そうこうしていると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
ものすごい勢いで近づいてきた赤色灯の群れに息を飲んでいると、その中の一台から小柄な男が飛び出してきた。
「おるああああああ逮捕やワレぇ!!」
以前の一件で見知ったチンピラ風貌は、刑事の八坂大樹そのひとだ。無花果さんの通報を受けて、パトカー五台で駆けつけてきた。
吠えたあとできょろきょろして、
「どこや!? 犯人どこや!? 死体は!?」
「……ぎゃはは……ご苦労様だねえ、八坂のオッサン……」
「うおっ!? なんやワレぇぼっこぼこやないかボケぇ!」
「……そういうわけで、傷害事件二件追加だ……ぎゃはは、欲張りセットで救急車も二台つけちゃお……」
「ああもう、わけわからんわボケぇ! とにかくまとめて逮捕やこるあ!!」
「……死体は、事務所にあるよ……よろこびたまえ、今回は、警察のものだ……」
「毎回そうしとったら、こないな目に遭わんで済むんやアホタレ!」
「……ぎゃはは、まったくもって、おっしゃるとおり……」
……八坂さんにはあとでちゃんと説明しないとかわいそうだ。今回は完全にガキの使いとして使われたのだから。
程なくして救急車がやって来て、まずは保護された無花果さんが運ばれていった。ついでに、牧山蓮華を刺した男もその場で緊急逮捕される。
しかし、牧山蓮華はただの被害者ではない。
ストレッチャーに乗せられた牧山蓮華の細い手首に、八坂さんがしっかりと手錠をかけた。
「……午後5時13分、緊急逮捕」
腕時計を見下ろして宣言した八坂さんは、その直後に疲れきったようなため息をこぼした。
「アホなことしでかしてくれたもんやで、ホンマに」
刑事としては、未成年による猟奇犯罪などあってはいけないことなのだ。やるせない気持ちでいっぱいになっていることだろう。
救急車に運ばれていく途中で、牧山蓮華は一度だけ意識を回復させた。
そして、僕の姿を認めると弱々しい声音で語りかけてくる。
「……あなたになら、わかりますよね……!?」
この期に及んでなにをわかれというのだろうか。それでも、牧山蓮華は懇願するような口調で続けた。
「……日下部さん、でしたよね……あの写真、撮ったひと……あなたの写真で、私、師匠を見つけられたんです……!」
そうだ、僕だって『共犯者』だ。
僕があの個展を開かなければ、牧山蓮華は無花果さんの存在を知らないままだった。『死体装飾家』をこころざさずに済んだのだ。
僕の写真に訴えかけられて、牧山蓮華は一連の凶行に及んだ。感化され、煽られた。
今回の件は、僕にだって負うべき『責任』がある。
無花果さんは牧山蓮華の元までたどり着き、裁きを下してその暴力に身を任せることによって『責任』を果たした。
……じゃあ、僕にできる『責任』の取り方ってなんだ?
「……あなた、師匠の作品の写真、撮ってきたんでしょ……?……まわりのひとが、みんな、言ってたし……全部、見てきたんでしょ……?」
息も絶え絶えに、牧山蓮華は言葉でもってすがり続ける。
「……だったら、分かりますよね……私も『死体装飾家』だって……!……わたしは、とくべつだって、わかりますよね……!?」
……いつまでこの茶番は続くのだろうか。
いい加減、うんざりしてきた。
僕は首から下げたカメラのレンズキャップをはずさないまま、ストレッチャーの上の牧山蓮華に返した。
「あなたの言う『作品』とやらには、撮る価値を感じません。なにもかもが偽物だからです。そこにフィルムに焼き付けるべき真実の『光』はない」
「……え……?……なんで……?」
残念なことに、これはわからないフリではない。
本気でわかっていないのだ。
自分がなにをしたのか、なにを感じてどう動いたのか。さんざん軽んじてきた『死』はどういうものなのか。
……この『承認欲求のバケモノ』は、救いようがない。
少なくとも、僕の手では救い切れたものではない。
「あなたこそ、どうしてわからないんですか?」
救えなくても、真実を突きつけなければならない。
届かない言葉を投げかけるのは、枯れ井戸に石を投げ込むようなここちがした。ここまでむなしい徒労も珍しいのではないか。
それでも、僕はこのとてつもない疲労感と向き合わなければならない。
一切の干渉をせずにすべてを見届け、救えないものに手を差し伸べる。
それが、僕なりの『責任』の取り方だ。
「あなたはいつも私を見て、私を見つけてと叫んでいた。そこには『死』を想う余地はなかった。私、私、私……そればかりで、死体を素材としてか扱っていなかった。そんな『作品』から、どんなメッセージが読み取れるっていうんですか?」
「……え、ちが……わた、し……!」
「なにも違いません。そろそろ夢から覚めてください。ひとをひとり、殺したんですよ? もうなにも知らない子供のままじゃいられない」
「……だから、殺したのは、ただの過程で……!」
「はっきり言いますけど、あなたの死体遊びは、ただのグロテスクな悪趣味です。死体をオモチャにしただけの、厨二病です。だから、あなたにカメラを向ける価値はない……僕が撮りたいのは、本物の『モンスター』だ。ニセモノに用はない」
「……わたし、わたしは……!」
ここまで言われて、まだ『私』か。
本当に、救えない。
救おうとすることが傲慢なのだろうか。
……こんなの、痛々しくて見ていられない。
もう、やめてくれ。
そんな僕の願いが伝わったのか、牧山蓮華は愕然とした顔をしたまま、救急車に乗せられてしまった。そのまま警察病院まで搬送されるのだろう。
そして、その罪を自覚しないまま、ただいたずらに裁かれるのだ。一切の贖罪をしないまま、死ぬまでなにもわからないまま、牧山蓮華の存在は闇に葬られる。
きっと、精神鑑定がおこなわれるだろう。そこで責任能力があるとわかれば、少しは重い罰も与えられるけど……あまり期待はできない。
なにより、罪の意識を感じないままの罰に、一体なんの意味があるというんだ?
なにもかもが、徒労。
牧山蓮華が去った後には、途方もないむなしさだけが残された。
……無花果さんが心配だけど、救急車で運ばれていったから、とりあえずは大丈夫だろう。骨が何本か折れて顔はぼこぼこだったけど、立って歩くだけのちからは残っていた。そして、あんな『無花果節』の啖呵を切ったのだから、そんなに案ずることはない。
それよりも、僕は事務所に帰って事の顛末を報告しなければならない。
事務所のみんなも、ネットの向こうの協力者たちも報告をこころ待ちにしている。すべてを見届けた僕には、まだ語るという『責任』が残されていた。
事務所に戻ろう。
今は疲れ切ってすぐにでも眠りたい気分だけど、まだやれることはある。
……それにしても、無花果さんが言った通り、今回はカメラ要らなかったな。
首から下げた『相棒』をひとなでして、喘鳴のようなため息をつく。
結局、僕は一度もレンズキャップを取らずにいた。
そこには僕がカメラを向けるべきものはなかったからだ。
もしもそこに少しでも真実の『光』があったら、僕は迷わずシャッターを切っていた。
けど、牧山蓮華という少女には一切の真実がなかった。
ここまで一貫してニセモノであるニンゲンも珍しい。あらゆるものが虚飾でしかなかった。
……もしかしたら、僕たち『モンスター』よりもずっとバケモノだったのかもしれない。
胸焼けがするほどにゴテゴテに飾り付けられた牧山蓮華本人こそが、その最初にして最後の『作品』なのだ。
……とりあえず、事務所へ帰ろう。
すべては語り尽くしたあとで考える。
簡単な取り調べを受けたあと、僕は冴えない足取りで事務所への帰路をたどるのだった。