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№16 考える葦

「小生、もうりんご飽きたー」


「なに言ってるんですか。お見舞いにダンボール五十箱くらい送られてきてるんですよ。少しでも消費してもらわないと、事務所のスペースがりんごに侵略されてしまいます」


「むしろ、りんごが嫌いになってきたよ……!」


 しゃりしゃりとりんごの皮をむいてお皿に乗せ、無花果さんに差し出す。五十箱というのは決して誇張ではなく、ガチで各方面から集まったりんごはそれくらいになっていた。なにゆえひとはお見舞いにはりんごだという固定観念にとらわれているのだろうか。


 無花果さんは渋々りんごをかじった。怪我もだいぶんよくなってきていて、折れた鼻の骨を固定する包帯以外は顔面を覆うものはない。まだ骨折は時間がかかりそうだけど、見た目はいくぶんかマシになった。


 ……入院生活で、多少ニンゲンらしい生活を送っているのも、絶対にあると思う。


「なんだいなんだい、りんごといえばウサギさんじゃないか! 君って男はつまらない上に気が利かないねえ!」


「ウサギ加工は特別料金をいただいております」


「お金取るのかい!?」


「冗談です」


 ちょっとした意趣返しの冗談を言うと、オーダー通りにりんごに耳をつける。


 僕も、冗談が言える程度には平常時の状態に落ち着いてきたということだ。


 差し出したウサギりんごを、無花果さんが無言でかじる。


 しゃり、しゃり。罪の果実を『魔女』が口にしている。だとしたら、りんごを差し出す僕は誘惑の蛇か。


「……ねえ、まひろくん」


「なんですか?」


 ぽつり、と呼びかけられて応じると、少しの沈黙の後に無花果さんはつぶやくように問いかけた。


「死ぬのはこわいかい?」


 急にそんなことを聞かれて、言葉に窮する。


 他ならぬ『死』を司る『魔女』である無花果さんから、そんな問いかけをされるなんて。


 ウソをつく必要性も感じなかったので、僕は正直に答えた。


「……そりゃあ、こわいですね」


「小生も、死ぬのがこわいよ」


 ……意外だった。


 だれよりも『死』に触れ、むさぼり、理解しているはずの無花果さんが、死ぬのがこわい、なんて。


 しゃくしゃくとりんごをかじりながら、無花果さんはどこか遠い目をしながら続けた。


「あんなわけのわからないものに飲み込まれるなんて、考えただけでぞっとするね。だって、死んで生き返ったニンゲンなんてどこにもいないんだもの。『死』がどんなものかなんて、生きているものには絶対にわかりはしない」


 その通りだった。『死』は厳然としてそこにあるものだ。しかし、だれもその正体を知らない。


 絶対に訪れるくせに、それがどういうものなのかかわからない。


 一万人のニンゲンがいるとして、その一万人は必ずいつか死ぬ。例外はない。だれもが毎日『死』と隣り合わせている。いつ死んでもおかしくない。


 だというのに、その『死』の当事者として、僕たちはなにひとつ知らされていない。


 ……こんなの、ずるいじゃないか。


 アンフェアだ。


 牧山蓮華は、死ぬのはこわくないと言っていた。


 完全に『死』を理解したから、こわくないと。すべての存在に訪れる終わりに、意味などないと。


 ……とんだ思い上がりだ。


 実際、いざ死にかけてみて、牧山蓮華が口にした言葉は『たすけて』だった。こわくないだなんて、ただの強がりだった。


 無花果さんさえ理解の及ばない『死』を、あんな小娘に理解できるはずがない。


 意味がわからないものはこわい。よくわかる。


 だれよりも『死』の近くに立っていて、無花果さんが理解できたことはただひとつ。


 理解できない、ということだけだった。


「正直、ニーチェが少しうらやましいよ。すべてのことになんの意味もないなんて言い切れるなら、どんなにラクだろうね。ニンゲンはただ脳に生かされているだけの肉袋だって思えたら、きっと死ぬのはこわくなくなるから」


「……けど、無花果さんはやめないんでしょう? 『死』に意味を与えることを」


「『死』に対抗するには、そうすることしかできないからね。当然の成り行きってやつさ」


 そう言って、無花果さんは苦笑いするのだった。


 抗うすべはただひとつ。


 生きているものが、意味を見出すことだけだ。


 死者は何も語らない。だから、無花果さんが死者の言葉を代弁する。その『死』を消化して、意味を与える。


 やがて訪れる『死』の当事者として、生きているうちにやれることをやるしかない。


 それが、『死体装飾家』春原無花果なりの『死』との距離感だった。


 ……そうだ、このひとだって、牧山蓮華と変わらない。一本の考える葦だ。


 日々、メメント・モリの中で生きている。


 理解できた、こわくない、なんて無花果さんは生涯口が裂けても言わないだろう。このひとでさえ『死』の正体を掴みきれずにいるのだ。絶対的な終わりに対して、ただただ生きているうちに抗うことしかできない。


 どれだけ『死』に接していても、ニンゲンは等しく無力だ。それは無花果さんとで変わりない。


 僕だってそうだ。いざ死ぬ段になったら、きっとこわいと思う。死にたくないと思ってしまうに違いない。


 それは動物として至極当たり前のことで、本能的に『死』を忌避することはとても正しいことだ。


 しかし、無花果さんはあえて『死』のすぐ近くまで降りていく。そこに意味があるのだと信じて、正体不明の闇と対峙する。『死』に、そして『生』にはたしかな手応えがあると信じて。


 だからこそ、『作品』を作り続けるのだ。


 その『作品』は、無花果さんが作るからこそあまりにも鮮烈で強烈だ。『作品』の扱いには細心の注意が必要だった。


 なにせ深淵の底へと降りていくのだから、周りのニンゲンにすらその害が及ぶ。『死』の持つ毒にあてられてしまっても仕方がない。


 ゆえに、だれもがこわがる。


 ゆえに、だれもが惹かれる。


 それはいつしか、無花果さん本人にも言えることになっていた。恐れられ、しかし魅力的だと思ってしまう。無花果さんというニンゲンには、見ていられないような危うさと、見つめ続けたい魔力があった。


 僕はそんな無花果さんを撮りたい。


 悩んで苦しんで、おそれて向き合って、あがく『モンスター』の姿には、たしかな真実の『光』が宿っている。


 ただのニンゲンとしての無花果さん。


 そして、『モンスター』としての無花果さん。


 その両方があるからこそ、僕は『共犯者』としてその生き様をフィルムに焼き付けたいと思った。


 こんな仕事、他にだれができるっていうんだ?


 僕しかいないだろう。


 それが、僕なりの『死』との向き合い方でもある。


「ねえねえまひろくん」


 無花果さんの声で我に返る。そこには、控えめに空になった皿を差し出す無花果さんがいた。


「りんごはもういいよ! こいつさも『俺は健康にいいんだぜ!』みたいな顔してさあ! そういうところが気に食わないんだよねえ!」


 いつもの調子で文句を言う無花果さんに、つい苦笑がこぼれてしまった。くすくす笑う僕を不思議そうに見つめる無花果さんに、


「わかりましたよ。それで、なにがたべたいんですか?」


「蒙古タンメン中本のカプメン!」


「またからだに悪そうなものを……わかりました、コンビニで調達してきます」


「入院生活で小生のラーメン欲は最高潮に達しているのだよ! もはやただのラーメンでは足りない! 頼んだよまひろくん!」


「はいはい」


 また看護師長に怒鳴られやしないだろうか。


 椅子から立ち上がって、僕はコンビニに行く準備をする。


 病室をあとにして外に出ると、抜けるような青空が広がっていた。


 僕たちが死んだとしても、この空はずっと青いままなのだろう。


 そんなことを考えながら、僕はカップラーメンとエロ本を買いに近くのコンビニへ急ぐのだった。

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