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№1 お笑い番組

 二週間もしないうちに、無花果さんは無事退院した。これだけ退院が早まったのは、本人の回復スピードが異様に早かったのと、『こんな生活、もうイヤッ!イヤッ!』とちいかわばりに駄々をこねたためである。


 そんなこんなで、『魔女』は『庭』に帰還した。


 しかし、やることと言えばぐーたらすることくらいで、ニートここにありといった風情でひねもすどうでもいいことをしているだけだ。


 今日も昼下がりの専業主婦よろしく、ソファに寝そべってせんべいをかじりながらテレビを見ていた。


「ぎゃはは!」


 手までたたいて笑っている。


 なにがそんなに面白いのか、少し気になった僕は掃除の手を休めて無花果さんのそばに歩み寄った。


「そんなに笑ってたら、治りかけの肋骨また折れますよ」


「だってさあ、おっかしいんだもん! ぎゃはは!」


「なにがそんなに面白いんですか?」


「テレビだよ!」


 見れば分かることを言って、無花果さんは液晶テレビの画面を指さした。


 どうやら寄席をやっているらしく、漫才コンビがマイクを前にしている。


『どうもー、『しょっぱいスープ』の金沢ボンドですー』


『金沢テープですー』


『DANZEN!ふたりは粘着質!』


 プリキュアをオマージュしたらしいポーズを取ると、どっと客席がわいた。どうやらこれが定番ギャグらしい。


「まひろくん、知らないの? 『しょっぱいスープ』!」


「お笑いには疎いんで。あと、僕地上波は見ないんで」


「っかー、出たよ! イマドキのワカモノ発言! テレビ離れが深刻だね!」


 ばりん、とせんべいを噛み砕く無花果さん。


 僕はお笑いというジャンルに興味を持ったことがない。というか、芸能人にあれこれ思うところがないのだ。


 そりゃあ、好きな音楽はある。好きなアーティストもいる。けど、それは音楽が好きなのであって、そのアーティストが好きなのではない。


 だから音楽も雑食だし、テレビも見ない。芸能人のだれそれが結婚しただとか、どこのグループが解散したとか、そういうのはどうでもいい。


 これが『イマドキのワカモノ』だというならそうなんだろう。テレビ離れしてなにが悪い。面白くない番組を垂れ流しにするテレビ局が悪いのだ。


「だって、ニュースならネットで見れますし、音楽ならサブスクで聞けますし、YouTubeで好きなときに好きなもの見られるじゃないですか」


 当然のように告げると、無花果さんは『やれやれこれだから』とばかりに首をすくめて、


「わかってないなあ! 下らなさの中に真の笑いというものがあるのだよ! 偏向報道や各方面への過剰な忖度なんかはおファックだけど、それでもテレビからしか摂取できない栄養分というものがあるのだよ!」


「……すいません、よくわかんないです」


 理解しかねた。地上波の良さが僕にはまったくわからない。TikTokの動画を見ていた方が有意義な気がする。


「最近はタイパタイパうるさいけどねえ、そんなに時間に追われてどうするんだい? 無駄を楽しみたまえよ! それに、お笑いとはそうぽんぽん消費するものではないよ! 一分間の使い捨ての笑いになんの意味があるってんだい!?」


 熱くお笑いを語る無花果さんの言うことにも一理ある。


 令和になって、お笑いは急速に消耗品になってしまった。インスタントラーメンだって三分またなければならないのに、TikTokでは一分間黙っていればいいだけだ。面白くなければその一分間すらも待たなくていい。


 スワイプ、スワイプ、スワイプ。


 気に入らないものは見ない。ちょっとでも面白くなかったら次。AIによって選別された好みの映像を、次々スキップしていく。


 僕たちはもう、選んで消費する側なのだ。


 しかし、そうやって脳死で消耗するだけのお笑いになんの意味があるのか。


 お利口に一分間にまとめられたお笑いに、沈み込むほどの深みはない。限りなく浅い。


 別に消費社会に警鐘を鳴らしたいだとかそういうわけではないけど、無花果さんが言うことももっともだった。


 タイパ重視で無駄を楽しむ余裕がなくなった世の中。


 余白も遊びもないそんな世界は、どこか息苦しい。僕を含めて、みんなどうしてそんなに急いでいるのだろうか。


 ……本当は、選ぶ側になっただなんておためごかしなのかもしれない。


 選ぶことを強要されている。立て続けに選択を突きつけられて、もう本気で考えることもなく、『なんとなく』で選んで進んでいるのだ。


 そんな思考停止の状態で進んだ先に、なにか実のある未来があるとは思えない。


 じっと考え込んでいると、無花果さんが手招きをした。


「まあまあ、難しいことは考えないで、いっしょにテレビ見ようよまひろくん!」


「……あ、はい」


 たまにはいいか。


 無駄を楽しんでやろうじゃないか。


 無花果さんの隣に腰を下ろして、僕は久々にテレビ画面に向き合った。


 テレビの中では相変わらず漫才が繰り広げられている。ボケてはツッコみ、つかみはばっちりだ。コントが始まって、『しょっぱいスープ』の笑いの世界が展開された。


 時事ネタ、下ネタ、あるあるネタ。そんないろいろを詰め込んだネタで、不条理なコントは続いていく。


 オチの部分になって、僕はつい吹き出してしまった。


「あ、今笑ったね? 笑ったねまひろくん?」


「まあ、面白かったですからね」


「そうだろうそうだろう!」


 まるで自分の手柄のように誇らしげに無花果さんが言う。


 画面の向こうで、漫才コンビのふたりは『ありがとうございましたー』と演壇を降りていった。


「あー、面白かった! 『しょっぱいスープ』サイコー!」


「たしかに笑えましたね。ちょっと寄席に行きたくなるくらい」


「行ってみたいよねえ! けど、最近は活動してるところを久しく見てないのだよ!」


「そうなんですか?」


 ちょっと残念だ。できればナマで見てみたかったものだけど。


 芸能界にありがちな『干された』というやつなのだろうか。スキャンダルなりなんなりの理由があったりするのだろうか?


 たしかに、さっきのテレビ映像も一昔前の画質だった。時事ネタも微妙に古い。


 無花果さんは寝そべっていたソファからやっと起き上がり、


「一時期めちゃくちゃ流行ってたんだけどさ、とんと音沙汰がないね! 芸能界やめてどっかでロハスな生活送ってんじゃないか、って憶測が飛び交ってるくらいさ!」


「それはそれで面白そうですけどね」


「なにを言うんだい!? 『しょっぱいスープ』こそお笑いの神に選ばれたコンビだよ! もっとがんばってもらわないと小生ヤダ!」


 駄々っ子みたいなことを言い出した。


 とはいえ、たしかにちょっと見ただけの僕にだって、そのお笑いのセンスはよくわかった。お笑いの神に愛された、というのもあながち間違いではないのかもしれない。


 ……それにしても、珍しい。


 この無花果さんが『面白い』なんて大笑いするお笑い芸人がいるなんて。


 もっととんでもないことで大笑いするのが常の無花果さんだけど、こんな風に普通のニンゲン向けのお笑いで大爆笑するなんて。


 笑いのセンスは、まだまだ『モンスター』化していないようだ。


 そう思うと、なんだか無花果さんのニンゲンの部分が浮き彫りになったような気がした。


 普通にテレビのお笑いを見て手を叩く『モンスター』。笑いこそ世界の共通言語、というのは案外本当かもしれない。


 ……たまにはこうして息抜きするのもいいな。


 ふたり並んで、テレビを見て笑って。


 普通だ。


 そんな『普通』がいとおしく思える程度には、僕も『モンスター』であり『共犯者』になっているのだな、と再実感しながら、僕はソファから立ち上がって掃除に戻るのだった。

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