、結末に影響を与えてしまってはいけないのだ。どんな些細なことであっても、それはバタフライエフェクトのように回り回ってエンディングをねじ曲げてしまう。


 それゆえ、僕はただ傍観する。


 それが僕の使命だと、課せられた義務だと、『庭』に息づくものの権利だと、そう信じて。


 ……ばき。


 また無花果さんの骨が折れる音を聞きながら、僕は初めてカメラではなく自分の目で真実の『光』を見つめるのだった。

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