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第8章 The Tragicomedia

№15 『責任』

 そのあとなにごともなかったかのように騒いで、看護師長にめちゃくちゃ怒られ、僕たちは無花果さんの病室をあとにした。


 事務所に帰ってきて、それぞれが定位置に戻る。所長は小鳥さんに無花果さんの状況を報告してから、いつも通り配信を始めた。


「……所長」


「んー、なにー、どしたのまひろくんー?」


 強烈メンソールの電子タバコを吸いながらカメラに向かって手を振り、所長は僕に視線を向ける。


「……僕たちは、このまま進み続けていいんですかね?」


 進み続けて、というか、存在し続けていいのだろうか、この『魔女』の『庭』は。


 そんな問いかけに、『庭』を作り上げた張本人である所長がにっこりと笑った。しかし、メガネの奥のまなざしはどこまでも読めない。


「君の言う通り、すぐれた芸術には責任が伴うねー。なにせ、救いにもなるし致死毒にもなるんだもんねー。どっちにせよ、強大なちからを行使してることは、しっかりと認識しなきゃねならないねー」


 どこまで本気で言っているのか。いつも通りすぎる口調で、呑気にそんなことを口にする所長。


「だったら、なおさらです。こんな危ないこと、続けていいんですか?」


 表現者として他者に影響を与えることの危険性を、今回はがつんと痛感した。『これはお前たちの罪だ』と目の前に突きつけられたのだ。


 ……こわくなった、というのが正直なところだった。


 今まで、『モンスター』として生きていくためには仕方がないと思い込んでいた。しかし、『モンスター』は生きているだけでこの世界の害悪になる。


 いっそ死んでしまった方がいいのかもしれない。


 その『表現』を捨てて、逃げ出してしまった方がいいのかもしれない。


 世界のためにはそうすることが正しい。


 ……それは、わかっている。


 所長は相変わらず読めない視線を僕に向けて、


「……君だって、この事務所の一員でしょー?」


 笑いながら、『共犯者』だと、そう言った。


「やめてどうなるのー? 死ねって言うのかなー? 表現することをやめたとき、なにが起こると思うー?」


「……生まれてきた意味の、『生』の実感の、消失」


「その通りー。生きていくためには、『表現』し続けなきゃいけないんだよー。ちゃんと死ぬためには、まずちゃんと生きなきゃいけないんだよー。そのために、息をする、同じように、『排泄』するー。じゃなきゃ破裂しちゃうよー」


「……それって、無花果さんのことですか?」


「いちじくちゃんはもちろん、君だってそうだよー。撮ることをやめて、どうするのー? カメラを捨てっちゃったら、君が君でなくなっちゃうんじゃないのー? そんなんじゃ、ちゃんと死ねないよー」


 ……その通りだった。


 僕もまた、『モンスター』だ。


 血まなこになって真実の『光』を求める、『共犯者』。


 今回、僕の写真が牧山蓮華の感情を、欲望を、情動を煽った。駆り立てた。指向性を与えた。


 思うがままに、自分が良いと思えるものを作り上げた結果、あの子を壊してしまった。


 同じ表現者として、僕もまた同罪なのだ。


 僕が焼き付けた真実の『光』が、牧山蓮華の目を焼いてしまった。


 そこに悪意はない。最高のものを作り上げて、世界に訴えかけようとしただけだ。


 ……考えてみたら、その考えは牧山蓮華の欲望とそう変わりはない。自分なりに最高の『表現』をして、世の中に問いかけようとした。自分のちからをはかろうとした。


 僕の中に承認欲求がなかったと言えばウソになる。


 牧山蓮華は、無花果さんに見出されなかった世界線の僕そのものだ。


 しかし、認められてうれしい、なんてもう言っていられない。今にして思えば、はなはだ呑気な話だ。


 本質は、そうじゃない。


 だれかに訴えかける以上、『表現』はちからそのものだ。そして、『責任』なき『表現』は暴力に等しい。


 どんなにつたない『表現』であっても、世界にその真価を問うた時点でひとつのちからだ。


 認められたい? ちからを試したい?


 その前に、まずは『責任』を負え。


 僕はもう、その次元に立っていることを自覚しなくてはならない。僕だって暴力を振るう側のニンゲンなのだ。『責任』を負うべき立場なのだ。


 このちからに、おそれなどないとは言いきれない。僕もまだまだニンゲンだ、だれかの生き方に影響を与えるなんて大それたこと、こわくて仕方がない。


 ……それでも、僕はカメラを捨てることはないだろう。


 それに伴う『責任』?


 いいじゃないか、背負ってやる。


 きちんと死ぬために、きちんと生きてやる。


 そして、その生き様こそが、僕にとっての写真なのだ。


 シャッターを切らなければ、僕の中に蓄積した真実の『光』は、膨れ上がって爆発してしまう。無花果さんの『創作活動』同様、僕の撮影だって立派な排泄行為だ。


 ひとりの『モンスター』として、たまったものを吐き出す。それが糞であろうとも、ゲロであろうともかまわない。目を背けたくなるようなみにくいものだっていい。


 そのみにくさになにかしらの意味があるというのなら、僕は撮り続けよう。


 きちんと生きていくために、『責任』をともなう排泄をする。『モンスター』は排泄をするのだってひと仕事なのだ。産み落とされたそれがどんなに醜悪で毒を持つものであろうとも、その醜悪さに、毒にこそ意味がある。


 世界は、そうやって吐き出された排泄物に震える。


 もう、こわがってなどいられない。


 ことは『モンスター』の生き死にに関わるのだ、躊躇している場合ではない。


 だれかの人生をめちゃくちゃにしてしまうのならば、せめてその『責任』を取ろう。『生きていてごめんなさい』と謝ろう。


 許されるとは思っていない。


 それでも、土下座して謝ろう。


 必要ならば、ニンゲンとしてのいのちさえ差し出そう。


 僕の『責任』の取り方は、たぶんそんなものだ。


「……ハラが決まったみたいだねー」


 いつの間にかくちびるを噛み締めていた僕を見て、所長がにんまり笑う。


「それで、君、辞めるのー?」


「まさか」


 辞めると言ってもたぶんなんの驚きも見せなかったと思うけど、僕はそれを否定した。


 否定ついでに、宣言する。


「僕は撮り続けますよ。こわくないわけじゃないですけど、そうしなきゃちゃんと死ねませんから。撮って、ちゃんと生きて、その果てにやっと死ねるんです。ラクに死のうなんて思ってません。さんざん苦しんでやりますよ」


「そうだねー、ここにいる以上、そうするのが一番しっくり来るんじゃないかなー? いちじくちゃんもそう、君もそう、僕だって、三笠木くんだって、ことりちゃんだってそうだよー。もがき苦しみながらそれぞれの役割を果たして、それでやっと死ねるんだ……なんとも因果な性分だよねー」


 所長は、けらりと笑った。


 そうだ、ここにいる全員が『共犯者』だ。だれひとり、ラクに死ねるなんて思っていない。


 そうやってつながったきずなで、僕たちはいっしょに生きていく。この『庭』の運命共同体として、友情でも愛情でもない関係を育んでいく。


 名前のつけられないそのきずなは、きっとたましいの共鳴のようなものだ。『モンスター』同士でしかわかりあえないことだってある。


 苦しみの『生』の中で、決してひとりきりじゃないことだけが唯一の救いだ。


 仲間、と呼ぶほど上等なものではない。


 しかし、傷の舐め合いと言うにはあまりにも清廉だ。


 同じ『庭』に息づくいのちとして、僕は僕の『記録者』としての役割を、そして自分なりの『表現』自体をやめることはない。


「……つまらないことで配信の邪魔してすいませんでした」


「いいよー。どうせ今の時間帯はひとあんまいないしさー」


 そう言って、所長はまたカメラに視線を戻す。


 小鳥さんは『巣』にこもっているし、三笠木さんはキーボードを叩いている。


 そうすることで、それぞれの役割を果たしているのだ。


 ……僕も、掃除かなにかしようかな。


 すっかり事務所の日常に戻りながら、僕は無花果さんが帰ってくる日をこころまちにするのだった。

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